デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一

1. 直きを挙ぐれば下直くなる

なおきをあぐればしたなおくなる

(64)-1

樊遅問仁。子曰。愛人。問知。子曰。知人。樊遅未達。子曰。挙直錯諸枉能使枉者直。樊遅退。見子夏曰。郷也吾見於夫子而問知。子曰。挙直錯諸枉。能使枉者直。何謂也。子夏曰。富哉言乎。舜有天下。選於衆。挙皐陶。不仁者遠矣。湯有天下。選於衆。挙伊尹。不仁者遠矣。【顔淵第十二】
(樊遅仁を問ふ。子曰く。人を愛せよと。知を問ふ。子曰く。人を知れよと。樊遅未だ達せず。子曰く。直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむと。樊遅退いて、子夏を見て曰く。郷に吾れ夫子に見えて知を問ふ。子曰く。直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむと。何の謂ぞや。子夏曰く。富めるかな言や。舜、天下を有ち、衆に選び皐陶を挙ぐれば、不仁者遠かり、湯、天下を有ち、衆に選び伊尹を挙げて、不仁者遠ざかれり。)
 この章句は最も判り易く、仁知を説いたものである。樊遅が仁を問うたに対して孔子は人を愛せよと云つた。又知を問うたのに対して人を知れと答へた。即ち仁をなさうとするには、人を愛すると云ふことが先きにしなければならぬ。知を知るには人を知ることが先きでなければならぬと答へた。けれども孔子の此答は余りに平凡なので之れを疑つた。すると孔子は更に直き者を上に置くと、下にある枉れるものも之れに感化されて直くなると説かれた。即ち良い者を挙げて之れを尊重して居ると、その下にあるものは何故に彼が尊重されるのであらうかと考へる。そして彼は正しい為めに挙げられ、而も尊重されるのだと云ふことが判る。そこで自分も又かうならうと云ふ風になる。例へば正直な人が上に挙げられて尊重されると、彼の人は正直だからであると思つて下のものも之れに倣つて正直になる。勉強する人が上にあれば、他の人も皆勉強するやうになり、社会の人も亦その通りになるものである。
 けれども樊遅は未だその意を覚ることが出来なかつたので、子夏に向つて更に、私が先きに孔子に知を問うたが、その答へには直きを挙げて枉れる者を錯けば能く枉つたものを直くすると言はれたが、之はどういふことであらうか、子夏は之れを聴いて先づ孔子の答へのたつぷりとした言葉であると感歎した。そして舜が天下を治める時に、衆人の中から皐陶を選んで挙げたが為めに、民は化して仁人となつた。又湯が天下を治める時に、衆人の中から伊尹を選んで用ゐたが為めに不仁者は隠れて現はれなかつた。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(64) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.534-540
底本の記事タイトル:三五二 竜門雑誌 第四二一号 大正一二年六月 : 実験論語処世談(第六十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第421号(竜門社, 1923.06)
初出誌:『実業之世界』第20巻第2,3号(実業之世界社, 1923.02,03)