デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一

11. 孝弟と三省との功徳

こうていとさんせいとのくどく

(2)-11

 私の「論語処世談」は、甚だ余談に亘つたが、これから、猶ほ論語「学而」篇の章句に就て処世の実際上に感じたことを些か申述べることにする。
有子曰。其為人也。孝弟。而好犯上者鮮矣。不好犯上。而好作乱者未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其為仁之本与。【学而第一】
(有子曰く、其人となり孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮し、上を犯すことを好まずして乱を興す者は、未だ之れあらざる也。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なるものは夫れ仁を為すの本か。)
 有子は孔夫子十哲の一人では無いが、論語の序文にも論語は有子と曾子との門人の手によつて編まれたとの故、孔子の御弟子のうちでも有若と曾参とには特に「子」の敬称を附し「有子」「曾子」と論語の中に書かれてある、と記せられてるほどで、有子の言には敬重すべきものが多く、私は頗る之を悦ぶものである。却説人間は如何に智恵があつても、人情に淳樸な所が無いと兎角悪い事を為るやうになり勝のものである。故に私は他人を頼んで使ふにしても、智恵があるよりも人情に淳樸で、我が家族に対し孝弟の道を尽す、親切な心のある者を力めて採ることにして居る。孝弟の道を弁へ親兄弟に親切な人でも中には悪い事をする者が絶無であるとは云へぬが、さういふ人は鮮いものである。素より上を犯す如き事は甚だ稀である。上を犯すを好まざる者は乱をなすといふ如き事は「未だ之れ有らざる也」で、絶対に無い。随つて人情に淳樸な孝弟の道を弁へた人々を集めて事業を経営すれば、ごた〳〵なぞの起る心配はまづ以て稀れであると云へる。
曾子曰。吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。与朋友交而不信乎。伝不習乎。【学而第一】
(曾子曰く、吾日に三たび吾が身を省る。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交りて信ならざるか。伝へて習はざるか。)
曾子は孔夫子の御弟子中でも私の甚だ気に入つて居る人物であるが私は曾子の茲に説かれてある如く一日に三度我が身を省るといふほどまでには参らなくても、人の為に忠実に謀つてやらねばならず、友人に対しては信義を尽くさねばならず、又私が孔夫子より教へられた道を閑却せず、常に修めて行かねばならぬものであるといふ事を忘れずに心懸けて居る。
 人の為に忠実に謀り、友人に信義を尽くし、聖人の道を修めるに汲汲としてさへ居れば、人は怨みに遠ざかる事ができ決して他より怨まるるものでは無い。私が御訪問を受けさへすれば、誰彼にでも御面会し、隠し包むところなく意見を申述べるのも、この章句を些か身に体して行ひたいからの事である。「伝へて習はざるか」との句を、「他人に聖人の教を伝へて置きながら、自分では之を修めぬやうなことが無いか」との意味に解釈する人もあるが、矢張「他より教られて居りながら、たゞ聞いたのみで、之が実行を怠つてるやうな事は無からうか」といふ意味に解釈するが宜しからうと思はれる。

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デジタル版「実験論語処世談」(2) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.645-655
底本の記事タイトル:一八九 竜門雑誌 第三二六号 大正四年七月 : 実験論語処世談(二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第326号(竜門社, 1915.07)
初出誌:『実業之世界』第12巻第12号(実業之世界社, 1915.06.15)