デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
3款 第三回米国行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年10月14日
(1915年)
第33巻 p.5-18(DK330001k)
是ヨリ先栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコニ於テ開催中ノパナマ太平洋万国大博覧会観覧ヲ兼ネテ、米国行ヲ決意ス。是日、日米関係調査委員会主催送別会、十六日東京商業会議所主催送別会、竜門社秋季総集会兼送別会、二十日東京銀行家有志主催送別会、内閣総理大臣大隈重信主催送別茶話会、帰一協会主催送別晩餐会催サル。
大正4年10月23日
(1915年)
第33巻 p.18-35(DK330002k)
是日栄一、横浜ヨリ乗船シテ渡米ノ途ニツキ、十一月一日ホノルルニ寄港ス。
大正4年11月8日
(1915年)
第33巻 p.35-51(DK330003k)
是日栄一、サン・フランシスコニ上陸ス。十五日同地ヲ発シテ十六日シアトル着、十八日同地ヲ発シテポートランドヲ経テ二十二日シカゴ着、二十四日同地ヲ発シテ二十五日ピッツバーグ着、二十七日同地ヲ発シテ同日フィラディルフィア着、二十八日同地ヲ発シテニュー・ヨークヲ経テ二十九日ボストンニ着ス。
大正4年11月30日
(1915年)
第33巻 p.51-65(DK330004k)
是日栄一、ボストンヲ発シニュー・ヨークニ入ル。十二月五日同地ヲ発シテワシントンニ赴キ、六日ホワイト・ハウスニ於テ大統領トーマス・ウドロウ・ウィルソンニ会見シ、談日米国交親善ノ事ニ及ブ。八日同地ヲ発シシカゴヲ経テ十三日早朝ロス・アンジェルスニ到着、同日夜出発十四日再ビサン・フランシスコニ入ル。
大正4年12月18日
(1915年)
第33巻 p.65-78(DK330005k)
是日栄一、サン・フランシスコヨリ乗船シテ帰途ニ就キ、二十四日ホノルルニ入港上陸シ即日出帆、大正五年一月四日横浜港ニ帰着ス。
大正5年1月14日
(1916年)
第33巻 p.78-141(DK330006k)
是日栄一、日本移民協会第三回講演会(神田区日本基督教青年会館)ニ於テ、訪米旅行談ヲナス。爾後、十七日竜門社有志主催歓迎晩餐会(帝国ホテル)、十八日東京手形交換所新年宴会(銀行集会所)、二十四日全国商業会議所聯合会(東京商業会議所)、二十六日総理大臣大隈重信主催晩餐会(首相官邸)、二十七日銀行集会所新年宴会(帝国ホテル)、二月十九日日本貿易協会主催晩餐会ニ出席シ同様訪米旅行談ヲナス。
--第33巻 p.141-154(DK330007k)
--
4款 第四回米国行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年9月14日
(1921年)
第33巻 p.155-166(DK330008k)
是年十一月、アメリカ合衆国ワシントンニ於テ軍縮会議ノ開催セラルルヲ機トシ、栄一国民ノ一員トシテソノ実況ヲ視察シ、且ツハ日米親善ニ尽サン為メ渡米ノ意アリ。仍ツテ是日、東京銀行集会所ニ日米関係委員会ノ会員中数名ノ集会ヲ請ヒ、之ヲ諮ル。右ニヨリ栄一ノ他ニ同会代表者三・四名ノ渡米ヲ要望シ、二十一日代表者トシテ添田寿一・頭本元貞・堀越善重郎ノ三名ノ推薦発表サル。
大正10年9月21日
(1921年)
第33巻 p.166-200(DK330009k)
是日以後、栄一今回ノ渡米ニ就キ各種送別会催サル。即チ是日帰一協会主催、二十二日国際聯盟協会主催、二十七日郷里血洗島ニ於ケル渡米平安祈願祭、三十日交詢社主催、十月二日竜門社主催、並ニ同族会主催、三日東京商業会議所主催、四日早稲田大学定時維持委員会主催、及ビ埼玉県人会主催、五日陸軍大臣山梨半造主催、六日東京銀行倶楽部主催、八日日米協会主催、九日日華実業協会主催、十日日米関係委員会主催、十一日日本倶楽部主催、及ビ内閣総理大臣原敬主催、十二日修養団主催等送別ノ午餐会・晩餐会開催セラレ、栄一ソレゾレ出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正10年10月13日
(1921年)
第33巻 p.201-222(DK330010k)
是日栄一、東京ヲ発シ、横浜ヨリ乗船渡米ノ途ニ上ル。二十二日ハワイノホノルルニ寄港シ、二十九日サン・フランシスコニ上陸ス。
大正10年10月31日
(1921年)
第33巻 p.222-229(DK330011k)
是日栄一、サン・フランシスコヲ発シ、シカゴヲ経テ、十一月五日ニュー・ヨークニ到着、六日夜ワシントンニ向フ。
大正10年11月7日
(1921年)
第33巻 p.229-278(DK330012k)
是日栄一、ワシントンニ到リ、軍縮会議ノ日本全権委員公爵徳川家達及ビ同駐米大使男爵幣原喜重郎ニ面会、将ニ開カレントスル同会議ニ付進言スル所アリ。八日同全権委員男爵加藤友三郎ニ会シテ同ジク進言ス。同日ホワイト・ハウスニ於テ大統領ウォレン・ジー・ハーディングニ会見ス。九日前国務卿ウィリアム・ジェー・ブライアンノ来訪ヲ受ケ、又、上下両院議員其他有力者ト会見ス。
同日ニュー・ヨークニ帰リ、十二月三日マデ滞在ス。
此間十一月十一日ロチェスターニイーストマンヲ訪問、同家ニ一泊、同十二日コダック会社ノ工場ヲ見ル。十八日ピッツバーグニハワード・ハインズヲ訪問、同家ニ二泊ス。
十二月三日ニュー・ヨークヲ発シ、フィラディルフィアニジョン・ワナメーカーヲ訪問、同家ニ一泊、旅館ニ一泊ス。五日フィラディルフィアヲ発シ、再ビワシントンニ至リ、十一日マデ滞在ス。
此間八日元大統領ウィリアム・エッチ・タフトヲ訪問、十日国務省ニ国務卿チャールズ・イー・ヒューズヲ訪ネテ会談ス。
大正10年12月13日
(1921年)
第33巻 p.278-302(DK330013k)
是日栄一、ニュー・オーリアンズニ到リ、十四日同地ヲ発シ、十六日ロス・アンジェルスニ着ス。
二十日同地ヨリサン・ディエゴニ赴キ、二十二日ロス・アンジェルスニ帰ル。二十三日同地ヲ発シ、二十四日サン・フランシスコニ着シ、二十七日シアトル、二十九日ポートランドヲ訪レ、更ニ翌十一年一月三日フレスノ、四日リヴィングストン、六日サクラメント、七日スタクトンヲ訪フ。
大正11年1月10日
(1922年)
第33巻 p.302-318(DK330014k)
是日栄一、サン・フランシスコヲ発シテ帰国ノ途ニ上ル。十六日ハワイニ寄港シ、十九日出帆、三十日横浜ニ上陸シ、直ニ帰京ス。
大正11年2月12日
(1922年)
第33巻 p.318-369(DK330015k)
是日、内閣総理大臣子爵高橋是清主催ノ栄一帰朝歓迎会、其官邸ニ開カレ、内閣総理大臣ノ挨拶ニ対シテ栄一謝辞ヲ述ブ。次イデ二十四日東京銀行倶楽部主催、二十七日東京商業会議所並ニ日本工業倶楽部聯合主催、三月十日国際聯盟協会主催、十三日日本日曜学校協会主催、十六日男爵三井八郎右衛門主催、十七日帰一協会主催、二十日日本女子大学校主催、四月八日社会事業協会主催、十六日竜門社主催、十八日日本倶楽部主催、五月十一日日米協会主催ノ各歓迎会催サル。
大正11年2月25日
(1922年)
第33巻 p.369-372(DK330016k)
是日、栄一等ノ日米関係委員会ニ対スル渡米帰朝報告会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。次イデ三月八日、栄一東宮御所ニ伺候シ、アメリカ合衆国見聞談ヲ言上ス。同十八日芝離宮ニ催サレタル皇族講話会ニ於テ合衆国旅行談ヲ述ブ。
大正11年10月13日
(1922年)
第33巻 p.372(DK330017k)
最日栄一、兜町ノ渋沢事務所ニ於テ、渡米記念会ヲ催ス。
2節 米国加州日本移民排斥問題
○第二節ハ「米国加州日本移民排斥問題」トシテ同問題ヲ主軸トシタル資料ヲ収録セルガ、アメリカニ関係アル諸団体ヲモ含メテ編成セリ。又、第三節「国際団体及ビ親善事業」ニ収録シタル団体中ニモ、一部移民問題ニ関係ノ存スルモノアリ(「太平洋問題協議会」「太平洋問題調査会」等)、コレラハ移民問題トシテ参照ヲ要スルモノナリ。
○尚渋沢子爵家ニ所蔵サレタル資料ニハ、大正十二年ノ関東大震災ニ際シ焼失セルモノ多ク、為メニ本資料編纂ニ当リ、外国人関係ノ往復書翰ヲ新タニ蒐集収録セリ。所蔵者ガ外国人ニシテ(COPY)トアルハソレヲ示ス。
1款 在米日本人会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年8月29日
(1911年)
第33巻 p.373-387(DK330018k)
是ヨリ先、当会、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ起レル邦人排斥問題善後策ノ一トシテ、日本ノ実状ヲ紹介シ、在米同胞発展ノ状況ヲ視察シ、且ツ指導助言ヲ乞ハンガタメ、島田三郎ヲ招待シ、且ツ更ニ他ノ人選ヲ栄一ニ依頼ス。仍ツテ栄一、交換教授トシテ渡米スル農学博士・法学博士新渡戸稲造ニ乞ヒテ、カリフォルニア州ニ滞在シ島田ヲ援助セシムル事トナス。是日栄一、両名ヲ飛鳥山邸ニ招ジテ送別午餐会ヲ開ク。
明治44年12月15日
(1911年)
第33巻 p.388-391(DK330019k)
是ヨリ先十一月十四日、当会ハ、アメリカ合衆国各地日本人会代表者ノ決議ニ依リ、外務大臣子爵内田康哉ニ対シ、帰国者ノ再渡航他四項ノ請願ヲナシ、同時ニ栄一及ビ島田三郎ニ対シテ、右請願ノ目的ヲ貫徹シ得ルヤウ当局トノ交渉ヲ依頼ス。
是日栄一、内田外務大臣ヲ訪問シテ右ニ関スル意見ヲ述ブ。翌四十五年一月外務省ハ右ニ対スル返答ヲ日本人会ニ伝達ス。
明治45年2月26日
(1912年)
第33巻 p.392-399(DK330020k)
是ヨリ先一月十六日、デリンガム移民法修正案アメリカ合衆国議会ニ提出セラル。当会ハ其通過防止ノ運動ヲ栄一等ニ依頼ス。是日栄一、外務大臣子爵内田康哉ヲ訪ヒ、政府ノ方針ヲ質シテ之ヲ当会ニ報ズ。
大正2年1月21日
(1913年)
第33巻 p.399-404(DK330021k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国カリフォルニア州議会ニ、日本人排斥ヲ目的トスル外国人土地所有法案提出セラル。当会ヨリノ来状ニ接シ、是日栄一、外務省ニ外務次官倉知鉄吉ヲ訪問シテ協議スル所アリ。二月四日再ビ外務省ヲ訪問シテ右ニ関シ次官松井慶四郎ト意見ヲ交換ス。
大正8年7月30日
(1919年)
第33巻 p.404-405(DK330022k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ日米関係委員会開カル。栄一出席シテ当会代表神崎驥一ヲ招ジ、当会ヨリ提案セルアメリカ合衆国排日問題対策ヲ議ス。
爾後数回神崎来訪ス。
大正13年10月13日
(1924年)
第33巻 p.405-416(DK330023k)
是日当会書記長滝本為三、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法成立ニ依ツテカリフォルニア州在住邦人農業労働者ノ被レル困厄ヲ救済スル使命ヲ帯ビテ帰朝シ、栄一ヲ訪問シテ援助ヲ懇請ス。栄一助力ヲ約シ、爾後横浜正金銀行並ニ住友銀行ニ勧請シテ、資金貸出ニツキ援助セシム。
2款 日米同志会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年4月15日
(1913年)
第33巻 p.417-424(DK330024k)
アメリカ合衆国カリフォルニア州議会ニ提案セラレタル排日土地法案ヲ阻止センガタメ、是日、当会組織セラレ、栄一其会長トナル。二十一日当会主催ノ談話会築地精養軒ニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。二十六日午前外務省ニ外務大臣男爵牧野伸顕ヲ訪ヒ協議スル所アリ。午後当会主催各国通信社員招待会催サレ、同ジク出席シテ演説ス。五月二日当会ハ、全国商業会議所聯合会ト共同ニテ、在米同胞慰問使トシテ法学博士添田寿一及ビ神谷忠雄ヲアメリカ合衆国ニ送ルコトヲ決議ス。翌三日、栄一総理大臣伯爵山本権兵衛ヲ内閣ニ訪ヒ、排日問題善後策ヲ協議ス。
大正2年5月8日
(1913年)
第33巻 p.424-431(DK330025k)
是日当会、渡米スル添田寿一及ビ神谷忠雄両氏ノタメ、東京商業会議所ニ懇話会ヲ兼ネタル送別会ヲ開ク。栄一出席シテ意見ヲ述ブ。十日二氏出発ス。カリフォルニア州外国人土地所有法ハ十九日同州知事ノ署名ヲ得、州法トナル。
大正2年5月20日
(1913年)
第33巻 p.431-434(DK330026k)
是日、アメリカ合衆国人デーヴイッド・エス・ジョルダン、書ヲ栄一ニ寄セ、カリフォルニア州外国人土地所有法ニ関スル意見ヲ陳ズ。
大正2年6月2日
(1913年)
第33巻 p.434-436(DK330027k)
是日栄一、当会会長トシテ外務省ニ政務局長阿部守太郎ヲ訪ヒ、アメリカ合衆国ノ排日立法ニ就テ凝議ス。三日当会協議会、東京商業会議所ニ開カル。栄一出席シテ、同問題研究ノタメ近ク渡米セントスル法学博士末広重雄ヨリ、右ニ対スル法理上ノ意見ヲ聴取ス。十日更ニ外務省ニ外務大臣男爵牧野伸顕ヲ訪ヒ、同問題ニ関スル要談ヲナス。
大正2年6月4日
(1913年)
第33巻 p.437-439(DK330028k)
カリフォルニア州排日問題ノタメ、大正四年サンフランシスコニ開カルベキパナマ太平洋万国博覧会ニ不参加説生ズ。在米日本人会ヨリ参加出品意見ヲ通ジ来レルニヨリ、是日当会副会長中野武営ハ、農商務大臣山本達雄ヲ訪ヒ、出品ノ奨励ニ付相談ス。是ヨリ先政府ハ、栄一及ビ中野武営ニ尽力ヲ乞フ所アリ。
大正2年8月30日
(1913年)
第33巻 p.439-448(DK330029k)
是ヨリ先、当会ヨリアメリカ合衆国ニ特派セル添田寿一・神谷忠雄帰朝セルヲ以テ、是日其報告会ヲ開キ、栄一会長トシテ挨拶ス。次イデ九月八日栄一、東京商業会議所会頭中野武営ト共ニ慰労会ヲ帝国ホテルニ開ク。
大正3年1月8日
(1914年)
第33巻 p.448-451(DK330030k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ於ケル排日思想研究ノ目的ヲ以テ渡米シタル法学博士末広重雄帰朝シ、是日、東京商業会議所ニ於テ視察ノ結果ヲ報告ス。栄一出席シテ之ヲ聴取ス。
3款 日米関係委員会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年2月29日
(1916年)
第33巻 p.452-455(DK330031k)
是ヨリ先栄一、大正四年第三回渡米ヲ機ニ、日米両国間ノ軋轢ヲ防止シ親善ヲ増進センガタメ、アメリカ合衆国サン・フランシスコノ米日関係委員会ニ呼応スベキ一会ヲ設立センコトヲ志ス。是日、右会名ヲ日米関係委員会トナシ、其第一回会合ヲ東京商業会議所ニ催ス。是ヨリ栄一、ソノ常務委員トシテ尽瘁シ、歿年ニ及ブ。
大正5年6月2日
(1916年)
第33巻 p.456(DK330032k)
是日、当委員会他三団体主催、アメリカ合衆国飛行家アート・スミス送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正5年7月15日
(1916年)
第33巻 p.456-457(DK330033k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国人モートン・プリンス博士送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年9月5日
(1916年)
第33巻 p.457-464(DK330034k)
是日、当委員会及ビニュー・ヨーク日本協会協賛会主催、アメリカ合衆国鋼鉄会社取締役会長エルバート・エッチ・ゲーリー歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正5年12月10日
(1916年)
第33巻 p.464-467(DK330035k)
是日、当委員会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ聯合国傷病兵罹災者慰問ノ議ヲ主唱シ、一座ノ賛成ヲ得。尚、アメリカ人ジョン・ベーツ・クラーク教授ヨリ阪谷芳郎ヲ経テ申込ミタル、日米両国聯合高等委員設立計画ニツイテ協議ス。
大正6年3月7日
(1917年)
第33巻 p.467-470(DK330036k)
是日、当委員会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、会員増加ノ件、日米関係調査委員選定ノ件、大日本平和協会負担金負担ノ件等ヲ議シ、吉野作造ノ調査報告ヲ聴取ス。
大正6年6月26日
(1917年)
第33巻 p.470-471(DK330037k)
是日、当委員会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正6年7月5日
(1917年)
第33巻 p.471-472(DK330038k)
是日、当委員会及ビニュー・ヨーク日本協会協賛会主催遣米特命全権大使子爵石井菊次郎及ビベルギー駐箚特命全権公使安達峰一郎送別晩餐会、日本橋倶楽部ニ開カル。栄一主催者ヲ代表シテ開会ノ辞ヲ述ブ。尚、是ヨリ先六月三十日日本倶楽部主催両氏招待午餐会同倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。七月六日日米協会主催石井大使送別会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ十九日栄一、飛鳥山邸ニ同大使招待午餐会ヲ催ス。
大正6年10月1日
(1917年)
第33巻 p.472-473(DK330039k)
是日、当委員会、アメリカ合衆国ハワイニ在リテ在留邦人ノタメニ尽瘁セル牧師奥村多喜衛ノ帰朝ヲ機トシ、同人並ニアメリカ合衆国人ドレムズ・スカッダ博士ヲ、東京銀行倶楽部ニ招ジテ歓迎午餐会ヲ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正6年10月4日
(1917年)
第33巻 p.473-476(DK330040k)
是日、当委員会、アメリカ合衆国ニ特派セラルベキ帝国政府財政経済委員長男爵目賀田種太郎及ビ其一行ヲ、日本橋倶楽部ニ招待シテ送別晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。尚是ヨリ先九月十日、栄一飛鳥山邸ニ送別午餐会ヲ開ク。十月二日日米協会主催送別晩餐会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ送辞ヲ述ブ。十月三日内閣総理大臣寺内正毅主催送別晩餐会、其官邸ニ開カレ栄一出席ス。
大正6年11月3日
(1917年)
第33巻 p.476-478(DK330041k)
是日、当委員会及ビニュー・ヨーク日本協会協賛会主催ノ下ニ、アメリカ合衆国ハワイノ実業家フランク・シー・アサートンノ歓迎ヲ兼ネ、日本基督教青年会代表欧洲戦場慰問使日疋信亮・山本邦之助ノ送別晩餐会ヲ、東京銀行倶楽部ニ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正6年11月29日
(1917年)
第33巻 p.478(DK330042k)
是日、当委員会主催河上清送別午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正6年12月17日
(1917年)
第33巻 p.478-490(DK330043k)
是日、日米両国関係者合同主催、遣米特派全権大使石井菊次郎及ビ随員ノ帰朝歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正7年2月25日
(1918年)
第33巻 p.490-491(DK330044k)
是日、当委員会主催文学博士姉崎正治渡米送別会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年5月30日
(1918年)
第33巻 p.491(DK330045k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年7月5日
(1918年)
第33巻 p.491(DK330046k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年7月19日
(1918年)
第33巻 p.491(DK330047k)
是日、当委員会実行委員会、兜町渋沢事務所ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年11月8日
(1918年)
第33巻 p.491-492(DK330048k)
是日、当委員会主催、内田嘉吉送別午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年12月14日
(1918年)
第33巻 p.492(DK330049k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正8年4月17日
(1919年)
第33巻 p.492(DK330050k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー並ニ会員ロバート・エヌ・リンチノ両人ト当委員会会員数人トニヨリ、東京銀行倶楽部ニ於テ、大正九年日米関係委員協議会開催ニ就イテ協定ヲ行フ。栄一病気ノタメ出席スルヲ得ズ。
大正8年5月31日
(1919年)
第33巻 p.492-493(DK330051k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席、在米日本人会ヨリ派遣セラレタル神崎驥一ヲ招ジ、アメリカ合衆国カリフォルニア州在留日本人ノ状況ニ関スル報告ヲ聴取ス。此会合ニ於テ当委員会規約第五項ヲ修正ス。
大正8年7月30日
(1919年)
第33巻 p.493-496(DK330052k)
是日、当委員会小集会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席、在米日本人会代表神崎驥一ヲ招ジ、同会ヨリ提案セルアメリカ合衆国排日問題対策ヲ議ス。九月二十五日神崎飛鳥山邸ニ来訪ス。十月四日神崎兜町事務所ニ来訪ス。同十一日再ビ同所ニ来訪ス。
大正8年9月17日
(1919年)
第33巻 p.496-497(DK330053k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席、協議ノ結果規約ニ一項ヲ追加シテ幹事ヲ置クコトニ決ス。
大正8年11月7日
(1919年)
第33巻 p.497(DK330054k)
是日、当委員会主催会員男爵近藤廉平及ビ会員法学博士添田寿一帰朝歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正8年11月24日
(1919年)
第33巻 p.497-498(DK330055k)
是日栄一、当委員会会員文学博士姉崎正治・法学博士添田寿一・法学博士男爵阪谷芳郎ト、東京銀行倶楽部ニ会ス。十二月一日当会小委員会同所ニ開カレ、栄一出席シテ、有力米人招待ノ件ヲ議ス。翌二日右ニ付栄一、男爵目賀田種太郎ト共ニ内閣総理大臣原敬ヲ訪フ。
大正8年12月7日
(1919年)
第33巻 p.498-500(DK330056k)
是日栄一、麹町区永田町首相官邸ニ催サレタル、内閣総理大臣原敬主催当委員会会員招待会ニ出席シ、席上明年催サルベキ日米関係委員協議会ニ関シテ当局ノ援助ヲ求ム。
大正8年12月13日
(1919年)
第33巻 p.500(DK330057k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正9年1月10日
(1920年)
第33巻 p.500(DK330058k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席、同年東京ニ於テ日米関係委員協議会開催ノ件ヲ議ス。
大正9年3月3日
(1920年)
第33巻 p.500-501(DK330059k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国カリフォルニニア州上院議員チャールズ・ビル送別午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正9年3月17日
(1920年)
第33巻 p.501(DK330060k)
昨十六日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会委員ウォレス・エム・アレグザンダー一行来朝シ、是日ヨリ当委員会ト共ニ、東京銀行倶楽部ニ日米関係委員協議会ヲ開キ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ於ケル排日問題対策並ニ両国親善増進ニ関シテ協議シ、二十四日ニ至ル。
大正9年5月1日
(1920年)
第33巻 p.501-508(DK330061k)
是ヨリ先四月二十四日、アメリカ合衆国カリフォルニア州中央農会専務理事千葉豊治、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪ヒ、排日ノ顛末及ビ在留邦人ノ農業金融事情等ヲ詳話シ、且ツソノ著述「米国ニ於ケル排日問題ノ内容及之レカ善後策私案」ヲ是日栄一ヲ通ジテ当委員会ニ提出ス。栄一之ヲ更ニ内閣総理大臣原敬ニ提出ス。
大正9年4月26日
(1920年)
第33巻 p.508(DK330062k)
是日以後五月一日マデ、アメリカ合衆国アメリカン・インターナショナル・コーポレーション取締役会長フランク・エー・ヴァンダーリップ外十二名ヲ合衆国側委員トナシ、栄一外十四名ヲ日本側委員トシテ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テ日米有志協議会ヲ開キ、日米問題解決策ヲ議ス。尚此ノ前後一行ノ歓迎会各所ニ行ハル。
大正9年6月24日
(1920年)
第33巻 p.508-514(DK330063k)
是日栄一、カリフォルニア州中央農会専務理事千葉豊治及ビ男爵阪谷芳郎ト飛鳥山邸ニ会ス。
大正9年6月29日
(1920年)
第33巻 p.515(DK330064k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正9年7月19日
(1920年)
第33巻 p.515(DK330065k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正9年7月22日
(1920年)
第33巻 p.515-526(DK330066k)
是日栄一、神谷忠雄ヲ飛鳥山邸ニ招致シ、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会会長フランク・エー・ヴァンダーリップニ対スル紹介状ヲ交付ス。蓋シ同国カリフォルニア州ニ於テ、来ル十一月二日排日イニシアティヴノ行ハルルヲ憂ヒ、特ニ神谷ヲ同国ニ派遣シテ善処スル所アラシメシナリ。神谷帰国ノ後、十一月二十七日兜町ノ渋沢事務所ニ来リテ報告ス。
大正9年8月3日
(1920年)
第33巻 p.526-546(DK330067k)
当委員会ハ、文学博士・神学博士原田助ヲアメリカ合衆国カリフォルニア州ニ派遣シ、同地方ニ於ケル排日ノ緩和ヲ講ゼシムルコトトナリタルニヨリ、是日、同人及ビ千葉豊治ノ送別会ヲ東京銀行倶楽部ニ開ク。
同時ニ、同国ハワイニ在リテ日本人第二世啓蒙運動ニ従事セントスル牧師奥村多喜衛ヲ招キ、其説ヲ聴キテ賛意ヲ表ス。十一月四日、当委員会主催奥村送別会同倶楽部ニ催サル。栄一引続キ奥村ノ運動ヲ援助ス。
大正9年8月4日
(1920年)
第33巻 p.546-551(DK330068k)
是日、カリフォルニア州中央農会専務理事千葉豊治、栄一ヲ兜町渋沢事務所ニ訪フ。
大正9年8月
(1920年)
第33巻 p.551-574(DK330069k)
来ル十一月二日アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ於テ土地法ニ関シイニシアティヴ行ハレントシ、是月ヨリ栄一ノ意見各種ノ新聞雑誌ニ発表サル。
大正9年9月22日
(1920年)
第33巻 p.574-576(DK330070k)
是日栄一、和田豊治ト共ニ総理大臣原敬・陸軍大臣田中義一・外務大臣内田康哉ヲ歴訪ス。
大正9年10月1日
(1920年)
第33巻 p.576-581(DK330071k)
是日栄一、兜町渋沢事務所ニ子爵金子堅太郎・法学博士添田寿一・井上準之助、アメリカ合衆国人スタホード、フランシス、セルダン、タクトヒル、コールマン等ヲ会シテ、カリフォルニア州排日問題ヲ討議ス。
大正9年12月22日
(1920年)
第33巻 p.581-603(DK330072k)
是ヨリ先当委員会ヨリアメリカ合衆国ニ派遣セラレタル、原田助帰朝ス。是日、其歓迎会ヲ兼ネ協議会ヲ、東京銀行倶楽部ニ開キ、栄一出席ス。次イデ二十七日当委員会主催、原田助博士報告会同所ニ催サレ、栄一出席ス。
大正10年3月1日
(1921年)
第33巻 p.603(DK330073k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席、アメリカ合衆国サン・フランシスコ駐在総領事太田為吉ヲ招待シ、カリフォルニア州移民問題ニ関スル談話ヲ聴ク。是月、栄一ジョージ・ゲーリーニ来遊ヲ促ス。
大正10年3月10日
(1921年)
第33巻 p.603-613(DK330074k)
是日栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコヨリ帰国セル渡辺金蔵ノ来訪ヲ受ケ、カリフォルニア州移民問題ヲ談ズ。
大正10年4月4日
(1921年)
第33巻 p.613-614(DK330075k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年5月26日
(1921年)
第33巻 p.614-617(DK330076k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年6月22日
(1921年)
第33巻 p.617(DK330077k)
是日、当委員会主催ノ当委員会会員文学博士姉崎正治渡欧送別晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年7月6日
(1921年)
第33巻 p.617-618(DK330078k)
是日栄一、井上準之助ノ招待ニ応ジ、東京銀行倶楽部ニ到リ、アメリカ合衆国内ニ於ケル日本ニ関スル誤報訂正機関設置ノ問題ヲ議ス。
大正10年8月16日
(1921年)
第33巻 p.618(DK330079k)
是日、当委員会主催ノ当会員会会員男爵瓜生外吉帰朝歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年9月10日
(1921年)
第33巻 p.618-621(DK330080k)
是日当委員会ハ、アメリカ合衆国ハワイ大審院裁判長コーク夫妻、スタンフォード大学教授ペーソン・ジェー・トリート夫妻、ニューヨーク日本協会幹事ウォーデン夫妻ヲ帝国ホテルニ招キテ晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ当委員会ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正10年9月14日
(1921年)
第33巻 p.621(DK330081k)
是年十一月、アメリカ合衆国ワシントンニ於テ、軍縮会議ノ開催セラルルヲ機トシ、栄一国民ノ一員トシテソノ実況ヲ視察シ、且ツハ日米親善ニ尽サン為メ渡米ノ意アリ。仍ツテ是日、東京銀行集会所ニ日米関係委員会ノ会員中数名ノ集会ヲ請ヒ、之ヲ諮ル。右ニヨリ栄一ノ外ニ、当委員会代表者三・四名ノ渡米ヲ要望シ、二十一日代表者トシテ添田寿一・頭本元貞・堀越善重郎ノ三名推薦発表サル。
大正10年10月10日
(1921年)
第33巻 p.621(DK330082k)
是日、当委員会主催ノ渡米実業家送別会開カレ、栄一出席ス。
大正10年11月1日
(1921年)
第33巻 p.621(DK330083k)
是日、当委員会主催晩餐会東京銀行倶楽部ニ催サル。席上、当委員会会員文学博士姉崎正治帰朝報告ヲナス。栄一ハ渡米中。
大正10年11月9日
(1921年)
第33巻 p.622(DK330084k)
是日、当委員会主催タウンゼンド・ハリスノ甥アメリカ合衆国人ハリス招待会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一ハ渡米中。
大正11年1月30日
(1922年)
第33巻 p.622(DK330085k)
是日栄一渡米旅行ヲ終ヘ、横浜ニ帰着ス。次イデ二月二十五日当委員会ニ対スル帰朝報告会ヲ東京銀行倶楽部ニ開ク。
大正11年1月31日
(1922年)
第33巻 p.622(DK330086k)
是日、当委員会開カレ、栄一出席ス。
大正11年3月5日
(1922年)
第33巻 p.622(DK330087k)
是日、当委員会小委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正11年4月12日
(1922年)
第33巻 p.622-623(DK330088k)
是日、当委員会小委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正11年5月2日
(1922年)
第33巻 p.623(DK330089k)
是日、当委員会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席、規約ニ二箇条ノ追加ヲナシ、日米両国新聞紙上ノ誤報訂正並ニサン・フランシスコ及ビニューョーク両米日関係委員会トノ提携ヲ規定ス。
大正11年5月6日
(1922年)
第33巻 p.623-629(DK330090k)
是ヨリ先二月二十五日、当委員会ハ日米両国高等聯合委員設置ニ関シ、栄一等七名ノ実行委員ヲ挙ゲテ外務当局ト協議ス。五月三日栄一、アメリカ合衆国特命全権大使チャールズ・ビー・ウォレンヲ同大使館ニ訪ネテ同国政府ノ態度ヲ打診シ、直ニサン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダーニ対シテ電報ヲ発シ、右運動ノ促進ヲ謀ル。翌四日更ニ右ノ趣ヲ書通ス。是日ニュー・ヨーク米日関係委員会会長ジョージ・ダブリュー・ウィカシャムニモ之ヲ謀ル。
大正11年5月22日
(1922年)
第33巻 p.629-630(DK330091k)
是日、アメリカ合衆国人ジョン・アール・モット博士講演会及ビ歓迎晩餐会、日本工業倶楽部ニ催サレ、栄一出席ス。尚、前日五月二十一日ニハ、モット博士飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、日米両国関係親善ノタメ両国高等聯合委員設置ニ付尽力ヲ約ス。
大正11年7月7日
(1922年)
第33巻 p.630-634(DK330092k)
是ヨリ先七月二日、アメリカ合衆国海軍卿エドウィン・デンビー来朝ス。是日当委員会及ビ京浜在住実業家聯合シテ其歓迎晩餐会ヲ福井楼ニ開ク。栄一出席シテ主人側総代トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正11年7月18日
(1922年)
第33巻 p.634(DK330093k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正11年9月25日
(1922年)
第33巻 p.634(DK330094k)
是日栄一、シドニー・エル・ギューリック博士ヲ兜町渋沢事務所ニ招キ、日米問題ニ就イテ懇談ス。
大正11年10月4日
(1922年)
第33巻 p.634-635(DK330095k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国前国務次官エフ・ビー・ルーミス及ビジェー・ピー・アイリッシュ大佐歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。
栄一病気ノタメ出席セズ。
大正11年10月10日
(1922年)
第33巻 p.635-637(DK330096k)
是日、当委員会主催汎太平洋通商会議列席諸氏送別会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正11年11月2日
(1922年)
第33巻 p.637-640(DK330097k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国スタンフォード大学名誉総長デーヴィッド・スター・ジョルダン博士及ビ同国ハワイ大学総長アーサー・エル・ディーン博士歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ二十五日ディーン博士ヲ同所ニ招ジテ、ハワイ在留邦人問題ニ付懇談会ヲ催シ、栄一出席ス。又二十七日当委員会主催ジョルダン博士招待会同所ニ催サレ、栄一出席シテ、在米邦人問題ニ付懇談ヲナス。同夜当委員会主催両博士送別晩餐会同所ニ催サレ、栄一出席ス。
大正11年11月9日
(1922年)
第33巻 p.640(DK330098k)
是日、当委員会ノ協議会、兜町ノ渋沢事務所ニ開カレ、栄一出席ス。