6. 友人等に危まる
ゆうじんらにあやぶまる
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然し、高峰氏に去られてしまへば技師がなくなるので、翌日から直ぐ会社は困らねばならなくなる故、誰か同氏に代るべき適当の技師があるだらうかと同氏に相談すると、西ケ原の試験所に勤めて居る森氏が宜しからうとの事で、同氏を高峰氏の後任とし、私も安心して高峰氏を渡米させることができるやうになつた。
高峰氏の渡米後も依然として会社の事業は思はしく無い。欠損に次ぐに欠損を以てするばかりであるから、初め私と協同して人造肥料の事業を始めた友人等も、遂に会社を廃めてしまはうといふ意見になつたのである。然し、私には飽くまで斯の事業を成功させねば已まぬといふ決心があつたので、協同者が皆廃めてしまはうといふ意見なら、仕方が無いから私一人で会社を引受け、借金しても必ず成し遂げて見せるからと申出で、結局私が一人で会社を引受けることになつた。これといふのも、損勘定を旨く整理し得るもので無ければ真の事業家で無いといふのが、私平素の意見であつたから、斯る難局に立ちながらも私は奔つて殿する覚悟をきめたのである。私が愈よ一人で引受けるといふ段になつてからも、友人等は危んでいろいろと心配もしてくれたが、幸にも創立後六年目ぐらゐの頃から、会社は漸次順境に向ひ、遂に今日の盛大を見るに至つたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.184-192
底本の記事タイトル:二四三 竜門雑誌 第三五二号 大正六年九月 : 実験論語処世談(二八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第352号(竜門社, 1917.09)
初出誌:『実業之世界』第14巻第12,13号(実業之世界社, 1917.06.15,07.01)