デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一

11. 私と養育院の事業

わたしとよういくいんのじぎょう

(7)-11

 孝行ばかりでは無い、政治も矢張り同じことである。政治ばかりでは無い、世間の一切万事皆同じ事である。孝行も孝行をしようとしてすれば却つて孝行にならぬやうに、政治をしようとしてすれば却て真実の政治にならぬものである。孝行ならぬ孝行が真実の孝行になるやうに、政治ならぬ政治が真実の政治になるものである。孔夫子が政を行はうとさへすれば、強ひて位に上り官に就かずとも政は行ひ得られるものだと仰せになつたのは、此処の消息を指して曰はれたものである。如何にも孔夫子が仰せられた通りで、孔夫子はその胸中に蘊蓄せられた政道の抱負を官に就き位に上つて実行せられるわけには参らなかつたに相違ないが、孔夫子の道の伝へられた処には、唯に孔夫子御在世の時代のみに限らず、又支那の一国一州否な支那全国四百余州のみに限らず、海外の日本に於てまでも御在世当時野に於て孔夫子が唱へられた仁義の政を天下に施いて民福の増進を計らうとの志を懐く千百の政治家を生じ、孔夫子は敢て政を為すを為さずして、却て東西に亘り古今を通じ、広く且つ永く政を為したも同じことになられたのである。孔夫子が政を為すを為さずして為された政は、僅に一国宰相の印綬を帯び、僅々三四年の間に行ふ常人の政以上に値する古今独歩の大なる政治であつた。この意味に於て政を為すを為さゞりし孔夫子は今の所謂政治家の夢想にだも及ぶ能はざる大政治家である。
 私も明治六年以来全く官途に念を断つて、一意民業の発達に及ばずながら力を致して来たのであるが、それでも全く政治に関係が無いものとは思はぬ。仮令孔夫子の如く広く且つ永くは無いにしても、是も亦、政を為さずして為す政のうちであらうかと、僣越ながら存ずるものである。私は、久しい以前より東京養育院の事業に関係し、今日でも不行届勝ながら其の御世話を致して居るが、之なぞも素より私が一身の功名栄誉の為にするのでも何でもない。孔夫子の論語に説かれた「惟れ孝に、兄弟に友に、有政に施す、是れも亦政を為すなり」の遺訓を服膺し、斯る事業に力を尽すのも亦つまりは政を為さゞる政で、少しは国家政治向の御利益にならうと思ふからの事である。

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デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.685-690
底本の記事タイトル:二〇〇 竜門雑誌 第三三一号 大正四年一二月 : 実験論語処世談(七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)
初出誌:『実業之世界』第12巻第17号(実業之世界社, 1915.09.01)