8. 男爵豪族政治を夢む
だんしゃくごうぞくせいじをゆめむ
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私は此際ほど困つたことはない。これまで倒さう〳〵と心懸けて来た幕府であるから、仮令、是まで仕へて来た君――君といふのは少し穏かでないかも知らぬが――が将軍になられたからとて、オメ〳〵幕府に仕へて幕吏となるわけにもゆかず、さればとて今更浪人して見たところで仕方が無いのみならず甚だ危険である。いつそ割腹して相果てようかとまでに一時は思ひ詰めもしたが、それでは犬死になるからと暫く苦痛を忍んで幕府の陸軍奉行支配調役といふものに仕官したのである。そのうち、仏蘭西留学を仰付かる事になつたが、此時ほど又私の嬉しく感じたことは無い。これで進退維に谷まる憂も先づ無くなつたと思ふと、実に嬉しかつたのである。慶応三年の正月三日に京都を出発し、仏蘭西郵便船のアルヘー号で横浜を出帆したのが、正月の十一日である。
- デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.645-655
底本の記事タイトル:一八九 竜門雑誌 第三二六号 大正四年七月 : 実験論語処世談(二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第326号(竜門社, 1915.07)
初出誌:『実業之世界』第12巻第12号(実業之世界社, 1915.06.15)