10. 信は政事の根本なり
しんはせいじのこんぽんなり
(61)-10
子貢は更に語をついて、已むを得ず食と信との二者の中、其の一つを去らなければならぬ場合には、何れを先にすべきものでせうかと問うた。孔子は即座に、其の場合は食を去る可きである。人間は食がなければ餓死するけれども、古より人は皆死を免るる事が出来ない。苟も国民にして為政者を深く信ずるに於ては、仮令死するとも民心は離反せず、叛くやうな事はないが、若し信がなければ、食兵が足つても毫も益なく、政が行はれるものでないと訓へられた。孔子は茲に「民信無ければ立たず」と言はれて居るが、私は「人信ければ立たず」といつてもよいと思ふ。適切な譬ではないが「武士は食はねど高楊子」とか、「鷹飢ゑても穂を啄まず」といふやうな教訓があるが、之れは信義を重んずるについての譬喩であつて、信といふ事については、古来重んぜられて居つたのである。三島先生は此章の講義に王覇の別を挙げて居られるが、私は其必要がないと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)