デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一

2. 大隈の居据り内閣

おおくまのいすわりないかく

(7)-2

 孔夫子が純然たる学者になられ、三千にも余る弟子を容れて道を説かれ、書を編まれるやうになつたのは、魯の哀公十一年、御齢が六十八になられてから後のことで、それまでは孰れかと申せば政治家であらせられた。政治家と申しても、春秋の政治家の如く、自己の功名利達の為に政を行はうといふのでは無い、仁義の為に政を行はうとせられたのである。
 今回大隈伯に於かせられては、一旦辞表を提出せられたるにも拘らず、時局を拾収するに堪ふるものが他に無いからとの事で、内閣改造の上、再び元の如く居据られたのであるが、居据り内閣の御趣意が果して孔夫子の御志と同じで、大隈若し朝に在らずんば、仁義の政を如何せんとの御心情から来たものか何うか、この辺の処は今私より申し上ぐべき限りで無い。大隈伯には必ずや春秋に於ける政治家の如き御心情など、毛頭在らせられぬものと私は信ずる。

全文ページで読む

キーワード
大隈重信, 居据り, 内閣
デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.685-690
底本の記事タイトル:二〇〇 竜門雑誌 第三三一号 大正四年一二月 : 実験論語処世談(七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)
初出誌:『実業之世界』第12巻第17号(実業之世界社, 1915.09.01)