デジタル版「実験論語処世談」(19) / 渋沢栄一

2. 伊藤公は自慢の人

いとうこうはじまんのひと

(19)-2

 敏にして学を好むといふ事は、大抵の人の難しとする処である。人は兎角、敏捷な才智を持つて居れば学問を疎かにして、勉強などを致さぬやうに成り勝ちのものである。然し、時偶に千人に一人は生れついて敏捷な天品を持ちながら、なほ学に勤め励むものがある。そんな人が一世に優れて後世にまでも名を遺す如き大人物になるのである。又、自分が高位高官にあるとか、或は社会で高い地位を占めて居るとかすれば、人は兎角、自分より低い位置の者に下つて、之に教を請ふといふ如きことの出来ぬものである。之を為し得る人が、一代に傑出して其名を後昆に垂るる如き大人物となり得るのである。
 「下問を恥ぢぬ」とは、平たく謂へば「知らぬ事は誰にでも聞く」といふ意味である。「知らぬ事は誰にでも聞く。自分はそんな事なんか、恥かしいとも何んとも思はぬ」と能く人は言ふが、概ねそれは口の端ばかりの事で、さて実際に臨んでから虚心坦懐に知らざるを知らずとして、如何に位置の低い人にも下つて聞くといふことは決して容易に出来るもので無い。大抵の人は知らざるを知らずとして教を他人に受けでもすれば、之によつて自分の位置が引き下げられたかの如くに感ずるものである。下問を恥ぢぬやうになるのは、却々に難かしい事である。玄徳が三たび孔明を其草廬に訪うて教を仰ぎ、又漢の高祖が張良を重用して、之に下問するを悦びとしたといふ如きは、玄徳或は高祖の如き大人物にして初めて為し得らるるのである。
 故伊藤公は、あれほどの豪い方であらせられたが、矢張、下問を恥ぢずといふまでの心情になつて居らなかつたものである。否、伊藤公は何事に於ても、常に自分が一番豪い者であるといふことになつて居りたかつた人である。総じて長州人は薩州人に比すれば、人触りの穏当なものであるから、伊藤公とても決して人触りの悪かつた方では無い。至極穏当なところの仁ではあるが、それでも横合から他人が出て来て、公の知らずに居られるやうな事を知らしてあげようとでもすれば、「そんな事は遠の昔から知つてるぞ」と言つたやうな態度に出られたもので、何事につけ自分が一番豪く、自分が一番物知りになつて居らねば、気が済まなかつた性質がある。

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デジタル版「実験論語処世談」(19) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.118-124
底本の記事タイトル:二二七 竜門雑誌 第三四三号 大正五年一二月 : 実験論語処世談(一九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第343号(竜門社, 1916.12)
初出誌:『実業之世界』第13巻第21,22号(実業之世界社, 1916.10.15,11.01)