デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一

2. 意次の政治と楽翁の政治

おきつぐのせいじとらくおうのせいじ

(64)-2

 直きを挙げたが為に、正しくなつて悪いものが出なかつたり、悪い者を挙げたが為めに、正しきものが現はれないと云ふことがある。貨幣などでもグレシヤム法と云つて、悪貨は善貨を駆逐して仕舞ふので悪貨が出ると善貨は隠れて現はれない。之を実際の例に取つて見ると色々ある、彼の日比谷の議会は悪い者を挙げたが為めにその結果も悪くなつた。併しこんなことを云ふとさしさわりが出来たりするからこの位にして置くが、昔の例に取るといくらもある。
 徳川幕府に於ても田沼意次が用ゐられた時代は幕府の政治の乱れた時である。これは直きを挙げ用ゐることをしなかつた為めである。田沼が老中の首座となり、其党水野出羽守忠友、米倉丹後守、稲葉越中守正明を要地に配し、宮中、府中の権を掌握し、己の意の如く振り廻さんとしたからである。併しながら、何時まで田沼をしてその権を擅にしては置かない。家治将軍の薨去と共にさしもの権力も消滅して仕舞つた。そして之れに代つたものは松平定信、楽翁と言はれた人である。田沼時代には官職を売買されたり賄賂は公然の秘密に行はれた。そして士民は日夜遊楽三昧に耽つて、世は挙つて堕落して、殆んど収拾することが出来ない程であつた。
 楽翁は誠実敦厚で、又清廉純潔の人であつた。為めに卓励風発的にこの弊風を一掃せんことを期し、質素倹約を勧め奢侈を禁じた。又士人の文武の教養を励ました。為めに士風が矯正されたのである。これなどは確かに直きを挙げたが為めに、下をして直からしめたものと云ふことが出来る。けれども、田沼の勢力は殿中に蟠居して居たので、楽翁でさへ自由に其手腕を発揮することが出来なかつた。のみならず寧ろ田沼の残党の為めに、楽翁も職を罷めなければならぬやうになつた。これは寛政五年で甚だ惜しむべきことであるが、正しき楽翁を挙げたことによつて、下をして正しくなし得たことは事実である。

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キーワード
田沼意次, 政治, 松平定信
デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.534-540
底本の記事タイトル:三五二 竜門雑誌 第四二一号 大正一二年六月 : 実験論語処世談(第六十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第421号(竜門社, 1923.06)
初出誌:『実業之世界』第20巻第2,3号(実業之世界社, 1923.02,03)