デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一

4. 君子とは何ぞ

くんしとはなんぞ

(61)-4

司馬牛問君子。子曰。君子不憂不懼。曰。不憂不懼。斯謂之君子。矣乎。子曰。内省不疚。夫何憂何懼。【顔淵第十二】
(司馬牛君子を問ふ。子曰く。君子は憂へず、懼れず。曰く。憂へず、懼れず、斯に之を君子と謂ふ乎。子曰く。内に省みて疚しからず、夫れ何をか憂へ何をか懼れん。)
 これは孔子が司馬牛が君子を問へるに対する答へであるが、いかにも瑕のない、司馬牛に当て嵌つた教訓である。君子といふのは、一国の君主に対し敬称的に言ふ場合もあるが、此の場合に於ける君子は立派な人格の人を指したのであつて、所謂君子と小人とを相対したのである。然らば君子とは如何なる要素を備へた人を云ふかといふに、之れを箇条書きにしたものは勿論ないから、其の条項に当て嵌める事は出来ないが、先づ簡単に言へば自ら内に省みて恥づるところのない人を指して云ふのである。自分のすべての行動に対して人道を誤らず、道理に悖らず、其の行に過ちがなく、品行が正しければ、自ら省みて疚しい点がない筈である。之れ即ち君子である。品行の悪い人などは勿論君子とは言へないが、いかに行が良くとも天秤棒を担いで歩く人を君子とも言へまい。君子に対する定義としてはないが、今言ふやうな意味に解釈して間違ひはないと思ふ。
 そこで、孔子は司馬牛の問に対し、「人は常に安らかな心を以て禍あらん事を憂ふる事なく、又、懼るる事もなければ、之れ君子といふ事が出来よう」と答へられた。蓋し、司馬牛の兄向魋は後に乱を興した人で、常に其の累の自分に及ばん事を憂惧してをつたのである。孔子は能く其の事情を知つてをられたので「君子は憂へず懼れず」と訓へられたのである。司馬牛はそれでもまだ能く腑に落ちぬので更に反問したのであるが、孔夫子は懇切に説明して「自分の平日の行が一つも道に異ふ事がなく、自分の為すべき事を道に従つて尽せば、自ら省みて心に疚しい事なく、俯仰天地に恥づるところがないであらう。従つて何の憂ひも何の懼れもある可き筈がない。如何なる場合であつても、己れの言動さへ間違ひがなければ心常に平であつて、何の心配もない。それから先の事は運を天に任せればよいのである。故に君子は憂へず懼れずといふのである」と言はれたのである。孔子は兄弟に乱人ある事を露骨には言葉に表はさないが、暗に其の意味を仄めかし、司馬牛自身が能く徳を修め、道に従つて行が正しければ、兄弟にどんな人があつても憂ふるに足らない事を諭されてをる。

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デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)