デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一

6. 遂に一橋慶喜の家臣

ついにひとつばしけいきのかしん

(2)-6

 それに就て平岡は、幕府に於ても既に両人が自分の家来で無い事を知つて居る際だから、強ひて家来であると偽つて報告するわけにゆかず、さればとて、平岡の家来で無いと報告してしまへば直に召捕られてしまう恐れがある。其辺甚麽したものだ、との相談で態々と私共が郷里に居つて懐いてたやうな一足飛びの過激な構想では到底事の成るものではない、それより寧ろ此際節を屈して一橋家に仕へ、草履取から始める決心で追々と政治上に実際の権力ある人に自分等の意見を進言し、之を行はしむるやうにした方が賢い道であると説き諭されたのである。喜作と私とは即座に返答しかねて、其場は其儘引き取り、宿に帰つてから徹夜で両人は一橋家に仕へる是非に就ての相談を凝したのである。
 これまで徳川幕府を倒さうとして奔走して来たものが、如何に焦眉の場合なればとて幕府の支流たる一橋家に仕へてその家臣となるのは面白くないとは思つたが、此際躊躇へば其うちには縛せられて犬死をするばかりであると考へ、猶ほ私は従来のやうな急激な理想では到底国家の政治を改革することの出来るものでない事にも想ひ到り、且つは又私共両人が一橋家の家臣になつた事が明かになれば、江戸伝馬町の牢屋に在る長七郎の嫌疑も自然或は晴れるだらうとも考へて、茲に喜作と私との相談が一決し兎に角一橋家に仕へて槍持からでも草履取からでも何でも始めよう、その代り一旦仕へた上は飽くまで君を尭舜にせねば止まぬとの決心を固め、翌日之を平岡に返事し、愈よ両人とも二月二十三日を以て一橋家に召抱へらるゝことになり、茲に従来の私の思想が一変したのである。

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徳川慶喜, 家臣
デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.645-655
底本の記事タイトル:一八九 竜門雑誌 第三二六号 大正四年七月 : 実験論語処世談(二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第326号(竜門社, 1915.07)
初出誌:『実業之世界』第12巻第12号(実業之世界社, 1915.06.15)