デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一

1. 損勘定に精細の人

そんかんじょうにせいさいのひと

(28)-1

子曰。孟之反不伐。奔而殿。将入門。策其馬。曰。非敢後也。馬不進也。【雍也第六】
(子曰く。孟之反伐《ほこ》らず。奔りて殿す。将に門に入らんとするや、其馬に策ちて曰く、敢て後れたるに非ず、馬進まざる也と。)
 兎角常人は、軍の進む時には殿となつて成るべく後れたがり、又軍の退く時には成るべく前鋒となつて早く逃れんとしたがるもので、退軍に当つて殿となり、進軍に当つて先鋒たるは常人の難しとする処である。されば兵法では、引揚げ方の上手な人を名将として居るが、魯の大夫孟之反は哀公の十一年に斉と戦つて魯軍が大敗し、引揚げて逃げ還らんとするに際し、自ら其の殿となり、能く追撃軍を捍ぎ、全軍を衛つて無事に退却するを得せしめたのであるから、非凡の名将と称して差支無いのである。然るに、この人は元来非常な謙遜家であつたので、毫も自分の才能功績を誇らうとはせず、魯都の城門に入らんとするに当り、俄に馬の尻に鞭を当て「私が強ひて後れて殿したのでは無い。馬が疲労して進まなかつたので遅れたのだ」と、殊更に申したといふ事を孔夫子が聞き伝へられて、孟之反の斯く沈勇に富んだ謙遜の態度を称讃せられたのが茲に掲げた章句である。
 兵法に於て引揚を上手にやる大将が名将で、真の勇者であるとせらるる如く、事業界に於ても亦、損勘定を精細に取り賄つて、後始末をチヤンと付け得らるるやうな人で無いと、真の事業家であるとは謂へず、又斯る人で無いと決して事業に成功するものでも無いのである。私は平素常に這的意見を以て事業に当り、及ばずながら事業界に於ては奔りて殿する底の心懸けを以て、今日に至つた積りである。
 総じて事業を起すに当つては、最初が大切なもので、拙速を尊ぶ事は宜しく無い。甚だ危険なものだ。仮令、着手が少しばかり遅れても関はぬから、充分綿密に調査もしたり、稽へもしたりした上でこれなら間違ひは無からうといふ処で漸く着手し、丹精して事に当りさへすれば大抵の事業は成し遂げ得られ、大過無きに庶幾きを得るものだ。然し、それでも世の中には不時の出来事といふものがあつて、最初には思ひも附かなかつた意外な故障を突発し、事業の進捗に障害を与へたり、又当事者の方にも不行届の点などがあつて、事業が予定通り旨く進行せず、損失を招くに至る場合が無いでも無い。斯る際に奔りて殿し、損勘定を精細にして始末を旨く付け得られる人が真の事業家といふもので、斯る人は仮令その事業で失敗しても、結局、成功者に成り得らるるものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.184-192
底本の記事タイトル:二四三 竜門雑誌 第三五二号 大正六年九月 : 実験論語処世談(二八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第352号(竜門社, 1917.09)
初出誌:『実業之世界』第14巻第12,13号(実業之世界社, 1917.06.15,07.01)