3. 銀行廃業の議起る
ぎんこうはいぎょうのぎおこる
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一体、四つか五つ銀行の力で日本の兌換制度を維持してゆけるものと思つたのが、抑〻の考へ違ひで、初め銀行条例を制定するに当つて金銀比価の変動や外国為替相場の事を念頭に置かなかつたのが、私としても政府としても大なる手抜かりであつたのだが、今更如何とも致方は無い。さればとて、みな銀行を廃業して了つては、勿論金融に障害を来す事になるから、私は飽くまでも当業者間の廃業意見に反対し自ら奔りて殿たるの決心を固め、学理上より視れば甚だ以て不合理のことたるのみならず、自分が与つて立案したものを自分で改めてもらはねばなら無くなつたのは、実に不体裁の事であるとも思つたが、孟子も曰うて居らるる如く、一車の薪に火が付いてしまへば、一杯の水では到底消し得らるるもので無く、四五の国立銀行が如何に力んだからとて兌換制度を維持してゆけるもので無いとも考へたので、私は同業者の廃業意見を鎮撫するに力むると共に、政府に向つて力説し、遂に明治九年八月に至つて銀行条例を改正させ、銀行紙幣は必ずしも金貨と引換へるに及ばず、当時の流通貨幣たる政府紙幣(不換紙幣)或は銀貨との引換でも差支無い事にしてもらつたのである。私の斯の改正意見を容れて銀行条例の改正を断行してくれた方は、当時の大蔵卿であつた大隈侯である。その時に松方侯は大蔵大輔であつたと記憶する。
銀行条例の改正によつて既に設立せられてをつた銀行は廃業せずに済み、其後陸続数字を冠せた(大阪だけは浪華銀行)国立銀行の設立を見るに至つたのだが、世間には大隈侯が這的銀行条例改正を断行したからとて侯を非難する人もある。然し、当時の事情はこれ以外に法の無かつたもので、私は此の間に立つて些か奔りて殿たるの働きをした積りであるが、謙遜して言へば、当時かくしてもらうより他に法が無く止むを得ず私は斯る運動をしたのであるから、「敢て後れたるに非ず、馬進まざる也」であつたとも謂へる事になるだらう。
- キーワード
- 銀行, 廃業, 議
- 論語章句
- 【雍也第六】 子曰、孟之反不伐。奔而殿。将入門、策其馬曰、非敢後也。馬不進也。
- デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.184-192
底本の記事タイトル:二四三 竜門雑誌 第三五二号 大正六年九月 : 実験論語処世談(二八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第352号(竜門社, 1917.09)
初出誌:『実業之世界』第14巻第12,13号(実業之世界社, 1917.06.15,07.01)