4. 玉乃渋沢を極諫す
たまのしぶさわをきょっかんす
(64)-4
私もこれに対しその行為を感謝するが、私の実業に就くと云ふことは、自分の為めに図るものとするのは誤解であつて、自分の為めにも図るが国の為めにも図る考へである。尤も微力で或は何も出来ないかも知れないが、出来る丈け努力をしたいと思つて居る。勿論官途に居るやうに素寒貧で居つては何事も出来ないから、富を有つて相当の位地を有つこと丈けはやる。併し如何に私が実業に従事したからと云つて、国家の富と、自分の富との区別丈けは知つて居る積りである。今は理財がなければ国家の富を図ることが出来ないものと感じて居るけれど、今も猶昔の家を出た時のやうに国の為めに尽さうとして居る。若し又この考へも違つて、偏に自分の為のみを図るやうな時があつたら、その時は諫めて下さい。けれども決してそんなことに誤らん積りであると云つた。そして精神的にも国家の富を殖さんと思ふことから論語の精神を以て銀行をやつて見たのである。かうして私を諫めて呉れた玉乃の如きは真に益友であると云ふことが出来る、
- デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.534-540
底本の記事タイトル:三五二 竜門雑誌 第四二一号 大正一二年六月 : 実験論語処世談(第六十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第421号(竜門社, 1923.06)
初出誌:『実業之世界』第20巻第2,3号(実業之世界社, 1923.02,03)