デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一

8. 男爵豪族政治を夢む

だんしゃくごうぞくせいじをゆめむ

(2)-8

 私は、この時とても依然徳川幕府は倒してしまはねばならぬもので又天下の大勢から察しても倒るべきものであると考へてたのであるが若し、これまで君公として仕へ奉つた慶喜公に一度将軍になられてしまひ申すと、情誼の上から私は幕府を倒す為に力を尽すわけには参らぬ事情に陥つてしまふ。のみならず、その当時私は、幕府も早晩倒れるに相違ないが、倒れた跡が今日のやうな御親政にならうとは夢にも思はず――今になつて思ふと誠に畏れ多い次第であるが――当分のところは豪族政治のやうなものになつて、薩長とか其他の有力なる藩が寄り合つて天下の政治を行ふことになるものと信じたのである。斯う考へて徳川一門を見渡すと、尾州公でも水戸公でも豪族政治の仲間入が出来さうな人傑では無い、たゞ一橋慶喜公だけは人傑であらせられるから、公を推し立てゝ行きさへすれば豪族政治の仲に割り込んで、我が志も行へるといふものだが、慶喜公が一旦将軍に御成りになつてしまへば、幕府が倒れた時に如何とも天下の政治に志の叙べようが無くなつてしまふ。そこで私は飽くまで慶喜公を一橋家に引き留めて置いて、将軍職には御就かせ申すまいとしたのである。然し、これは後年に至り御面会を致した際に始めて承つて知つた事であるが、慶喜公には此時既に大勢の赴く所を御察知あらせられ、当時私共の想ひ及ばなかつた御深慮を御持ちになり、大政を奉還して御親政の道を開きたいとの御志望から愈よ将軍職に御就きになることになつたのである。
 私は此際ほど困つたことはない。これまで倒さう〳〵と心懸けて来た幕府であるから、仮令、是まで仕へて来た君――君といふのは少し穏かでないかも知らぬが――が将軍になられたからとて、オメ〳〵幕府に仕へて幕吏となるわけにもゆかず、さればとて今更浪人して見たところで仕方が無いのみならず甚だ危険である。いつそ割腹して相果てようかとまでに一時は思ひ詰めもしたが、それでは犬死になるからと暫く苦痛を忍んで幕府の陸軍奉行支配調役といふものに仕官したのである。そのうち、仏蘭西留学を仰付かる事になつたが、此時ほど又私の嬉しく感じたことは無い。これで進退維に谷まる憂も先づ無くなつたと思ふと、実に嬉しかつたのである。慶応三年の正月三日に京都を出発し、仏蘭西郵便船のアルヘー号で横浜を出帆したのが、正月の十一日である。

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キーワード
渋沢栄一, 豪族, 政治,
デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.645-655
底本の記事タイトル:一八九 竜門雑誌 第三二六号 大正四年七月 : 実験論語処世談(二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第326号(竜門社, 1915.07)
初出誌:『実業之世界』第12巻第12号(実業之世界社, 1915.06.15)