デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
1節 外遊
1款 清国行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治10年1月26日
(1877年)
第25巻 p.5(DK250001k)
是ヨリ先、清国政府ハ我政府ニ一千万円ノ借款ヲ要請ス。栄一之ニ応ゼンコトヲ大蔵卿大隈重信ニ慫慂シ、政府ハ第一国立銀行頭取タル栄一ト、三井物産会社長益田孝トニソノ交渉ヲ委任ス。更ニ清国招商局ヨリモ借款ノ交渉アリ、政府ハ合セテ之ヲ両人ニ委託セリ。
是日栄一、益田孝ト共ニ上海ニ赴キ、二月十二日調印ヲ了セシモ、招商局ノ借款ハ不調ニ終リ、二十六日帰朝ス。後清国政府モ前約ヲ破棄ス。
2款 韓国行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治31年4月23日
(1898年)
第25巻 p.6-11(DK250002k)
是日栄一、東京ヲ発シテ韓国視察ノ途ニ上ル。五月七日京城ニ於テ韓国皇帝ニ謁シ、同月三十日帰京ス。
明治33年10月30日
(1900年)
第25巻 p.11-57(DK250003k)
是日栄一、東京ヲ発シ韓国ニ赴キ、十一月十一日京城ニ於テ韓国皇帝ニ謁シ、帰途九州及ビ京阪地方ヲ視察シテ十二月十二日帰京ス。
明治39年6月8日
(1906年)
第25巻 p.58-74(DK250004k)
是日栄一、東京ヲ発シテ韓国視察ノ途ニ上ル。二十八日京城ニ於テ韓国皇帝ニ謁シ、七月十八日帰京ス。
3款 欧米行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年4月5日
(1902年)
第25巻 p.75-115(DK250005k)
是ヨリ先、栄一欧米漫遊ヲ計画ス。是日全国商業会議所聯合会ハ栄一ニ託スルニ彼我商工業者間ニ意志ノ疏通ヲ図ルコトヲ以テセリ。八日同会主催渋沢男爵欧米漫遊送別会帝国ホテルニ催サル。当日ノ会長大倉喜八郎ノ送別ノ演説ニ対シテ栄一答辞ヲ述ブ。
十二日清水満之助主催送別会、十八日伯爵井上馨主催送別会、二十日正午男爵尾崎三良主催送別会、同夜朝鮮協会主催送別会、二十一日日本勧業銀行総裁高橋新吉主催送別会、二十三日日本鉄道株式会社重役主催送別会、二十四日親戚及ビ関係会社員主催送別会、二十五日日本銀行重役主催送別会、二十六日日本女子大学校送別会、二十七日竜門社主催送別会、二十八日東京銀行集会所等主催送別会、二十九日横浜正金銀行主催送別会、三十日三井男爵家主催送別会、五月一日東京商業会議所主催送別会、二日朔日会主催送別会、三日正午埼玉学生誘掖会主催送別会、同夜商工経済会等主催送別会、四日深川区有志者主催送別会、五日正午内閣総理大臣伯爵桂太郎主催送別会、同夜大倉喜八郎主催送別会、六日渋沢喜作主催送別会、七日正午三好退蔵主催送別会、同夜キルビー主催送別会催サレ、八日飛鳥山邸ニ留別会ヲ開キ、十一日荘田平五郎等主催送別会、十二日東京市長松田道之主催送別会催サル。
明治35年5月15日
(1902年)
第25巻 p.115-140(DK250006k)
是日栄一、東京ヲ発シ横浜ヨリ乗船、アメリカニ向フ。二十三日ハワイニ寄港、在留邦人商人同志会ノ歓迎会ニ出席シ、翌二十四日出帆、サンフランシスコニ向フ。
明治35年5月30日
(1902年)
第25巻 p.141-178(DK250007k)
是日栄一、サンフランシスコニ着ス。六月三日同地発、八日シカゴ着。十日シカゴヲ発シ、ピッツバーグ、フィラデルフィアヲ経テ、十三日ニューヨークニ向フ。
明治35年6月13日
(1902年)
第25巻 p.178-249(DK250008k)
是日栄一、ニューヨークニ着ス、十五日同地ヲ発シテワシントンニ抵リ、十六日同国大統領ルーズヴェルトニ白亜館ニ謁ス、蓋シ大統領ガ官命ヲ帯ビザル外人ヲ引見スルハ異例ナリト云フ。此時大統領大ニ日本ノ美術ノ精妙ト軍隊ノ勇武トヲ称揚ス。栄一之ニ答ヘテ、己ハ専ラ商工業ニ従事スル者ナレバ、自今ソノ発達ニ勉メ、以テ他日斯業ニツキ称讚セラレンコトヲ期スル旨ヲ述ブ。畢リテマウント・ヴァーノンニ赴キ同国国祖ワシントンノ墓ニ詣デ、同夜出発シテ十七日ニューヨークニ帰着、二十一日同地ヲ発シテナイアガラニ赴キ、二十三日再ビニューヨークニ帰ル、二十四日ニューヨーク商業会議所会頭ジェサプ、同理事委員長スミス主催ノ歓迎会ニ出席シ、今後両国商工業者ノ交誼ヲ益々親密ナラシメンコトヲ力説ス。二十六日ニューヨークヲ発シテ近傍ノ諸市ヲ巡覧シ、二十八日四度ニューヨークニ入ル。
明治35年7月2日
(1902年)
第25巻 p.249-317(DK250009k)
是日栄一、ニューヨークヲ発シテイギリスニ向フ。十日リヴァプールニ着シ、即日ロンドンニ入ル。二十五日ロンドン商業会議所ニ抵ル。同会議所ハ栄一ノ為メ特ニ臨時総会ヲ開ク。栄一我国経済界発達ノ状ヲ述べ、且ツ漸次清・韓両国ニ向ツテ事業ヲ拡張セントスルヲ以テ、イギリスノ協同戮力ヲ求ムル旨ヲ演説ス。夜、ロンドン市長サー・ダムズ・デール主催晩餐会ニ臨ム。三十日ロンドンヲ発シテスコットランド周遊ノ途ニ上ル。八月七日再ビロンドンニ入リ、十九日ロンドンヲ発シテ大陸ニ渡ル。
明治35年8月19日
(1902年)
第25巻 p.317-340(DK250010k)
是日栄一、ロンドンヲ発シテベルギーニ入リ、ブラッセルニ着ス。二十四日ブラッセルヲ発シテドイツニ入リ、二十七日ベルリンニ着ス。三十日ベルリン商業会議所会頭ヘルツヲ其自邸ニ訪ヒ、意志疏通ニツキ説明ニ努ム。三十一日ベルリンヲ発シ、ハンブルグヲ経テ、九月二日再ビイギリスニ向フ。
明治35年9月3日
(1902年)
第25巻 p.340-371(DK250011k)
是日栄一、四度ロンドンニ入ル。七日同地ヲ発シテフランスニ向ヒ、パリニ入リ、十五日同地ヲ発シテリヨンニ着シ、十七日同地ヲ発シテ翌十八日イタリーニ向ヒ、ローマニ入ル。
明治35年9月20日
(1902年)
第25巻 p.371-414(DK250012k)
是日栄一、ローマヲ発シ、二十一日ブリンヂシヨリ乗船、二十四日ポートサイド着、翌二十五日同港出帆、十月八日コロンボ着、九日同港発、十六日シンガポール着、十八日同港発、二十三日香港着、二十五日同港発、三十日神戸ニ上陸、三十一日帰京ス。
明治35年11月8日
(1902年)
第25巻 p.414-452(DK250013k)
是日東京商業会議所主催渋沢男爵帰朝歓迎会同会議所ニ開カル。栄一見聞スル所ヲ詳細ニ演述ス。十一月六日日本倶楽部晩餐会、十八日日本貿易協会主催歓迎会、二十日同気倶楽部主催歓迎会、二十二日深川区有志者主催歓迎会、二十三日竜門社主催歓迎会、二十七日東京銀行集会所等主催歓迎会、二十九日東京高等商業学校職員主催歓迎会、十二月一日朔日会主催歓迎会催サレ、八日臨時商業会議所聯合会ニ渡欧ノ報告ヲナス。更ニ十二日東京高等商業学校同窓会主催歓迎会、十三日八王子商業会議所等主催歓迎会等催サル。尚、翌三十六年三月二十一日国家学会総会ニ臨ミ、欧米視察談ヲ講演ス。
明治35年11月29日
(1902年)
第25巻 p.452(DK250014k)
是日栄一、午前十時三十分宮中ニ参内シ、天皇陛下ニ拝謁仰付ラル。蓋シ栄一ガ欧米旅行ヨリ帰朝セシニヨリ此事アリシモノナルベシ。
明治38年11月9日
(1905年)
第25巻 p.452-453(DK250015k)
是日栄一、明治三十五年欧米旅行ニ際シ、外国ニ於テ配慮ヲ被リタル人々ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ晩餐会ヲ開ク。
明治39年11月19日
(1906年)
第25巻 p.453(DK250016k)
是日栄一、明治三十五年渡欧ノ際ニ被リタル配慮ヲ謝スルタメ、子爵林董夫妻等ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ宴ヲ開ク。
2節 国際団体及ビ親善事業
1款 喜賓会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年3月
(1893年)
第25巻 p.454-465(DK250017k)
是月栄一、侯爵蜂須賀茂韶・益田孝等ト共ニ外客誘致ノ目的ヲ以テ喜賓会ヲ設立シ、其幹事長トナル。
明治33年6月5日
(1900年)
第25巻 p.465-466(DK250018k)
是日栄一、喜賓会幹事会ニ出席シ、規則修正及ビ会員増募ノ事ヲ議ス。翌三十四年ニ亘リ会員募集ノタメニ尽力ス。
明治35年5月
(1902年)
第25巻 p.466-467(DK250019k)
是月、喜賓会幹事長ヲ改メテ副会長トナス。栄一之ニ就ク。
明治36年5月29日
(1903年)
第25巻 p.467-468(DK250020k)
是日喜賓会常務委員会開カル。栄一出席シテ同会事業拡張ノ方法ニ就テ協議ス。
明治36年8月24日
(1903年)
第25巻 p.468-469(DK250021k)
是日喜賓会役員会、東京商業会議所内同会本部ニ催サル。寄附金募集ノ件ヲ協議ス。
明治39年1月17日
(1906年)
第25巻 p.469-470(DK250022k)
是日喜賓会新年役員会、日本橋区浜町日本橋倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
明治39年5月11日
(1906年)
第25巻 p.470(DK250023k)
是日喜賓会役員会東京商業会議所ニ開カル。栄一出席ス。
明治39年10月15日
(1906年)
第25巻 p.470-471(DK250024k)
是日栄一喜賓会役員会ニ出席、議事数項ヲ決ス。
明治40年1月28日
(1907年)
第25巻 p.471(DK250025k)
是日喜賓会新年役員会、丸ノ内日本倶楽部ニ開カル。栄一出席シ議事数項ヲ決ス。
2款 日露協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年11月27日
(1902年)
第25巻 p.472(DK250026k)
是日栄一、日露協会相談役トナリ、明治三十七年十月之ヲ辞ス。
明治41年10月7日
(1908年)
第25巻 p.472-473(DK250027k)
是日、当協会主催ロシア特命全権大使マレウヰチ(Senateur Nicolas Malewsky Malewitch)歓迎晩餐会、芝公園内紅葉館ニ開カレ栄一、之ニ出席ス。
3款 日印協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年12月
(1903年)
第25巻 p.474-476(DK250028k)
是月、日印協会設立セラレ、栄一其会員トナル。
4款 在米日本人会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年12月
(1908年)
第25巻 p.477-478(DK250029k)
是ヨリ先本年二月、サンフランシスコニ在米日本人会設立セラレ、参事員渡辺金三ヲ派遣シテ、日本ノ諸団体ト聯絡ヲ執ラシム。栄一同会ノ挙ヲ賛シ、金一千円ヲ寄附ス。九日渡辺帰米ノ途ニ就ク。
3節 外賓接待
1款 アメリカ前大統領グラント将軍夫妻歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治12年7月3日
(1879年)
第25巻 p.479-485(DK250030k)
是日アメリカ前大統領ユーリシーズ・シムプソングラント将軍(General Ulysses Simpson Grant)入京ス。栄一東京接待委員総代ノ一人トシテ、之ヲ新橋駅ニ迎フ。
明治12年7月4日
(1879年)
第25巻 p.485-486(DK250031k)
是日東京在留ノアメリカ人、同国独立第百三回記念夜会ヲ上野精養軒ニ開キ、来朝中ノグラント将軍夫妻ヲ招請ス。栄一招待セラレテ出席ス。
明治12年7月8日
(1879年)
第25巻 p.486-494(DK250032k)
是日東京府民主催グラント将軍歓迎夜会、虎ノ門工部大学校ニ開カル。栄一東京接待委員長トシテ斡旋ス。
明治12年7月16日
(1879年)
第25巻 p.494-501(DK250033k)
是日、東京府民主催グラント将軍歓迎観劇会ヲ新富座ニ催ス。栄一東京接待委員長トシテ斡旋ス。
明治12年8月1日
(1879年)
第25巻 p.501-502(DK250034k)
是日横浜居留外国人主催グラント将軍招待夜会横浜山手公園ニ開カル。栄一臨席ス。
明治12年8月5日
(1879年)
第25巻 p.502-507(DK250035k)
是日栄一、グラント将軍ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催ス。
明治12年8月25日
(1879年)
第25巻 p.507-537(DK250036k)
是日、東京府民ハ上野公園ニ明治天皇ノ臨幸ヲ仰ギ、又グラント将軍夫妻ヲ招請ス。栄一御臨幸委員総代トシテ斡旋ス。
明治12年8月26日
(1879年)
第25巻 p.537-538(DK250037k)
是日栄一、横浜駐在アメリカ総領事トーマス・ヴァン・ビューラン(Thomas B. Van Buren)主催ノ夜会ニ臨ム。グラント将軍モ臨席ス。
2款 ハワイ国皇帝カラカウァ招待
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治14年3月12日
(1881年)
第25巻 p.539-546(DK250038k)
是日栄一、ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ(David Kalakawa)ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ茶菓ヲ呈ス。次イデ十三日紅葉館ニ饗宴催サレ、栄一出席ス。
3款 ドイツ皇族フリィードリッヒ・レオポルド招待
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年4月4日
(1887年)
第25巻 p.547-548(DK250039k)
是日栄一、ドイツ皇族フリィードリッヒ・レオポルド(Friedrich Leopold)ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ晩餐会ヲ催ス。
4款 ロシア皇太子ニコライ歓迎準備
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治24年4月20日
(1891年)
第25巻 p.549-550(DK250040k)
ロシア皇太子ニコライ(Nikolai Alexander)御来遊ニツキ、是日東京府下ノ紳商二十余名、銀行集会所ニ於テ歓迎準備ノ協議ヲナス。栄一委員ニ選バル。
5款 イギリス前海軍大臣伯爵スペンサー歓招会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年4月11日
(1896年)
第25巻 p.551-553(DK250041k)
是日、東邦協会主催イギリス前海軍大臣伯爵スペンサー(John Poyntz Spencer)歓招会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、演説ヲナス。
6款 イギリス聯合商業会議所派遣員チャールス・ベレスフォード歓迎会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年1月21日
(1899年)
第25巻 p.554(DK250042k)
是日東京商業会議所、東邦協会ト聯合シテ、清国視察ノ為メ英国聯合商業会議所ヨリ派遣セラレタルチャールス・ベレスフォード(Charles Beresford)ノ歓迎会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一東京商業会議所ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
7款 アメリカ海軍少将フレデリック・ロッジャース歓迎会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年7月23日
(1901年)
第25巻 p.555-558(DK250043k)
是日東京市有志主催ニカカルアメリカ海軍少将フレデリック・ロッジャース(Frederick Rogers)歓迎会、上野精養軒ニ開カレ、栄一東京商業会議所会頭トシテ東京府知事男爵千家尊福・東京市長松田秀雄ト共ニ出席、歓迎文ヲ贈呈シ、其宴席ニ於テ歓迎演説ヲナス。
8款 清国皇族貝子載振招待
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年5月21日
(1903年)
第25巻 p.559(DK250044k)
是ヨリ先、本年三月一日ヨリ大阪ニ開催中ノ第五回内国勧業博覧会見物及ビ本邦視察ノ為メ渡来セラレタル清国皇族貝子載振ヲ、是日銀行倶楽部ニ招待ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
9款 アメリカ陸軍大臣ウイリアム・タフト歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年7月27日
(1905年)
第25巻 p.560-564(DK250045k)
是日、京浜間実業家主催ノ米国貴賓招待会紅葉館ニ開カレ、アメリカ陸軍大臣ウイリアム・タフト(William Howard Taft)及ビ同国大統領セオドル・ルーズヴェルト(Theodor Roosevelt)ノ息女ヲ招待ス。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
明治40年9月30日
(1907年)
第25巻 p.564-584(DK250046k)
是日、東京市有志主催ニヨル米国陸軍大臣タフト歓迎晩餐会帝国ホテルニ催サル。栄一出席シテ有志総代トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
10款 イギリス皇族アーサー・コンノート歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年2月24日
(1906年)
第25巻 p.585-591(DK250047k)
是ヨリ先、イギリス皇族、アーサー・コンノート(Arthur of Connaught)明治天皇ニガーター勲章贈進ノ命ヲ奉ジテ渡来ス。栄一等都下実業界ノ有力者相謀リテ、是日、其歓迎会ヲ歌舞伎座ニ催ス。栄一委員トシテ歓迎ノ辞ヲ呈ス。
11款 カナダ駅逓総監兼労働事務大臣レミュー歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年12月3日
(1907年)
第25巻 p.592-607(DK250048k)
是日、東京市有志主催ニヨルカナダ駅逓総監兼労働事務大臣レミユー歓迎会、華族会館ニ開カル。栄一出席シ有志総代トシテ挨拶ヲ述ブ。
12款 アメリカ大西洋艦隊歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年10月22日
(1908年)
第25巻 p.608-614(DK250049k)
是ヨリ先、アメリカ大西洋艦隊来航ス。是日、東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部合同シテ其歓迎演芸会ヲ歌舞伎座ニ開ク。栄一、主催団体ヲ代表シテ歓迎文ヲ朗読ス。此前後ニ亘リ各所ニ催サレタル歓迎会ニ出席シ、又其準備ニ尽力ス。
13款 アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年10月16日
(1908年)
第25巻 p.615-629(DK250050k)
是ヨリ先、東京・大阪・京都・横浜・神戸ノ各商業会議所ハアメリカ太平洋沿岸諸都市ノ商業会議所代表者ヲ招請シ、是月十二日代表委員一行来着ス。仍ツテ十四日、右五商業会議所ハ聯合主催シテ紅葉館ニ歓迎晩餐会ヲ開キ、翌十五日、横浜正金銀行ハソノ歓迎晩餐会ヲ開ケリ。栄一毎回出席シタルモ、是日個人トシテ一行ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催シ挨拶ヲ述ブ。次イデ十九日男爵岩崎久弥主催歓迎会其ノ深川邸ニ催サレ、翌二十日浅野総一郎主催歓迎午餐会芝区田町ノ同邸ニ開カレ、栄一毎次出席ス。更ニ十一月五日栄一同委員会長ドールマン(F. W. Dorman)ヲ帝国ホテルニ訪ヒ、翌六日再ビ訪問ス。
明治41年10月20日
(1908年)
第25巻 p.629(DK250051k)
是日、東京銀行集会所同盟銀行有志ハ米国太平洋沿岸商業会議所代表委員一行ヲ銀行倶楽部ニ招待シテ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シ、主人側ヲ代表シテ演説ス。
14款 其他ノ外国人接待
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治12年4月16日
(1879年)
第25巻 p.630(DK250052k)
是日栄一、アルウインヲ深川邸ニ招ク。参議井上馨等同席ス。
明治12年6月13日
(1879年)
第25巻 p.630-631(DK250053k)
是日栄一、福地源一郎・益田孝・岩崎弥太郎・三野村利助ト共ニ香港領事ヘンネシーヲ深川大工町三井家ノ別業ニ請ジテ午餐会ヲ開ク。参議内務卿伊藤博文・参議大蔵卿大隈重信・参議工部卿井上馨等出席ス。
明治13年2月16日
(1880年)
第25巻 p.631-633(DK250054k)
是日栄一、アメリカ人ディケンス夫妻ヲ飛鳥山ノ別邸ニ請ジテ午餐会ヲ開キ日本料理ヲ供ス。参議大隈重信・参議井上馨出席ス。
明治13年2月20日
(1880年)
第25巻 p.633(DK250055k)
是日栄一、イギリス代理公使ケネディー及ビ裁判官レネヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治13年8月29日
(1880年)
第25巻 p.633-638(DK250056k)
是日栄一、清国特命全権公使何如璋・韓国人金宏集・弁理公使花房義質及ビ都下知名ノ文人等三十余名ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催ス。此時、阪谷朗廬此邸ヲ曖依村荘ト名ヅク。
明治13年11月30日
(1880年)
第25巻 p.638-639(DK250057k)
是日栄一、アメリカ人オルシキール、ションボール等ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催ス。
明治14年4月21日
(1881年)
第25巻 p.639(DK250058k)
是日栄一、アメリカ人アルウインヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催ス。大蔵卿佐野常民・益田孝等出席ス。
明治14年7月15日
(1881年)
第25巻 p.639-640(DK250059k)
是日栄一、韓国人朴定陽・魚允中等ノ一行ヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治14年11月22日
(1881年)
第25巻 p.640(DK250060k)
是日栄一、イギリス代理公使ゴルドン・ケネディ夫妻及ビアメリカ特命全権公使ジョン・ビンガム夫妻ノ一行ヲ招ク。
明治14年11月28日
(1881年)
第25巻 p.640-641(DK250061k)
是日栄一、韓国信使一行ヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治17年12月1日
(1884年)
第25巻 p.641-642(DK250062k)
是日栄一、清国特命全権公使黎庶昌ノ一行ヲ招ク。
明治17年
(1884年)
第25巻 p.642-644(DK250063k)
十六年初夏、朝鮮ヨリ金玉均外債募集ニ就イテ来邦セシモ成ラズ、栄一借款ニ応ゼントシタル如キモマタ成ラズシテ是年初メ帰国セリ。年末ニ至リ京城変乱アリ、金ハ本邦ニ亡命ス。栄一諭スニ天津ニ行キ李鴻章ニ頼ルベキヲ以テセシモ応ゼズ。金玉均ハ在留十年ノ後、上海ニ去ル。
明治18年7月18日
(1885年)
第25巻 p.644(DK250064k)
是日栄一、清国特命全権公使徐承祖等ヲ深川福住町邸ニ請ジ晩餐会ヲ開ク。外務卿井上馨等出席ス。
明治18年12月1日
(1885年)
第25巻 p.644-645(DK250065k)
是日栄一、清国特命全権公使徐承祖等ヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治19年5月9日
(1886年)
第25巻 p.645(DK250066k)
是日栄一、清国特命全権公使徐承祖等ヲ招ク。
明治20年4月14日
(1887年)
第25巻 p.645(DK250067k)
是日栄一、清国特命全権公使徐承祖等ヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治20年12月8日
(1887年)
第25巻 p.645-646(DK250068k)
是日栄一、清国特命全権公使及ビ榎本武揚等ヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治25年11月2日
(1892年)
第25巻 p.646(DK250069k)
是日、東京商業会議所主催アメリカニューヨーク商業会議所会頭チャールズ・スミス招待園遊会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一歓迎ノ演説ヲナス。
明治28年3月16日
(1895年)
第25巻 p.646(DK250070k)
是日、東京商業会議所主催ロシア高等参事官ザブーキン招待会紅葉館ニ開カル。栄一歓迎ノ演説ヲ為ス。
明治30年10月17日
(1897年)
第25巻 p.646-647(DK250071k)
是ヨリ先、フランスノ実業家アルベール・カーン来朝シ栄一ヲ兜町邸ニ訪ヒ、更ニ是日王子邸ニ催サレタル竜門社第十九回総会ニ臨席ス。次イデ翌十一月十九日、栄一、大倉喜八郎ト共ニ葵町大倉邸ニ同人ヲ招待シテ送別ノ宴ヲ開ク。
明治31年6月23日
(1898年)
第25巻 p.647(DK250072k)
是日栄一、東京商業会議所会頭トシテアメリカフィラデルフィア商品陳列館通信部副長シー・グリーンヲ兜町邸ニ引見シ、翌三十二年六月同市ニ開カルベキ万国商業聯合会ヘ委員派遣ノ事並ニ両国間貿易ノ事ニ就イテ談ズ。
明治32年2月2日
(1899年)
第25巻 p.647-648(DK250073k)
是日栄一、清国天津在留フランス商人ヒリッポヲ新橋花月楼ニ招待シテ晩餐会ヲ開ク。
明治32年2月16日
(1899年)
第25巻 p.648(DK250074k)
是日栄一、韓国義和宮・安駧寿ヲ招ズ。席上義和宮過般栄一ヨリ学資ヲ贈ラレタルヲ深謝ス。
明治32年5月19日
(1899年)
第25巻 p.648-650(DK250075k)
是ヨリ先、ロンドン日本協会副会頭アーサー・デオシー来朝、是月十三日新宿御苑ニ歓迎園遊会催サレ、栄一参列ス。更ニ是日、洲崎養魚場ニ招ジテ釣魚ヲ試ミ、後、深川本邸ニ於テ晩餐会ヲ開ク。
明治33年9月9日
(1900年)
第25巻 p.650(DK250076k)
是日栄一、インドノ豪商アール・ディ・タタヲ深川邸ニ請ジテ晩餐会ヲ開ク。後、十月十六日帝国ホテルニ開カレタル、タタ主催晩餐会ニ臨ム。
明治33年9月27日
(1900年)
第25巻 p.650(DK250077k)
是日栄一、韓国特命全権公使趙乗式ヲ深川邸ニ招ク。
明治34年5月28日
(1901年)
第25巻 p.650-658(DK250078k)
是日栄一、イギリス評論雑誌レビュー・オブ・レビューズ記者アルフレット・ステット夫妻ヲ案内シテ東京市養育院ヲ参観セシメ、後飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開ク。次イデ六月十七日、ステットヲ案内シテ日本女子大学校ヲ参観セシメ、後、共ニ伯爵大隈重信邸ニ於ケル午餐会ニ臨ム。
明治34年10月7日
(1901年)
第25巻 p.658-661(DK250079k)
是日栄一、アメリカ基督教青年会幹事ジョン・モット博士ヲ案内シテ東京市養育院ヲ参観セシメ、且ツ日本ノ青年ニ関シテノ感想ヲ述ブ。
明治36年4月16日
(1903年)
第25巻 p.661-662(DK250080k)
是日、イギリス人ステアーン飛鳥山邸ニ来訪ス。
明治36年6月18日
(1903年)
第25巻 p.662(DK250081k)
是日栄一、アメリカ絹業協会会長コングトン及ビ同出納長ホーマーヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催ス。
明治36年8月25日
(1903年)
第25巻 p.662(DK250082k)
東洋汽船株式会社サンフランシスコ支店長エブリー来朝中ノ所、是日帰国スルニ付、栄一、夫人兼子ヲシテ之ヲ横浜港ニ見送ラシム。
明治37年11月15日
(1904年)
第25巻 p.662-663(DK250083k)
是日栄一、韓国公使館員等ヲ飛鳥山邸ニ招ク。
明治38年8月7日
(1905年)
第25巻 p.663(DK250084k)
是日栄一、韓国人閔丙奭等ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開ク。
明治38年9月12日
(1905年)
第25巻 p.663-667(DK250085k)
是ヨリ先、アメリカ南太平洋鉄道会社社長ハリマン南満洲鉄道譲受ノ目的ヲ以テ渡来ス。是日栄一、同人夫妻ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ茶会ヲ催ス。
明治38年10月21日
(1905年)
第25巻 p.667-669(DK250086k)
是日、東京在住実業家主催イギリス東洋艦隊司令長官海軍中将ノーエル以下乗組士官歓迎会歌舞伎座ニ開カル。栄一其委員総代トナリシモ、病ニヨリ出席セズ。
明治38年11月10日
(1905年)
第25巻 p.669(DK250087k)
是日栄一、横浜在留ノ外国銀行家等ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ催ス。
明治39年2月2日
(1906年)
第25巻 p.669-670(DK250088k)
是日栄一、韓国報聘大使完順一行ヲ飛鳥山邸ニ招ジテ晩餐会ヲ開ク。
明治39年4月10日
(1906年)
第25巻 p.670-675(DK250089k)
是日栄一、アメリカクーン・ロープ商会社長ジェコブ・シフヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開ク。此前後ニ亘リ各所ニ催サレタルシフノ招宴ニ出席ス。
明治39年5月8日
(1906年)
第25巻 p.675(DK250090k)
是日栄一、第一銀行主催ニヨル韓国皇族義親王及ビ統監侯爵伊藤博文等ノ招待晩餐会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。
明治39年5月9日
(1906年)
第25巻 p.675-676(DK250091k)
是日栄一、横浜在住ノ外国商人イー・デビス他十名ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開ク。
明治39年10月12日
(1906年)
第25巻 p.676-677(DK250092k)
是日栄一、伯爵井上馨等ト共ニドイツ国会議員等ヲ、内田山ナル井上邸ニ請ジテ歓迎園遊会ヲ催ス。
明治39年11月10日
(1906年)
第25巻 p.677-683(DK250093k)
是日栄一、-アメリカ、エール大学名誉教授ジョージ・ラドヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開キ、商業道徳ニ関スル談話ヲ交換ス。
明治39年12月12日
(1906年)
第25巻 p.683(DK250094k)
是日栄一、第一銀行ヲ代表シ、韓国特命大使李址鎔夫妻及ビ一行ヲ飛鳥山邸ニ招宴ス。
明治40年4月20日
(1907年)
第25巻 p.683-684(DK250095k)
是日栄一、救世軍大将ウイリアム・ブースヲ飛鳥山邸ニ招イテ午餐会ヲ催ス。
明治40年5月12日
(1907年)
第25巻 p.684-685(DK250096k)
是日、王子曖依村荘ニ開カレタル竜門社第三十八回春季総会ニ韓国宮内府参書官沈璋変以下二十九名ヲ招請シ、栄一午餐ヲ共ニシ挨拶ヲ述ブ。
明治40年6月26日
(1907年)
第25巻 p.685(DK250097k)
是日栄一、フランス人フォツセート兜町ノ事務所ニテ会見ス。
明治40年8月6日
(1907年)
第25巻 p.685-686(DK250098k)
是日栄一、東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営ト共ニアメリカ特命全権大使ラック・イー・ライト送別晩餐会ヲ三井集会所ニ催セシガ、病ニヨリ出席セズ。
明治40年10月24日
(1907年)
第25巻 p.686-687(DK250099k)
是ヨリ先本月十八日、インド豪商アール・ディ・タタ栄一ヲ兜町ノ事務所ニ訪フ。是日栄一、同夫妻ヲ飛鳥山邸ニ招イテ晩餐会ヲ開ク。次イデ十一月二日、同人ノ催セル帝国ホテルニ於ケル晩餐会ニ出席ス。
明治40年11月11日
(1907年)
第25巻 p.687(DK250100k)
是日栄一、イギリス人ハエン及ビセールノメトロポール・ホテルニ催シタル午餐会ニ出席ス。
明治40年11月11日
(1907年)
第25巻 p.687-690(DK250101k)
是日栄一、フランス主要銀行代表者、パリ・オランダ銀行副支配役フィナリーヲ飛鳥山邸ニ招イテ送別晩餐会ヲ開ク。此前後ニ亘リ各所ニ於ケル招宴ニ出席シ、マタ屡々面談ス。蓋シ日仏銀行設立ノ始ナリ。
明治40年12月3日
(1907年)
第25巻 p.690-692(DK250102k)
是日栄一、京浜銀行家有志ト共ニロシア前大蔵大臣シボフ等招待午餐会ヲ坂本町銀行倶楽部ニ開キ、出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治41年4月10日
(1908年)
第25巻 p.692-693(DK250103k)
是日栄一、アメリカ人ハイドヲ飛鳥山邸ニ招ジテ午餐ヲ共ニス。
明治41年5月10日
(1908年)
第25巻 p.693-694(DK250104k)
是ヨリ先、フランス人アンドレ・ゴアン、株式会社第一銀行ニ入リテ銀行事務ヲ視察ス。同人近ク帰国セントスルニヨリ、是日栄一、飛鳥山邸ニ招ジテ送別午餐会ヲ開ク。
明治41年6月15日
(1908年)
第25巻 p.694-696(DK250105k)
是日栄一、フランス伯爵夫人ベアルーンヲ飛鳥山邸ニ招ジテ午餐会ヲ開ク。宴終リテ後、夫人ヲ案内シテ東京市養育院及ビ日本女子大学校ヲ参観セシム。次イデ同月二十一日夫人ノ招待ニ応ジ横浜港ニ碇泊スルソノ乗船ニルヴァナ号ヲ訪フ。
明治41年7月24日
(1908年)
第25巻 p.696(DK250106k)
是日、日本銀行主催フランス人ウラール及ビジュバール歓迎午餐会日本橋区新堀町同行倶楽部ニ開カレ、栄一臨席ス。
明治41年7月28日
(1908年)
第25巻 p.696(DK250107k)
是日栄一、ニューヨーク・ヘラルド新聞記者アウルヲ兜町ノ事務所ニ引見シ、日本ノ経済界ノ現状ニ就キ談話ス。
明治41年12月27日
(1908年)
第25巻 p.696-698(DK250108k)
是日栄一、フランス実業家アルベール・カーンニ日本女子大学校及ビ東京市養育院ヲ参観セシメ、後、飛鳥山邸ニ招ジテ午餐会ヲ催ス。此前後ニ亘リ各所ニ催サレタルカーン歓迎会ニ出席ス。
明治42年3月4日
(1909年)
第25巻 p.698-700(DK250109k)
是日栄一、韓国特使閔丙奭・韓国統監伊藤博文ソノ他ヲ飛鳥山別邸ニ招ク。
明治42年4月24日
(1909年)
第25巻 p.700-703(DK250110k)
是日栄一、韓国京城日報社主催ニヨル日本観光団一行ヲ飛鳥山邸ニ招待シテ午餐会ヲ催シ、席上挨拶ヲナス。
明治42年5月29日
(1909年)
第25巻 p.703(DK250111k)
是日、日本銀行総裁男爵高橋是清主催ロンドン・タイムズ記者ヴァレンタイン・チロル招待午餐会同行集会所ニ開カレ、栄一出席ス。
明治42年6月5日
(1909年)
第25巻 p.703-706(DK250112k)
是日栄一、男爵岩崎小弥太等ト謀リアメリカ前副大統領チャールズ・フェアバンクスヲ東京銀行倶楽部ニ請ジテ歓迎晩餐会ヲ催ス。栄一、主催者総代トシテ挨拶ヲ述ブ。是ヨリ先、各所ニ催サレタル同人ノ歓迎会ニ臨ム。
4節 諸外国災害救助
1款 清国飢饉救済
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年2月
(1878年)
第25巻 p.707-736(DK250113k)
清国北中部ノ諸省不作連年ニ及ビ人民多ク饑餓ニ瀕ス。仍テ是月栄一、益田孝・岩崎弥太郎等ト首唱シテ金三万一千余円ヲ募集シ、米・麦六千二百余石・旧銅貨一百万枚・洋銀三千百五十弗ヲ購ヒテ之ヲ天津ニ送ル。
2款 サンフランシスコ震災義捐金募集
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年4月29日
(1906年)
第25巻 p.737-744(DK250114k)
是日、日本赤十字社ハサンフランシスコ震災義捐金募集ノタメ、外務大臣官舎ニ都下各新聞通信社ノ代表者ヲ招キテ協議会ヲ催ス。栄一臨席シ演説ヲナス。
3款 南清飢饉救済義捐金募集
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年4月5日
(1907年)
第25巻 p.745-747(DK250115k)
是日栄一、外務大臣官邸ニ開カレタル南清饑饉救済会議ニ出席シ、種々協議ヲナス。
4款 イタリー震災救助義捐金募集
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年1月6日
(1909年)
第25巻 p.748-752(DK250116k)
是日栄一、外務大臣官邸ニ開カレタルイタリー震災救助義捐金募集ノタメノ午餐会ニ出席シ、演説ヲナス。