デジタル版「実験論語処世談」(37) / 渋沢栄一

5. 元治と弟治太郎との仲

もとじとおとうとじたろうとのなか

(37)-5

 帰京するや又古河へ就職するやうにと、古河からも又父の市郎からも勧めてみたが、元治は――古河へ這入つてしまへば専心に電気学のみを研究して暮すわけにゆかず、什麽しても事業の経営なんかにまで関係せねばなら無くなる。さうすれば物質的には必然幸福だらうが、自分の身は幸にも父や栄一の余沢によつて衣食に何の不自由無く、この上富を追ひ求むる必要も認めぬから、それよりは寧ろ、専心電気学を研究し得らるる如き職に就きたいと申出で、古河への復職を肯んぜぬのである。依つて私よりも――一旦古河の給費で洋行までしたんだから猶且古河へ復るのが順当だ、古河へ入つてしまへば勿論電気学ばかりを研究して暮らすわけには行かぬ。古河で経営する事業に色々関係せねばならぬのみか、場合によつては古河の総支配人たる如き役をも勤めねばならぬ。然し、これまで随分古河の世話になつてるから、意を翻して古河へ復職しては什麽かと力説してみたのである。それでも元治は頑として肯かなかつたので、止むなく、古河との間に円満に交渉を遂げ、当人の希望する如く電気学を専心に研究し得らるる職を択び、明治三十九年二月より逓信省に奉職して技師に任ぜられ、現に同省の電気試験所第一部長の職にあるのだ。工学博士になつたのは明治四十四年六月二十六日で、英文を以て「同期交流発電機の特性」なる博士請求論文を大学教授会へ提出した結果である。
 私から申すのは少し嗚滸がましいやうだが、この元治と其弟治太郎との兄弟仲が又至つて睦しく、両人は全く其性格を異にするにも拘らず意志感情共に疎通し、互に友情を以て睦しく相対して居る。治太郎は元治と異なり、その性質が能く農たるに適して居るが、恭謙能く己を持し、現に血洗島の私の生家の主人でありながら、家に属する財産を毫も自分の所有と思はず、栄一や父から渋沢家へ伝へられたものであるからとて、之を保管する支配人たる如き心情で苟も家産を私する如き事無く、元治とも人情づくで円満に相談を纏めたる上、規約を設け、血洗島に属する財産は之を共有の如き形とし、それから挙がる収益の一部を当主の収入とし、又その一部を元治の家にも入れ、一部は積立てて世襲財産の如きものとし、血洗島の渋沢家は栄一の発祥した処であるからとて、之を永久に保存する為の財源に供する事になつてるのである。

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渋沢元治, , 渋沢治太郎,
デジタル版「実験論語処世談」(37) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.270-278
底本の記事タイトル:二六五 竜門雑誌 第三六三号 大正七年八月 : 実験論語処世談(第卅七回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第363号(竜門社, 1918.08)
初出誌:『実業之世界』第15巻第8,9号(実業之世界社, 1918.04.15,05.01)