デジタル版「実験論語処世談」(19) / 渋沢栄一

8. 私は幼少より丁寧

わたしはようしょうよりていねい

(19)-8

 私は片田舎の百姓家に生れた為めでもあらうが、幼少の頃より恭敬の態度に馴れ、人に接するに当つて乱暴粗野の態度に出ることができず、言葉遣ひなぞも致つて丁寧に致して参つたもので、「君」とか、「僕」とかいふ風の言葉を使はず、「あなた」とか「わたし」とか申す言葉を使ふやうになつたものである。郷里から江戸に出て、書生生活を送るやうになつて後にも人に接するに当つては、依然、恭敬の態度を改めず、友人に言葉をかけるにしても「オイ……こら」などと乱暴な言葉遣ひをしなかつた。その頃の書生仲間では天麩羅でも食ひに行かうとすれば、「オイ……行かう」と謂つたやうな調子で、頗る粗野な言葉を遣つたものだが、私は斯く天麩羅を食ひに行くのに友人を誘ふ場合などでも、爾んなに乱暴な言葉遣ひをせず「何うだ?一緒に天麩羅でも食ひに行かうぢやないか」といふやうな風の丁寧な言葉遣ひをしたものである。私は七十七歳の今日に至るも猶ほ斯の礼儀を重んずる恭敬の態度を改めず、今日まで是で押し通して来たのである。
 私が明治の初年仏蘭西から帰つて来て新政府に仕へるやうになり、長州人なんかに交際して見ると、その態度行動に殆んど恭敬を持するやうな風が無く、同僚が私の家へ訪ねて来ても、碌々礼さへ致さぬうちから突つ立つたままで「暑いのう」と謂つたやうな調子のものであつたので、私は少からず其の人々の礼を弁へざるに驚かされたのである。苟も他人の家を訪ねたら、まづ何より先きに「今日は……」とか何とか、一応の挨拶を述べて一礼に及び、それから「什麽も御暑くつて困る」とか何うとか、時候のことにでも及ぶのが如何なる人間も守らねばならぬ礼である。然るに、突つ立つたままで碌々礼も致さずに「暑いのう」では、恭敬を欠くの甚しいものなりと謂はねばならぬ。

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キーワード
渋沢栄一, 幼少, 丁寧
デジタル版「実験論語処世談」(19) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.118-124
底本の記事タイトル:二二七 竜門雑誌 第三四三号 大正五年一二月 : 実験論語処世談(一九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第343号(竜門社, 1916.12)
初出誌:『実業之世界』第13巻第21,22号(実業之世界社, 1916.10.15,11.01)