デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一

8. 理化学研究所設立の動機

りかがくけんきゅうじょせつりつのどうき

(28)-8

 私と高峰博士とは、斯んな関係で大日本人造肥料会社創立以来の懇意な間柄であるものだから、五年前帰朝した際にも私を訪ねて来られいろいろ懐旧談を重ねた末、同博士より日本目下の急務は理化学研究所の設立であるとの話が出た。
 高峰博士が其時に私へ説かれたところは、今日までの世界は理化学工業よりも寧ろ器械工業の時代であつたが、今後の世界は必ずや機械工業よりも寧ろ理化学工業の時代になる。その徴候が既に欧米諸国の工業界に顕然と現れて来て、理化学工業の範囲が漸次に拡大せられ、独逸の如き夙に斯の点に留意し、帝室より二百七十五万円ばかりの下賜金があつて、之に民間よりの寄附金を併せ総計一千二百五十万円の資金を以つて、ウヰルヘルム第一世帝の百年祭に際しウヰルヘルム皇帝学院と称せらるる一大科学研究所を設立し、日本人でも田丸節郎といふ学者が斯の皇帝学院に勤務し、窒素と水素とを人工で化合さしてアムモニアを製造することや植物の葉緑素に関する研究をして居る。又米国にもロックフェラーが二千万円を投じて設立したロックフェラー研究所やら、カーネギーの設立したカーネギー研究所があり、英国でも昨今は漸く之に気付いて科学研究所の設立に鋭意して居る。日本も今後理化学工業によつて国産を興さうとするには、何うしても之が基礎となる純粋理化学の研究所を設立せぬばならぬといふのが高峰博士の意見であつたのだ。
 殊に日本人は模倣に長じては居るが、独創力に乏しいと云ふ弊がある。この模倣性に富んだ国民の傾向を一転して独創力に富んだものとするには、純粋理化学の研究を奨励するより他に道が無いから、是非とも理化学研究所を日本へ起すやうに致したいといふのが高峰博士の希望で、私も至極尤もの次第であると考へ、賛意を禁じ得無かつたところより、其後中野商業会議所会頭とも相談の上、実業界の名望家一百二十名ばかりを一夕築地精養軒に招待し、高峰博士より理化学研究所設立の急務なる所以を述べ、私より之が設立に関する方法を来会者一同に謀つたところが、素より不同意のあらう筈が無いので、私が来会者一同より創立委員指名のことを托せらるる事となり、私に於ても熟慮の末適任者を指名し、之に設立事務の進行を委任し、その結果四年後の今日に至つて漸く実現を見るに至つたのが、目下成立中の理化学研究所である。

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キーワード
理化学研究所, 設立, 動機
デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.184-192
底本の記事タイトル:二四三 竜門雑誌 第三五二号 大正六年九月 : 実験論語処世談(二八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第352号(竜門社, 1917.09)
初出誌:『実業之世界』第14巻第12,13号(実業之世界社, 1917.06.15,07.01)