デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一

9. 英雄的人物の好佞癖

えいゆうてきじんぶつのこうねいへき

(28)-9

子曰。不有祝鮀之佞。而有宋朝之美。難乎免於今之世矣。【雍也第六】
(祝鮀の佞ありて宋朝の美あらずんば難いかな今の世に免れんこと。)
 祝は宋廟を司る官名であるが、この官に昇任した衛の大夫鮀は、名を子魚といつた人である。それから宋朝といふのは、名を朝と称した宋の公子である。祝鮀は弁才に長じた佞人であつたのだが、宋朝は容貌の美しかつた是も亦佞人であつたのである。孔夫子は当時の世の中が徒に畳ザハリの佳い、見たところ立派な風貌のある人ばかりを歓迎するに急で、弁口の拙な、見るから威さうな人はその人物の真価如何に拘らず、之を尊敬して重用する者が無いのに深く歎ぜられ、時勢の日々に益〻非なるを諷し、弁才と美色が無ければ迚ても渡つて行けぬ世の中になつて来たと言はれたのが、茲に掲げた章句である。
 孰れの世、如何なる人物でもゴツゴツした無骨の人よりは、畳ザハリの好い方の人を好むものであるが、殊に斯ういふ傾向は戦国時代に於て著しいかのやうに思はれる。その又戦国時代に於ても、豪傑肌の小事に頓著せぬやうな人に、不思議と弁才に長じた容色の優れた者を悦んで近づける性癖がある。秀吉が石田三成を愛して近づけたのも実に之が為で、秀吉の三成に対する心情は、無骨で正直真向であつた加藤清正なぞに対する心情と、其間に余程大きな距離のあつたものと思ふ。若し仮りに三成が加藤清正の如き無骨者で、容貌なぞも見るから鬼の如き男であつたとしたら、秀吉もあれ程迄に三成を寵愛するには至らなかつたらう。三成は或は全く秀吉に用ひられずに終つて了つたかも知れぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(28) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.184-192
底本の記事タイトル:二四三 竜門雑誌 第三五二号 大正六年九月 : 実験論語処世談(二八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第352号(竜門社, 1917.09)
初出誌:『実業之世界』第14巻第12,13号(実業之世界社, 1917.06.15,07.01)