デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年1月22日
(1907年)
第7巻 p.5-15(DK070001k)
銀行倶楽部第五十六回晩餐会開カレ、来賓トシテ文部大臣牧野伸顕等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
明治40年2月8日
(1907年)
第7巻 p.15-16(DK070002k)
東京銀行集会所ニ於テ貴衆両院議員中ノ銀行家及東京銀行集会所組合銀行、東京交換所組合銀行中ノ有志者ノ連合懇親会開カル。栄一出席シ、発起人ヲ代表シテ一場ノ挨拶ヲナス。
明治40年2月20日
(1907年)
第7巻 p.16-28(DK070003k)
銀行倶楽部第五十七回晩餐会開カレ来賓トシテ総督府総務長官鶴原定吉、韓国財政顧問目賀田種太郎等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
明治40年5月23日
(1907年)
第7巻 p.28-38(DK070004k)
銀行倶楽部第五十九回晩餐会開カレ、来賓トシテ大蔵次官若槻礼次郎、日本銀行副総裁高橋是清等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
明治40年10月26日
(1907年)
第7巻 p.38-39(DK070005k)
銀行倶楽部第六十二回晩餐会開カル。栄一出席シ一場ノ拶挨ヲナス。
明治40年11月26日
(1907年)
第7巻 p.39-54(DK070006k)
銀行倶楽部第六十三回晩餐会開カル。栄一出席シ一場ノ演説ヲナス。
明治40年12月23日
(1907年)
第7巻 p.54-65(DK070007k)
銀行倶楽部第六十四回晩餐会開カレ、来賓トシテ通商局長石井菊次郎等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
明治40年12月24日
(1907年)
第7巻 p.65-70(DK070008k)
東京銀行集会所同盟銀行有志ハ韓国特派大使一行、同皇太子殿下随員一行ヲ銀行倶楽部ニ招待シテ午餐会ヲ開催ス。栄一出席シ主人側ヲ代表シテ一場ノ挨拶ヲナス。
明治41年1月29日
(1908年)
第7巻 p.70-71(DK070009k)
銀行倶楽部第六十五回晩餐会開カル。栄一出席シ一場ノ挨拶ヲナス。
明治41年2月5日
(1908年)
第7巻 p.71-79(DK070010k)
東京銀行集会所ニ於テ貴衆両院議員中ノ銀行家及東京銀行集会所組合銀行、東京交換所組合銀行並銀行倶楽部会員中ノ有志者ノ連合懇親会開カル。
栄一出席シ、発起人ヲ代表シテ一場ノ挨拶ヲナス。
明治41年5月16日
(1908年)
第7巻 p.79-83(DK070011k)
銀行倶楽部第六十六回晩餐会開カレ来賓トシテ大蔵大臣松田正久等出席ス。栄一一場ノ演説ヲナス。
明治41年6月25日
(1908年)
第7巻 p.83-94(DK070012k)
銀行倶楽部第六十七回晩餐会開カレ、来賓トシテ駐独全権大使井上勝之助等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
明治41年10月20日
(1908年)
第7巻 p.94-113(DK070013k)
東京銀行集会所同盟銀行有志ハ米国太平洋沿岸商業会議所代表委員一行ヲ銀行倶楽部ニ招待シテ晩餐会ヲ開催ス。栄一出席シ、主人側ヲ代表シテ一場ノ演説ヲナス。
明治41年10月22日
(1908年)
第7巻 p.113-120(DK070014k)
木挽町歌舞伎座ニ於テ東京銀行集会所、東京交換所及銀行倶楽部三団体連合主催ニヨル米国大西洋艦隊歓迎演芸会開カル。栄一主人側ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ朗読ス。
明治42年1月15日
(1909年)
第7巻 p.120-123(DK070015k)
是日銀行倶楽部第七十一回会員晩餐会兼井上準之助送別会坂本町同倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲナス。
明治42年4月15日
(1909年)
第7巻 p.123-130(DK070016k)
是日銀行倶楽部第七十三回晩餐会開カレ来賓トシテ統監伊藤博文・大隈重信等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
明治42年5月5日
(1909年)
第7巻 p.130-137(DK070017k)
銀行倶楽部第七十四回晩餐会開カレ来賓トシテ司法大臣岡部長職等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。
7款 金融関係諸団体 1. 大阪銀行集会所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年6月9日
(1878年)
第7巻 p.138-142(DK070018k)
栄一是月起業公債募集ノ為メ下阪セシガ、大阪銀行業者等ニ同業者ノ協議会ノ必要ヲ説ク。是日第三十二国立銀行ニ同業者十数名会合シ、爾後毎月一回例会ヲ開クコトトセリ。翌十二年八月ニ至リ集会所ヲ設ケ、九月二十八日開場式ヲ挙行シ、銀行苦楽部ト称ス。後、大阪銀行集会所トナレリ。
7款 金融関係諸団体 2. 関東銀行会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年10月23日
(1893年)
第7巻 p.142-149(DK070019k)
是日、東京銀行集会所同盟銀行ノ首唱ニヨリ組織セラレタル関東銀行会第一回会同ヲ開ク。栄一会長トシテ規定草案ヲ議シ、尋イデ銀行条例ノ改正貯蓄銀行条例廃止案、国立銀行営業年限延期請願ノ件等ヲ審議ス。
明治27年4月13日
(1894年)
第7巻 p.149-153(DK070020k)
是日関東銀行会第二回定式会議開カレ、栄一会長トシテ銀行条例ノ改正、貯蓄銀行条例廃止ノ件、国立銀行営業期限延期請願ノ件、関東銀行懇親会開催ノ件、国立銀行発行紙幣抵当公債振替ノ件等ニ付キ協議ス。
明治27年5月22日
(1894年)
第7巻 p.153-159(DK070021k)
是日国立銀行営業満期善後策ニツキ臨時会議ヲ開キ政府トノ交渉委員ヲ決ス。栄一委員ニ選バレタルヲ以テ六月五日全国国立銀行交渉委員会ニ出席シ、会頭ニ推サレ、六・七両日ニ亘リ引キツヅキ、営業延期衆ヲ協議ス。
明治27年6月18日
(1894年)
第7巻 p.159-160(DK070022k)
是日臨時会議ヲ開キ、栄一会長トシテ国立銀行営業期限延期案ニ付協議ス。
明治27年8月23日
(1894年)
第7巻 p.160-165(DK070023k)
是日関東銀行会臨時会議ヲ開キ、軍事公債募集ノ儀ニツキ協議ス。栄一同銀行会会長トシテ斡旋・尽力ス。
明治27年10月18日
(1894年)
第7巻 p.165(DK070024k)
関東銀行会総代トシテ大本営ニ至リ、天機ヲ奉伺ス。
明治28年1月23日
(1895年)
第7巻 p.165-166(DK070025k)
前日一月二十二日臨時会開カレ、国立銀行営業満期処分問題ニ付キ討論審議ヲ尽シ、継続案ニ同意ノコトヲ決議セシガ、是日関東銀行会ヨリ国立銀行六団体中央本部宛テ右決議ヲ報告シ、交渉委員ガ自然消滅セルコトヲ通告ス。栄一会長トシテ之ニ与ル。
明治28年4月13日
(1895年)
第7巻 p.166-167(DK070026k)
是日定式会議ヲ開キ、栄一会長トシテ国立銀行営業満期処分問題ニ付キ協議ス。
明治29年3月25日
(1896年)
第7巻 p.168-170(DK070027k)
是日第四回春季集会ヲ開キ、栄一会長トシテ幹事銀行ノ改選等ノ件ニ付キ協議ス。
明治30年3月28日
(1897年)
第7巻 p.170-176(DK070028k)
是日例会ヲ開キ、栄一会長トシテ「鎖店銀行発行紙幣引換期限延期ノ件ニ付キ大蔵大臣ヘノ稟請案」ヲ審議ノ上可決ス。
明治32年11月25日
(1898年)
第7巻 p.176-184(DK070029k)
是日第七回集会開カレ、栄一会長トシテ同会規程改正ノ件、幹事銀行改選ノ件等ヲ協議ス。右集会終了ノ後、同会及ビ東京銀行集会所組合銀行懇親会ヲ幹事トシテ開催シ、栄一同会ヲ代表シテ挨拶ヲ為ス。
明治34年12月3日
(1901年)
第7巻 p.185-193(DK070030k)
是日第九回集会開カレシガ、栄一会長トシテ幹事銀行ノ選挙等ノ件ヲ協議ス。右集会終了ノ後、続イテ関東銀行会及ビ東京銀行集会所組合銀行ハ連合懇親会ヲ開キシガ、栄一幹事総代トシテ挨拶ヲ為ス。
明治35年12月9日
(1902年)
第7巻 p.193-202(DK070031k)
是日第十回集会開カレシガ、栄一代理人トシテ第一銀行取締役兼支配人佐々木勇之助ヲ出席セシム。右集会終了後本会及ビ東京銀行集会所組合銀行連合懇親会開カレ、栄一出席ス。
明治37年11月25日
(1904年)
第7巻 p.202-209(DK070032k)
是日第十二回集会開カレ、栄一議長トシテ「社債権者ノ債権保護ニ関スル件」ノ調査委員ノ指名、幹事銀行改選、会ノ規程改正等ヲ処理ス。右集会終了ノ後本会ト東京銀行集会所トノ連合懇親会開カレシガ、栄一病後ノ為メ欠席ス。
7款 金融関係諸団体 3. 鰻会関係資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第7巻 p.209-225(DK070033k)
--
7款 金融関係諸団体 4. 水曜会関係資料
○水曜会ハ主要銀行家ト大蔵省当局トニヨリ結成サレタル非公式ノ会ノ如シト雖モ、今ソノ全貌ヲ知ルニ由ナシ。以下ニ掲グル『渋沢栄一日記』ノ記事ニ現ハルル大蔵大臣ハ阪谷芳郎、大蔵次官ハ若槻礼次郎、松尾ハ日本銀行総裁松尾臣善、高橋ハ横浜正金銀行頭取高橋是清及ビ日本勧業銀行総裁高橋新吉、珍田ハ外務次官珍田捨巳ナルベシ。『阪谷芳郎伝』、『高橋是清伝』、『若槻礼次郎自伝』ニハ此時ノ会合ニ関スル資料ヲ掲載セズ。
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第7巻 p.225-226(DK070034k)
--
2節 手形
1款 大阪手形交換所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治12年12月
(1879年)
第7巻 p.227-230(DK070035k)
是ヨリ先、明治十一年六月栄一大阪ノ銀行業者ニ奨メタルニ端ヲ発シ、大阪銀行業者ノ社交的協議会組織セラレ、後ニ銀行苦楽部ト称ス。
是月同苦楽部内ニ「大阪交換所」ヲ設立シテ、手形交換ヲ開始ス、蓋シ本邦ニ於ケル手形交換ノ嚆矢タリ。栄一第一国立銀行大阪支店ヲ通ジテコレガ設立ニ関与ス。
2款 東京手形交換所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年8月14日
(1878年)
第7巻 p.231-233(DK070036k)
栄一夙ニ小切手及手形取引ノ旺ントナルベキヲ洞察シ、既ニ第一国立銀行ニ於テハ割引手形ニ付請願ヲ為シ、或ハ同業者・商人ニ其使用ヲ奨ムル等之ガ唱道ニ努メ来リシガ、是日択善会会同ニ於テ小切手裏書様式ノ議案ヲ発シ、其支払保証ノ方法ヲ設ケ、以テ小切手授受ノ安全ヲ謀リ、又翌年八月不渡手形処分方法ヲ議定スル等、小切手及手形ノ流通拡伸ヲ主導ス。
明治13年10月25日
(1880年)
第7巻 p.233-243(DK070037k)
是年三月以来、屡々択善会会同ニ於テ栄一ノ提唱ニ係ル交換所設置ノ事ヲ協議セルガ、是日、第一国立銀行外十五行申合セ銀行集会所内ニ為替取組所設置ノ儀ヲ大蔵省ニ上申、十一月十七日聴容セラル。尚、同所ニ於ル為替取組ハ十月十八日ヨリ実施セラレタリ。
明治14年10月12日
(1881年)
第7巻 p.243-263(DK070038k)
第一国立銀行外八行連署ヲ以テ大蔵省ニ出願シ手形法規ノ制定ヲ請フ。翌十五年十二月十一日太政官第五十七号ヲ以テ為替手形約束手形条例布告セラル。
明治16年7月
(1883年)
第7巻 p.263-280(DK070039k)
是月、栄一手形取引所委員ニ推選セラル。
前年手形条例ノ布告アリシヲ以テ、是月十五日為替取組所加盟銀行ハ為替取組所ヲ廃シ東京手形取引所ヲ設クル儀ニツキ大蔵卿ニ稟候、同取引所ハ九月二十日開業セリ。
明治20年12月1日
(1887年)
第7巻 p.280-299(DK070040k)
是ヨリ先、明治十九年一月、銀行集会所定式集会ニ於テ第一国立銀行ガ手形交換所新設ノ事ヲ建議シ、以来協議ヲ重ネ来リシガ、当分ノ内東京手形取引所附属交換所ト為スニ決シ、是日交換事務ヲ開始ス。栄一交換所委員タリ。
明治24年3月2日
(1891年)
第7巻 p.299-324(DK070041k)
是ヨリ先、二月二十八日東京手形取引所及其附属交換所ヲ解散シ、新ニ東京交換所ヲ設立、是日手形交換ヲ開始ス。栄一委員長タリ。爾後重任シテ明治三十八年十二月ニ至ル。
明治24年7月8日
(1891年)
第7巻 p.324-327(DK070042k)
是ヨリ先、六日日本銀行総裁川田小一郎、東京交換所組合銀行頭取・支配人等ヲ招キテ、相互ニ信義ヲ厚フシ団結ヲ鞏固ニスルノ必要ナル旨ヲ告ゲタルヲ以テ、是日栄一外十行ノ頭取・支配人等会同シ協議ノ末、川田総裁ノ諭旨ヲ敬承シ益々其団結ヲ完クシ互ニ救援スベキ事ヲ約ス。降テ同年十月十二日、東京交換所組合銀行規約ヲ結ブ。
明治25年2月1日
(1892年)
第7巻 p.327-331(DK070043k)
是ヨリ先、東京交換所委員長栄一ヨリ、東京大阪間ニ於ケル東京交換所組合銀行本支店ヨリ振出シタル当座小切手ニ限リ両地日本銀行本支店ニ於テ支払ヲ引受ケラレ度旨、日本銀行ニ稟請シタリシガ、同行回答ノ保証小切手取扱方指示ニ依リ、是日ヨリ之ヲ実施ス。
明治27年1月29日
(1894年)
第7巻 p.331-334(DK070044k)
諸商業手形ハ従来仕払期日ニ至リ仕払人ニ呈示シテ之ヲ取付クルヲ例トセシガ、是日、交換所組合銀行臨時総会ニ於テ、手形ニ仕払銀行ヲ附記セシメ期日ニ至レバ交換所ニ持出シ決済シ得ル便法ヲ設クルニ決シ、其ノ文例ヲ定ム。栄一之ニ与ル。
明治27年7月24日
(1894年)
第7巻 p.334-354(DK070045k)
漸ク交換高ノ増加スルニ従ヒ、支払資金ナキニ小切手ヲ振出シ又ハ商業手形ノ不渡トナルモノ往往之アリシヲ以テ、其弊害ヲ矯正センガ為メ、是日組合銀行会議ニ於テ、不渡手形ノ制裁ヲ設ケ、又信用取調所ノ設置ヲ協議ス。同三十二年五月ニ至リ、従来東京銀行集会所ニ於テ取扱ヒタル不渡手形処分事務ヲ当交換所ニ引継ギ、其取扱手続ヲ定ム。爾来随時之ガ改正増補ヲ施スト雖モ骨子ニ於テ変更ヲ見ズ。栄一委員長トシテ之ニ与ル。
明治29年5月1日
(1896年)
第7巻 p.354-357(DK070046k)
従来阪本町東京銀行集会所内ニ設ケアリシ交換室ヲ新築日本銀行本館ノ一室ニ移ス。栄一一場ノ挨拶ヲ為ス。更ニ後三十一年十二月一日同行第二建築楼上ニ移セリ。
明治30年6月5日
(1897年)
第7巻 p.357-358(DK070047k)
是日、交換所組合銀行集会ニ於テ、自今毎週当交換所組合銀行ノ常業週報ヲ発行スルニ決ス。栄一此議ニ与ル。
明治30年10月29日
(1897年)
第7巻 p.358-372(DK070048k)
近時東京市内ニ開業スル銀行ノ数頗ル増加シ来リシヲ以テ、自他取引ノ便宜ヲ図ランガ為メ、当交換所組合銀行新規加入及代理交換銀行増加ノ事ヲ屡々協議セシガ、是日、手形取扱高百万円以上並ニ当座預金拾万円以上ノ銀行ニ組合加入ヲ許ス可キコトヲ評決シ、又翌年十月七日代理交換規約ヲ議定ス。栄一此議ニ与ル。
明治33年8月1日
(1900年)
第7巻 p.372-373(DK070049k)
栄一外委員参集協議ノ上、東京銀行集会所規程改正ノ結果是日ヨリ当交換所事務ヲ同所ヨリ分離スルコトニ決ス。
明治34年1月1日
(1901年)
第7巻 p.373-375(DK070050k)
組合銀行集会ニ於テ、百円未満ノ当座預金ニハ利息ヲ附セザルコトニ決シ、是日ヨリ実施ス。栄一此議ニ与ル。
明治34年4月18日
(1901年)
第7巻 p.375-379(DK070051k)
主務官省銀行等ノ関係者ヲ銀行倶楽部ニ招キ、当交換所組合銀行春季懇親会ヲ開催ス。栄一出席シテ一場ノ挨拶ヲ述ブ。
明治34年6月1日
(1901年)
第7巻 p.379-385(DK070052k)
是ヨリ先、三十三年三月、栄一交換所委員長トシテ、東京市内各郵便局ニ於テ支払フベキ郵便為替証書ヲ当交換所ニ於テ交換決済セラレンコトヲ逓信大臣ニ禀請シタルガ、是年三月郵便為替譲渡規則公布セラレタルヲ以テ、同規則ニヨル証書交換ノ手続ニツキ再度逓信大臣ニ稟請シテ其認可ヲ得、是日ヨリ実施ス。後日同現則ハ郵便ニ依ル取立金ノ取立済通知書ニモ準用セラレタリ。
明治34年7月8日
(1901年)
第7巻 p.385-394(DK070053k)
是ヨリ先、手形ニ関シ裁判事件生ジタルヲ以テ、手形ノ安全ナル方式ヲ定メルタメ調査委員会ヲ設ケテ審議シ、是日ソノ雛形ヲ決定セリ。尋イデ代金取立手形ノ支払引受ニツイテモ一定ノ様式ヲ定メタリ。栄一委員長トシテ之ニ与ル。
明治34年12月26日
(1901年)
第7巻 p.394-396(DK070054k)
銀行倶楽部ニ於テ当交換所組合銀行忘年会ヲ開催ス。栄一一場ノ挨拶ヲ為ス。
明治35年12月8日
(1902年)
第7巻 p.396-402(DK070055k)
是日、当交換所組合銀行集会ニ於テ、各地交換所聯合会ヲ組織スベキコトヲ決シ、猶栄一外常委員及調査委員参集シテ聯合会準備委員会ヲ開キ、種種講究ノ後、大阪・京都・神戸・横浜・名古屋各地交換所ニ照会状ヲ発ス。
明治36年1月12日
(1903年)
第7巻 p.402-404(DK070056k)
地方ニ宛テタル支払保証小切手ヲ以テ為替手形ニ代用スルコトヲ廃止ス。栄一委員長トシテ之ニ与ル。
明治36年11月7日
(1903年)
第7巻 p.404-405(DK070057k)
銀行業務ニ於テハ明治三十年十一月以来厘位廃止ヲ実施セシモ、国庫出納ニハ行ハレ居ラザルヲ以テ、是日当交換所ハ政府計算ニ於テモ厘位ヲ廃止セラレンコトヲ建議ス。栄一委員長トシテ之ニ与ル。
明治37年3月5日
(1904年)
第7巻 p.406-426(DK070058k)
日露戦争中ニ於ケル財政経済上ノ状况ヲ取調ベ、銀行業務上ノ参考ニ資スベキ目的ヲ以テ、戦時経済調査委員会ヲ設置ス。栄一ノ代理トシテ佐々木勇之助同会ニ出席、栄一亦時ニ出席ス。
明治38年11月7日
(1905年)
第7巻 p.426-446(DK070059k)
日露間ノ平和克復ニ依リ戦時経済調査委員会ヲ解散シ、引続キ戦後経済上ノ調査ヲ為スベキ目的ヲ以テ戦後経済調査委員会ヲ設置ス。明後年十月ニ至リ解散ス。栄一ノ代理トシテ佐々木勇之助同会ニ出席、栄一亦時ニ出席ス。
明治40年3月23日
(1907年)
第7巻 p.446-468(DK070060k)
東京交換所創業満二十年紀念会ヲ開催ス。栄一一場ノ演説ヲ為ス。又創業以来ノ功労ニ対シ感謝状並ニ純銀製花瓶一対ヲ贈ラル。
明治42年6月6日
(1909年)
第7巻 p.468-469(DK070061k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日東京交換所委員ヲ辞ス。然ルニ組合銀行ノ多クハ留任ヲ希望セルヲ以テ留マル。
3款 全国手形交換所聯合会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年3月20日
(1903年)
第7巻 p.470-484(DK070062k)
第一回全国手形交換所聯合会ヲ東京銀行集会所ニ開ク。栄一会長ニ推サレ、開催ノ趣旨ヲ述ブ。翌日元老大蔵省及日本銀行関係者ヲ招キテ聯合懇親会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一開会劈頭一場ノ挨拶ヲ為ス。
明治38年5月25日
(1905年)
第7巻 p.484-496(DK070063k)
是日、栄一東京銀行倶楽部ニ開カレタル第三回全国手形交換所聯合懇親会ニ臨ミ一場ノ挨拶ヲ為ス。
明治39年4月26日
(1906年)
第7巻 p.496-498(DK070064k)
是日、栄一東京銀行倶楽部ニ開カレタル第四回全国手形交換所聯合懇親会ニ臨ミ一場ノ挨拶ヲ為ス。
明治40年4月12日
(1907年)
第7巻 p.498-507(DK070065k)
是日、栄一東京銀行倶楽部ニ開カレタル第五回全国手形交換所聯合懇親会ニ臨ミ来賓ニ対スル謝辞ヲ述ブ。
明治41年8月14日
(1908年)
第7巻 p.507-516(DK070066k)
是ヨリ先、国債及租税納期ニ関スル各地手形交換所聯合調査委員会ニ出席セシガ、是日其決定ニ係ル国債及租税納期ニ関スル建議案ヲ同会々長豊川良平ヨリ内閣総理大臣兼大蔵大臣侯爵桂太郎ニ提出ス。
明治41年9月10日
(1608年)
第7巻 p.516-519(DK070067k)
是日、栄一東京銀行集会所ニ開カレタル全国手形交換所臨時聯合懇親会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲ為ス。
3節 興信所
1款 東京興信所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年2月5日
(1896年)
第7巻 p.520-533(DK070068k)
是ヨリ先、明治二十五六年頃ヨリ栄一興信機関設立ノ必要ヲ説キ来リシガ、日清戦後商工業多事ナルニ及ビ、是日栄一始メ京浜銀行有力者発起人トナリ、東京興信所創立総会ヲ開ク。三月廿四日発起会員総会ヲ開キ第一銀行評議員ト為リ栄一其代表者ト為ル。爾後評議員会ニ出席ス。
明治32年1月27日
(1899年)
第7巻 p.533-536(DK070069k)
是日栄一発起会員総会ニ出席ス。
後屡々評議員会ニ出席シ外国人雇人之件、足利地方通信員派出之件等ニ付キ協議ス。
明治33年2月2日
(1900年)
第7巻 p.536-540(DK070070k)
是日栄一発起会員総会及ビ臨時総会ニ出席ス。又屡々評議員会ニ出席シ規約及ビ規則改正之件、活版印刷部新設之件等ニ付キ協議ス。
明治34年―42年
(1901-1909年)
第7巻 p.540-556(DK070071k)
栄一、屡々評議員会ニ出席シ所務ノ運営ニ尽力ス。
4節 保険
1款 東京海上保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年3月18日
(1878年)
第7巻 p.557(DK070072k)
是ヨリ先、麝香間出伺ノ華族二十六名同盟シテ東京鉄道組合ヲ結ビ、京浜間官設鉄道払下ノ允許ヲ得テ政府ト修約シ、家禄ヲ以テ七ケ年賦ニテ其払下代価三百十万円ヲ上納セントセシガ、金禄公債証書発行条例公布及第十五国立銀行設立等ニ因リ同盟華族中担保金額支出ニ差支ヲ生ジタル者アリテ、第三季上納ヲ了シタル後竟ニ払下ヲ中止スルノ已ム無キニ至リ、政府ニ鉄道払下条約取消ヲ願出デ其聴許ヲ得タリ。
仍テ是日東京鉄道組合第四十回会議ヲ開キ、解散ヲ決スルト共ニ将来ノ目的ニ付審議ス。該組合総理代人タル栄一転ジテ海上保険業ヲ創設スベキ事ヲ勧ム。衆議之ヲ容レ其準備調査ヲ栄一ニ委嘱ス。
明治11年5月13日
(1878年)
第7巻 p.557-579(DK070073k)
旧東京鉄道組合同盟曩ニ鉄道払下条約取消ニ依リ還附ヲ受クベキ既納金ノ運用方法トシテ、海上保険事業ヲ創設セントシ栄一ニ準備調査ヲ委嘱シタリシガ、其調査草案成ルヲ以テ、是日海上保険事業開設ニ関スル会議ヲ設ケ栄一之ヲ衆ニ示ス。
明治11年6月18日
(1878年)
第7巻 p.580-584(DK070074k)
旧東京鉄道組合同盟栄一ノ計画ニ従ヒ海上保険会社ヲ創立スルニ決シ、是日栄一ヲ総理代人ニ立テ創立事務一切処弁ノ上会社成立後始終担任アラン事ヲ依頼セシガ、栄一会社創立迄総理代人タラン事ヲ諾ス。
明治11年7月19日
(1878年)
第7巻 p.584-594(DK070075k)
栄一去六月十八日会議ニ於テ委嘱サレタル海上保険会社創立願書及鉄道払下代価既納金環付願書ノ草案ヲ起シ衆ノ輪議ニ付シ、是日久松定謨外二十四名連署ヲ以テ創立願書ヲ東京府知事楠本正隆ニ、翌二十日既納金環付願書ヲ大蔵卿大隈重信ニ提出ス。
明治11年8月13日
(1878年)
第7巻 p.594-597(DK070076k)
是ヨリ先、岩崎弥太郎海上保険事業ヲ経営セントセシガ官ノ允許ヲ得ザリシヲ以テ、栄一当同盟発起ニ加入セン事ヲ説ク。弥太郎全株高三分ノ一ヲ保有スルヲ条件トシテ之ニ応ズ。是日同盟会議ヲ開キ之ヲ承認スルト共ニ資本額ヲ追増スルニ決ス。
明治11年9月7日
(1878年)
第7巻 p.597-603(DK070077k)
岩崎弥太郎同盟発起ニ加入シタルニ因リ資本金五十万円ヲ六十五万円ニ増加シ、是日再ビ海上保険会社創立願書ヲ東京府知事楠本正隆ニ呈出ス。十二月十二日許可セラル。
明治12年7月14日
(1879年)
第7巻 p.603-646(DK070078k)
是日会社創立証書及定款ノ認可ヲ東京府知事ニ申請ス。同月三十日許可セラル。依テ東京海上保険会社ト称シ資本金六十万円ヲ以テ日本橋区南茅場町二十三番地ニ本社ヲ置キ、八月一日開業ス。栄一、岩崎弥太郎ト共ニ相談役ト為ル。
明治27年1月29日
(1894年)
第7巻 p.646-648(DK070079k)
是日開カレタル株主総会ニ於テ、栄一取締役ニ当選ス。
明治30年1月29日
(1897年)
第7巻 p.648-654(DK070080k)
是日株主総会ニ於テ栄一取締役一同ト共ニ同会社営業不振ノ責ヲ負ヒ職ヲ辞セントス。然レドモ株主ノ希望ニ依リテ全取締役再任トナル。
明治30年7月30日
(1897年)
第7巻 p.654-656(DK070081k)
是日株主総会ニ於テ栄一議長ト為リ議事ヲ処理ス。会社資本金百二十万円ヲ三百万円ニ増加スルニ決ス。
明治39年4月2日
(1906年)
第7巻 p.656-662(DK070082k)
是ヨリ先、三十二年六月当会社資本金ヲ百五十万円ニ減ゼシガ、是日臨時株主総会ニ於テ資本金ヲ増シテ三百万円ト為ス。其新株三万株ノ割当方ニ付株主中ニ異議ヲ唱フル者アリ、栄一説得シテ之ヲ可決セシム。
明治42年6月6日
(1909年)
第7巻 p.662-666(DK070083k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日同会社取締役ヲ辞ス。翌四十三年四月八日開カレタル株主総会ニ臨ミ、栄一取締役辞任ノ挨拶ヲ述ブ。
2款 明治火災保険株式会社
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明治21年10月1日
(1888年)
第7巻 p.667-674(DK070084k)
阿部泰蔵外数人ニヨリ火災保険会設立サル。栄一会友ノ一人タリ。
明治24年1月6日
(1891年)
第7巻 p.674-683(DK070085k)
是ヨリ先、火災保険会ノ組織ヲ改メテ株式会社ニナサントスルノ議アリ、是日発起人ヨリ明治火災保険株式会社目論見書及ヒ会社定款ヲ添テ会社設立願書ヲ東京府知事ニ提出ス。栄一発起人ノ一人タリ。設立後栄一株主トナル。
3款 横浜火災保険株式会社
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明治29年6月29日
(1896年)
第7巻 p.684-693(DK070086k)
是ヨリ先、小野光景外数人ニヨリテ横浜火災保険株式会社ノ設立発起サレ、是日東京銀行集会所ニ於テ発起人勧誘ニ関スル集会開カル。栄一出席シ、発起人タルコトヲ承諾ス。後、創立専務委員ニ推挙サレ、又株主トナル。
4款 日清火災保険株式会社
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明治39年9月8日
(1906年)
第7巻 p.694-697(DK070087k)
是ヨリ先、日清火災保険会社ノ設立発起サレ、是日発起人会開カル。栄一出席シ創立委員長トナル。後発起申請書・創立申請書ヲ各々提出ス。
明治40年3月1日
(1907年)
第7巻 p.697-698(DK070088k)
是日ヨリ屡々創立委員会ニ出席シ、要務ヲ談ズ。
5款 日清生命保険株式会社
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明治39年10月8日
(1906年)
第7巻 p.699-706(DK070089k)
是ヨリ先、早稲田大学関係者ニヨリ日清生命保険株式会社ノ設立発起サレ、栄一モ発起人ノ一人タリ。是日発起人会開カレ出席ス。
明治40年1月26日
(1907年)
第7巻 p.706-717(DK070090k)
東京商業会議所ニ於テ日清生命保険株式会社創立総会開カレ、栄一相談役ニ推挙サル。
明治42年6月6日
(1909年)
第7巻 p.717-718(DK070091k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日同社相談役ヲ辞ス。
6款 万歳生命保険株式会社
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明治39年11月9日
(1906年)
第7巻 p.719-730(DK070092k)
是ヨリ先、藤村義苗他数人ニヨリテ万歳生命保険株式会社ノ設立発起サレ、三十九年八月三十一日ヲ以テ営業ヲ開始ス。是日栄一相談役タルコトヲ承諾ス。
明治40年1月25日
(1907年)
第7巻 p.730-731(DK070093k)
是日栄一、重役会ニ出席ス。翌二月十六日ノ総会ニ於テ増資ノ件決議サル。
明治42年6月12日
(1909年)
第7巻 p.731-732(DK070094k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日相談役ヲ辞ス。
7款 東明火災海上保険株式会社
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明治40年7月8日
(1907年)
第7巻 p.733-762(DK070095k)
是ヨリ先、東京海上保険株式会社及ビ明治火災保険株式会社ノ関係者ニヨリ両社ノ再保険会社トシテ東明火災海上保険株式会社ノ設立発起サル。是日創立総会開カレ、栄一取締役ニ就任ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第7巻 p.762(DK070096k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日同社取締役ヲ辞ス。
8款 明教保険株式会社
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明治30年8月
(1897年)
第7巻 p.763-765(DK070097k)
是ヨリ先、明教保険株式会社重役間ニ紛議生シ、栄一及浜岡光哲ニソノ仲裁ヲ委嘱ス。是月其仲裁判断書ヲ下ストトモニ、株式売譲ニヨル解決ヲ示唆ス。
5節 其他ノ金融機関及ビ金融問題
1款 信託
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明治34年11月
(1901年)
第7巻 p.766-772(DK070098k)
是ヨリ先、明治二十年代末ヨリ栄一信託事業ニ関心ヲ抱キ、明治三十二年七月栄一ノ嗣子渋沢篤二及ビ穂積陳重欧米ニ遊ビタルトキ、穂積ニ托シテ北米合衆国ニ行ハルル信託事業ニ付調査セシメ、更ニ同三十三年第一銀行行員高木正義米国ニ遊ビタルトキニモ信託事業ニツキ調査セシムル等、信託事業ニ付キ研究スル所アリシガ、是月金曜会ニ於テ信託事業ニ関シ演説ス。尋イデ同三十五年一月米国人チーソン、ミラ両氏ト信託事業ニ関シ意見ヲ交換ス。
2款 日英金融商会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年6月1日
(1906年)
第7巻 p.773-774(DK070099k)
前年九月倫敦ニ設立サレタル日英金融商会ハ東京ニ支店ヲ設ケ、是日ヨリ事務ヲ開始ス。栄一ソノ顧問タリ。
3款 万国為替問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年11月
(1903年)
第7巻 p.775-777(DK070100k)
是月、米国貨幣委員コルネル大学経済学教授ジエンクス博士、万国為替制度問題ニ関シ我国ト交渉スル使命ヲ帯ビテ来朝セシヲ以テ、我ガ政府ハ官民ノ関係代表者ヲ選ビテ協議会ヲ開催セシガ、栄一モ亦数次同協議会ニ出席セリ。