3. 言ふは易く行ふは難し
いうはやすくおこなうはかたし
(61)-3
司馬牛問仁。子曰。仁者其言也訒。曰。其言也訒。斯謂之仁矣乎。子曰。為之難。言之得無訒乎。【顔淵第十二】
(司馬牛仁を問ふ。子曰く。仁者は其の言や訒。曰く。其の言や訒斯に之を仁と言ふ乎。子曰く。之れを為す事難し、之を言ふ訒無きを得んや。)
すべての事柄は、言ふは易く行ふは難い。古来「言ふ可くして行ふ可らず」とか、「言ふに易く行ひ難し」とか、種々の訓言があるが、何事に付けても之れを言ふ事は易いが、之を実行する事になると種々の障害が起りなかなかむづかしいものである。例へば、何か公共事業を始めると仮定して、六千万の国民から一人一円づつの割合で集めると、立ち所に六千万円の金が集る訳であるが、いざ其の事を実行しようとしても、なかなか六千万円の金が集まるものではない。青年団が明治神宮の外苑に会館を造るに就て、何十万円かの金を集める際も大分困難した模様である。考へ通り行くものとすれば、少しの行き悩みもある筈はないが、いざ実行となると思ひ通りには行かない。自分一身の事でも同様である。されば人は能く其の言葉を慎まなければならない。(司馬牛仁を問ふ。子曰く。仁者は其の言や訒。曰く。其の言や訒斯に之を仁と言ふ乎。子曰く。之れを為す事難し、之を言ふ訒無きを得んや。)
司馬牛は宋の人で、孔子の高弟の一人であるが、其の為人が多弁で思慮せず、軽々しく物を言ふ癖があつた。孔子は能く其の病を知つてをられたから、其の仁を問へるに対して「仁者は其の言を慎み、容易に言はざるものである」と答へられた。即ち孔子は司馬牛の病を知つて、之れに適する薬を一服盛つたのである。ところが司馬牛は、其の真意を解せず「それでは言葉を慎み能く訒なるのみで、仁者といふ事が出来ますか」と重ねて問うた。それで孔子之れを諭して「世の中のすべての事は之れを言ふは易いけれど、之れを実行するは甚だ困難である。実行が困難であるから、其の言ふ事も大いに慎まなければならない」と言はれた。蓋し、人間は能く其の言を慎んで行を先きにし、事々に礼を履んで行くやうにすれば仁の道に適ふからである。
今の世にも司馬牛のやうに口術に長けた人が多い。自分の都合の好いやうに口から出まかせに述べて、見え透いたやうな嘘を平気で言ふやうな人も少くない。其の言責に対する感念などは薬にしたくもないやうな人さへある。すべてが誠から出てをらぬ言論は何等の価値がないと言つてよい。如何なる名論も、実行が伴うて始めて価値があるのである。実行が伴はなければ夫れは空論に過ぎない。或は迷論に帰する、大いに注意すべきである。
- キーワード
- 言ふ, 易し, 行ふ, 難し
- 論語章句
- 【顔淵第十二】 司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒。曰、其言也訒、斯謂之仁已乎。子曰、為之難。言之得無訒乎。
- デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)