デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一

2. 今の賢者の処世振り

いまのけんじゃのしょせいぶり

(2)-2

 這事に就ては、曾て法学博士穂積陳重氏も論ぜられた事のあるやうに記憶するが、墨子の兼愛説の如き、一寸聞いたところでは如何にも面白く感ぜられ、如何にも尤もらしく思はれ、又、そのうちには或る真理をも含んで居るに相違ないが、さて之を提げて実地に臨めば往々にして行き詰りになつてしまはねばならなくなる。仮令ば、今日の国際上にまでも墨子の兼愛説を演繹して行はうとすれば、其結果は果して如何あらうか、思ひ半ばに過ぐるものがある。是に至ると、孔夫子が論語に説かれた仁義礼智信五常の道は之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らぬ、坐しても行ひ、起つても亦行ひ得べき実際の処世に最も適切なる教訓であるといふ事になる。
 孔夫子と殆ど同時代の支那に於てさへ、孔夫子の教訓は単に一種の学説として取扱れたほどのものである。況んや、今日の我が邦に於て之を単に学説の如くに取扱ひ、如何にも結構な教であるといふ丈で、之を実際に施して躬行する者尠く、聖人の教訓は聖人の教訓、実際の処世は実際の処世と、別々に分けて考へる人々の多くなつたのも敢て怪むには足らぬ次第であるが、偶々之を実地処世の上に躬行した人があるかと思へば、それは多く中江藤樹先生とか、或は熊沢蕃山先生とか――蕃山先生は多少治政の事に関係もしたが――の如き所謂道学先生である。実地の社会とは懸け隔れた人々のみが論語に孔夫子の説いて置かれた教訓の実行者になつてゐるのは、如何にも遺憾である。
 近頃の実業界などで少し険しく立ち廻られやうとする方々なんかになると、其の根本の理想が全然私なぞと違つて、依然仁義は仁義で隅の方に押し付けて置き、儲ける事は儲ける事で、全く之を仁義の観念から離してしまひ、勝手に日常の去就進退を決し、聖人の教や論語の教訓を其儘実践躬行したんでは、到底今日の世の中が渡れるものでは無い。金儲けなぞの出来るものでは無い、事業に成功するなぞは思ひも寄らぬ事だと考へて居られる如くに見受けられる。殊に甚しい方々になると、心は仁義を無視した行動に出られやうとしながら、それでは余り世間への体裁上面白くない、余り自利主義の如く見えて彼是と非難を受ける恐れがあるからとて、自分が孔夫子の説かれた仁義に拠らうとする心は露僅かもなくして、却て自分で勝手な真似をする行動の方に仁義を引き寄せ、仁義をして自分の行動を弁護させる道具に使ひ、世間の手前だけを繕はうとせられる。心から真に仁義を行はんとする精神無く、皮層ばかりの仁義で世の中を渡らうと致される方が無いでもない。
 然し聖人の道は斯く実地を離れて片隅に押しつけ置かるべき性質のものではなく、錙朱の利を争ひつゝある間にも人は仁義を実地に行つて往けるものである。否な、仁義を根本にして商工業を営めば敢て争ふが如き事をせずとも、利は自から懐に這入つて来るものである。世の中は総て分業で、学者は学理を研究して新しい学理上の法則を発見し、治者は政治上に新しい意見を立て、国家の繁栄を計るやうになつて居る。恰度そのやうに商工業者は商工業を営んで利を挙げ、孔夫子の論語に説かれてある道に合致してゆけるものである。

全文ページで読む

キーワード
, 賢者, 処世, 振り
デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.645-655
底本の記事タイトル:一八九 竜門雑誌 第三二六号 大正四年七月 : 実験論語処世談(二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第326号(竜門社, 1915.07)
初出誌:『実業之世界』第12巻第12号(実業之世界社, 1915.06.15)