デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一

6. 友人等に危まる

ゆうじんらにあやぶまる

(28)-6

 前回に申述べて置いたやうな次第で人造肥料会社初年の成績は散々な失敗に帰してしまつたのだが、運の悪い時には飽くまで運の悪いもので、創立の翌年には又、会社が火事に罹つてみな焼けてしまつたのである。これにも大に閉口して居る処へ、更に高峰氏の米国行問題といふものが持ち上つて来たのだ。創立以来三四年、それでも事業は毫も順境に向ふ模様無く、何事も是れからだと思つてる矢先へ、肝腎要の高峰氏に逃げられてしまつては前途が全く暗黒になつてしまふので私は随分酷く高峰氏に向つて苦説し、極力同氏の米国行を引き止めようとしたが、米国との約束があるので、何うしても渡米せねばならぬといふのだ。人造肥料会社の方は二三年もしたら形が付くものだと思つて、アルコール醸造の事か何かに就ての研究を始める為米国への渡航を約束して居つたのださうである。その約束の期限が近づいて来たので、同氏は愈よ出発せねばならぬ事になつたのだが、折角着手した事業を半途に棄てても渡米せねばならぬほどのものなら、何故当初斯んな事を始めるやうに私へ勧めたか、なぞと激しく小言を言ひもしてみたが、又退いて大局から稽へれば、同氏一身の為にも亦国家の為にも、此際高峰氏を快く放してやつて渡米さするのが私の取るべき道であらうかとも考へたので、私も遂に決心し、同氏の請ひを容れて渡米させ、その志す処に向つて進ませる事にしたのである。
 然し、高峰氏に去られてしまへば技師がなくなるので、翌日から直ぐ会社は困らねばならなくなる故、誰か同氏に代るべき適当の技師があるだらうかと同氏に相談すると、西ケ原の試験所に勤めて居る森氏が宜しからうとの事で、同氏を高峰氏の後任とし、私も安心して高峰氏を渡米させることができるやうになつた。
 高峰氏の渡米後も依然として会社の事業は思はしく無い。欠損に次ぐに欠損を以てするばかりであるから、初め私と協同して人造肥料の事業を始めた友人等も、遂に会社を廃めてしまはうといふ意見になつたのである。然し、私には飽くまで斯の事業を成功させねば已まぬといふ決心があつたので、協同者が皆廃めてしまはうといふ意見なら、仕方が無いから私一人で会社を引受け、借金しても必ず成し遂げて見せるからと申出で、結局私が一人で会社を引受けることになつた。これといふのも、損勘定を旨く整理し得るもので無ければ真の事業家で無いといふのが、私平素の意見であつたから、斯る難局に立ちながらも私は奔つて殿する覚悟をきめたのである。私が愈よ一人で引受けるといふ段になつてからも、友人等は危んでいろいろと心配もしてくれたが、幸にも創立後六年目ぐらゐの頃から、会社は漸次順境に向ひ、遂に今日の盛大を見るに至つたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.184-192
底本の記事タイトル:二四三 竜門雑誌 第三五二号 大正六年九月 : 実験論語処世談(二八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第352号(竜門社, 1917.09)
初出誌:『実業之世界』第14巻第12,13号(実業之世界社, 1917.06.15,07.01)