デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一

5. 近頃の綱紀粛正問題

ちかごろのこうきしゅくせいもんだい

(61)-5

 近頃、綱紀粛正問題が大分やかましいやうであるが、種々なる問題に関聯して縲絏の苦難を嘗めてをる人も大分をるやうである。それらの人々は元より身の行に過ちがあつたであらう。だがそれ以外の人々は果して自ら省みて疚しい点がないであらうか。司馬牛は悪い兄弟を持つた為めに、常に其の禍の自分に及ばん事を怖れて憂惧してをつたが、今の世の中には自分自らの行に省みて、明日を憂ひ懼れてをる者が尠くないのではなからうか。君子では今の世に容れられぬとの説をなすものもあるが、何時の時代に於ても人格の光は滅するものではない。自己の立身出世の為め、或は富貴を積まんが為め、正しからざる言動をなし、常に薄氷を履むの思ひでをるに比すれば、譬へ富みを積まず名を成さずとも幸福其の中に在る。「君子は憂へず懼れず」の言大いに味ふ可きではないか。

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デジタル版「実験論語処世談」(61) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.501-507
底本の記事タイトル:三四五 竜門雑誌 第四一六号 大正一二年一月 : 実験論語処世談(第五十九《(六十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第416号(竜門社, 1923.01)
初出誌:『実業之世界』第19巻第5・6-8号(実業之世界社, 1922.06,07,08)