デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一

3. 玉乃渋沢と議論して下らず

たまのしぶさわとぎろんしてくだらず

(64)-3

子貢問友。子曰。忠告而善道之。不可則止。毋自辱焉。【顔淵第十二】
(子貢友を問ふ。子曰く。忠告して善く之れを道く。不可なれば則ち止む。自ら辱めらるることなかれ。)
 本章は子貢が孔子に朋友に交る道を問うたのに対し、友の過ちに陥らんとする場合に之を忠告して善に道くやうにしなければならぬと教へ、若し又、朋友が忠告を用ゐなかつたならば、親兄弟などとその親しみに違ひがあるから、忠告を再びするものでない。さすれば辱を受けることもないと云ふことを教へられた。「君に屡々すれば疎んぜられ、友に屡々すれば辱めらる」と云ふことがあるのも之れで、一度忠告して聴かれなかつたならば、再びしないのが、朋友に交る順序であると云ふのである。
 併しこれも程度の問題であつて、どうしてもかうでなければならぬと云ふものでない。成る程、朋友は親子の関係の如きものでないけれども、事柄の軽重によつて屡々友を諫めることもあるべきもので、さう云ふ場合には、この論語の言葉に当て嵌めることは出来るものでない。或る時にはどうしても聞いて貰はなければならぬこともある。此処にはかう云ふ風に教へて居るけれども、朋友は時に兄弟よりもその交りが厚いものもある。故にこの文章にのみ拘泥して断ずることは出来ない。常識を以てかう云ふ点を判断すべきである。
 今私の友人の間に之れを求めて見ると、玉乃世履との関係である。玉乃は民部省、私は大蔵省であるが、相並んで昇進して来た関係から一方は法律家であり、私は実業家として立つたけれども親しく交りを続けて来た人である。殊に玉乃は漢学を好み、私も論語を読んで居る関係から時々教へを受けたこともある。又説を立てて論じ合つたこともあるが、其の中に面白いのは、米穀取引所の限月売買に就いての議論であつた。米穀取引所と云ふのは余り俗であると云ふので商社と直したこともある。この取引所の限月取引を玉乃さんは空米取引であるから法律を以て禁止しなければならぬと云ふ。私は成る程この取引は投機となることもあるかも知れないが、商であるから禁ずるものでないと云ふのである。併し玉乃は限月相場は禁止しなければならぬと云つて下らない。私と井上は之を禁止すべきものでなく、之れを禁止するのは心得違ひであると云つて下らない。所謂議論は結んで解けないと云ふ状態にあつた。
 処がその当時フランス人でボアソナードと云ふ法律家が来朝した。すると玉乃は直ちにこの人に就いて限月取引禁止の可否に就いて聞いた。其当時(明治七年)私は大蔵省を辞めて銀行家となつて居た時である。然るに或る日玉乃は私を訪ねて来たので、何故に来たかどうせ来るなら忙しくない時に来て貰ひ度いと云ふと、実は是非お前に改めて言ふから能く聴いて貰ひ度い。之れは決して負惜しみの為に云ふのではない。曾つてお前と限月取引の可否に就いて議論をしたが、お前の議論には到底承服することは出来なかつた。処が、今日になつて私の議論の間違つて居ることが判つたので、自分の不明を耻入つて居る訳だ。実はボアソナードに就いて、その可否を聞いた所、色々な例を引いて、限月取引は到底法律を以て禁止することが出来ないことを知つたので、今までの私の見解を捨てて、お前と井上の説に降伏すると云つた。そして今日になつて考へて見ると、井上とお前の二人に能く議論を戦はしたけれども、之れを法律的に説明して呉れないものだからどうしても私には承服することが出来ない処であつた。が、併しお前達は法律を知らないけれども、真の法律を有つて居たことが今日になつて初めて判つた。そして先見の明のあつたことを感心すると同時に、私の不明を謝すると言はれたことがある。私はこの言葉を聴いてかう云ふ人こそ本当の君子人だと思つた。如何にも私を知つて呉れるものならば、謝するにも吝ならぬと云ふことに敬服したのである。かうして見たならば玉乃は如何に高潔な人であつたかを推知することも出来る。

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デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.534-540
底本の記事タイトル:三五二 竜門雑誌 第四二一号 大正一二年六月 : 実験論語処世談(第六十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第421号(竜門社, 1923.06)
初出誌:『実業之世界』第20巻第2,3号(実業之世界社, 1923.02,03)