デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一

4. 玉乃渋沢を極諫す

たまのしぶさわをきょっかんす

(64)-4

 又、私が大蔵省を辞める時に忠告をして呉れたのもこの玉乃であつた。そして私が銀行者となる時に会見して忠告をして呉れた。その時に、渋沢の今日をなしたのは代々の百姓が自分の力でなつたと違つて立派な家柄を有つて居り、それに大蔵省に這入り、而も相当の才能があるのと、機会を得て有為の先輩の信認を得て昇進しつつある。故に朝にあつて活してさへ居れば、自分の意見も行はれ、才能は伸びるではないか。然るに何を苦んで政府に背いて去り、而も商売人となると云ふのが甚だその意を得ない。殊に商買人を見ると悪い者が多いのにその中に飛び込んで、之れを良くしようとしてもそれは一人の力では出来ない。従つてよい結果も得られるものではない。寧ろ知らず識らずの中に自分も之れに染められて赤くなるではないか。よしや金持になることが出来るかも知れんが、国家の為にはならんから初志を貫くことは止めたがよい。若しこの忠告を入れないで、何処迄もその位地を去るとせば、昔の観念を捨てたやうに思ふ、と云つて私の実業につくことを切実に諫めて呉れた。
 私もこれに対しその行為を感謝するが、私の実業に就くと云ふことは、自分の為めに図るものとするのは誤解であつて、自分の為めにも図るが国の為めにも図る考へである。尤も微力で或は何も出来ないかも知れないが、出来る丈け努力をしたいと思つて居る。勿論官途に居るやうに素寒貧で居つては何事も出来ないから、富を有つて相当の位地を有つこと丈けはやる。併し如何に私が実業に従事したからと云つて、国家の富と、自分の富との区別丈けは知つて居る積りである。今は理財がなければ国家の富を図ることが出来ないものと感じて居るけれど、今も猶昔の家を出た時のやうに国の為めに尽さうとして居る。若し又この考へも違つて、偏に自分の為のみを図るやうな時があつたら、その時は諫めて下さい。けれども決してそんなことに誤らん積りであると云つた。そして精神的にも国家の富を殖さんと思ふことから論語の精神を以て銀行をやつて見たのである。かうして私を諫めて呉れた玉乃の如きは真に益友であると云ふことが出来る、

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キーワード
玉乃世履, 渋沢栄一, 極諫
デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.534-540
底本の記事タイトル:三五二 竜門雑誌 第四二一号 大正一二年六月 : 実験論語処世談(第六十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第421号(竜門社, 1923.06)
初出誌:『実業之世界』第20巻第2,3号(実業之世界社, 1923.02,03)