9. 善政とは如何なるものか
ぜんせいとはいかなるものか
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子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。子貢曰。必不得已而去。於斯三者何先。曰。去兵。子貢曰。必不得已而去。於斯二者何先。曰。去食。自古皆有死。民無信不立。【顔淵第十二】
(子貢政を問ふ。子曰く。食を足し、兵を足し、民之を信ずと。子貢曰く。必ず已むことを得ずして、斯の三者より去らば何をか先にせん。曰く。兵を去らん。子貢曰く。必ず已むことを得ずして、斯の二者より去らば何をか先にせん。曰く。食を去らんと。古より皆死有り、民信無ければ立たず。)
此の章は、論語の教訓の中でも最も大切な項目の一つである。子貢は御承知の通り孔門十哲中の一人であつて、孔夫子も、言語には宰我子貢と云はれて居る如く、特に頭脳明晰で、立論、建白の類、或は応対、辞令に秀で文章も亦巧みであつた方であるが、一日孔子に向つて政を為すの道を問はれたのである。単に文字通り解釈すれば、政事はどうして執るかといふ意味であるが、同じ政事でも善政もあり、悪政もあつて、両者何れも政事には違ひないが、茲にいふ政と云ふのは、一国の君主なり宰相なりが善政を布いて、一国を治めるにはどうすればよいかといふ意味の質問なのである。之に対して孔子は「食を足し兵を足し、民之を信ず」といふ簡単明瞭な言葉を以て答へられたが、此の短い言葉の中に深い意味が含まれて居り、善政を布くについての心得が、十分に尽されて居るのである。(子貢政を問ふ。子曰く。食を足し、兵を足し、民之を信ずと。子貢曰く。必ず已むことを得ずして、斯の三者より去らば何をか先にせん。曰く。兵を去らん。子貢曰く。必ず已むことを得ずして、斯の二者より去らば何をか先にせん。曰く。食を去らんと。古より皆死有り、民信無ければ立たず。)
「食を足し」といふのはただ食物が十分であるといふのではない。衣食住を満足せしめて、何の不平不満をも無からしむるといふのである。更に砕いて説明すれば、一国の状態が総て順調であつて、鉄道、港湾、道路等の交通運輸の設備が完全し、各種の文化施設が能く行届き、土地住宅難等を訴ふる様な事もなく、更に日用品の物価宜しきを得て、公設市場の如きも十分に其の能力を発揮して居るといふ風に、国民をして不平不満を抱かしむる余地なからしむる様にすることが第一であるといふのである。「兵を足し」といふのは、相当の軍備が必要であるといふのであるが、之れは決して侵略的意味を含むものでなく、敵国に備へて民生を保護するの必要から斯く言はれたものであつて、国民をして安んじて各其の業務に従はしむるが為である。之に加ふるに「民之を信ず」が伴はなければならぬと喝破されたが、即ち、能く道徳が行渡つて、忠孝信義の念が厚く、時の為政者の誠意が一般国民に理解されて民をして信ぜしむるに至つたならば、これ善政であると答へられたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)