2. 伊藤公は自慢の人
いとうこうはじまんのひと
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「下問を恥ぢぬ」とは、平たく謂へば「知らぬ事は誰にでも聞く」といふ意味である。「知らぬ事は誰にでも聞く。自分はそんな事なんか、恥かしいとも何んとも思はぬ」と能く人は言ふが、概ねそれは口の端ばかりの事で、さて実際に臨んでから虚心坦懐に知らざるを知らずとして、如何に位置の低い人にも下つて聞くといふことは決して容易に出来るもので無い。大抵の人は知らざるを知らずとして教を他人に受けでもすれば、之によつて自分の位置が引き下げられたかの如くに感ずるものである。下問を恥ぢぬやうになるのは、却々に難かしい事である。玄徳が三たび孔明を其草廬に訪うて教を仰ぎ、又漢の高祖が張良を重用して、之に下問するを悦びとしたといふ如きは、玄徳或は高祖の如き大人物にして初めて為し得らるるのである。
故伊藤公は、あれほどの豪い方であらせられたが、矢張、下問を恥ぢずといふまでの心情になつて居らなかつたものである。否、伊藤公は何事に於ても、常に自分が一番豪い者であるといふことになつて居りたかつた人である。総じて長州人は薩州人に比すれば、人触りの穏当なものであるから、伊藤公とても決して人触りの悪かつた方では無い。至極穏当なところの仁ではあるが、それでも横合から他人が出て来て、公の知らずに居られるやうな事を知らしてあげようとでもすれば、「そんな事は遠の昔から知つてるぞ」と言つたやうな態度に出られたもので、何事につけ自分が一番豪く、自分が一番物知りになつて居らねば、気が済まなかつた性質がある。
- キーワード
- 伊藤博文, 自慢, 人
- 論語章句
- 【公冶長第五】 子貢問曰、孔文子何以謂之文也。子曰、敏而好学、不恥下問。是以謂之文也。
- デジタル版「実験論語処世談」(19) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.118-124
底本の記事タイトル:二二七 竜門雑誌 第三四三号 大正五年一二月 : 実験論語処世談(一九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第343号(竜門社, 1916.12)
初出誌:『実業之世界』第13巻第21,22号(実業之世界社, 1916.10.15,11.01)