デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一

6. 子夏司馬牛を慰む

しかしばぎゅうをなぐさむ

(61)-6

司馬牛憂曰。人皆有兄弟。我独亡。子夏曰。商聞之矣。死生有命。富貴在天。君子敬而無失。与人恭而有礼。四海之内皆兄弟也。君子何患無兄弟也。【顔淵第十二】
(司馬牛憂へて曰く。人皆兄弟有り、我れ独り亡し。子夏曰く。商之を聞く、死生命有り、富貴天に在りと。君子敬にして失なく、人と恭にして礼有らば、四海の内皆兄弟なり、君子何ぞ兄弟無きを患へんや。)
 此の一章の意味は、簡単に言へば子夏が司馬牛の兄弟なきを憂へて居るのを慰めたのである。司馬牛は、孔子の門弟中でも高弟といふ程偉い人ではなかつた。前回にも「司馬牛問仁」及び「司馬牛問君子」の章句が出て居るが、或時、司馬牛は悄然として子夏に向つて、人には皆兄弟があつて相愛し相助けて楽しいのに、自分のみは兄弟が無く心細くて堪へられないと語つた。子夏は之れを聞いて司馬牛を慰め、私は曾て孔夫子に聞いた事があるが、人の死生には天命があつて、死すべき時には何人と雖も皆死ななければならぬ。富貴も天命によるものであつて、人力にては如何とも為すべからざるものであると訓へられた。されば天命に逆らう事なく、死生富貴を度外に置き、自分の為すべき本分を務むべきである。君子たる者は事を敬して失徳の行ひなく、人と交はるには恭謙にして礼譲があれば、天下の人は悉く之れを愛敬して兄弟と同様である。即ち肉身の兄弟は無くとも無限の兄弟があるのである。されば人間としては自ら力めて徳を修むるに専心すべきであつて、兄弟のないのは少しも憂愁するに足らぬと答へた。之れが此の章の大意であるが、此の子夏の言葉の中に孔子の教訓が力強く説かれてゐる。

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デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)