デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一

10. 信は政事の根本なり

しんはせいじのこんぽんなり

(61)-10

 子貢は更に問を進めて、政事を為すの道について、「食を足し、兵を足し、民之を信ず」の三者を具備しなければならぬ事はよく諒解しましたが、若し国家に拠ない事情があつて、此の三者を具備する事が出来ず、已むを得ず三つの中、其の一つを去らなければならぬ際には何れを先に去るべきでせうかと質問した。処が孔子は先づ軍備を去らんと答へられた。蓋し国民生活が安定し、国民が為政者を信頼して居れば、仮令兵備が欠乏して居つても、国を治め得るからである。過般の華府会議に於ても、軍備縮小が議され、実行さるる事となつたが、二千数百年前に於て孔子の説かれた処と軌を同うし、戦時中軍備拡張の結果、国民生活の安定を欠くに至つたので、軍備全廃とまでは行かぬが兎も角、或程度の縮小断行をする事となつたのである。
 子貢は更に語をついて、已むを得ず食と信との二者の中、其の一つを去らなければならぬ場合には、何れを先にすべきものでせうかと問うた。孔子は即座に、其の場合は食を去る可きである。人間は食がなければ餓死するけれども、古より人は皆死を免るる事が出来ない。苟も国民にして為政者を深く信ずるに於ては、仮令死するとも民心は離反せず、叛くやうな事はないが、若し信がなければ、食兵が足つても毫も益なく、政が行はれるものでないと訓へられた。孔子は茲に「民信無ければ立たず」と言はれて居るが、私は「人信ければ立たず」といつてもよいと思ふ。適切な譬ではないが「武士は食はねど高楊子」とか、「鷹飢ゑても穂を啄まず」といふやうな教訓があるが、之れは信義を重んずるについての譬喩であつて、信といふ事については、古来重んぜられて居つたのである。三島先生は此章の講義に王覇の別を挙げて居られるが、私は其必要がないと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)