デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一

7. 近江の孝子と信濃の孝子

おうみのこうしとしなののこうし

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 徳川幕府の中葉より行はれ始め、神儒仏三道の精神を合せ、平易なる言語を用ひ、極卑近にして而も通俗な譬喩を挙げて実践道徳の鼓吹に力めたものに「心学」と申すのがある。八代将軍吉宗公の比、石田梅巌始めて之を唱へ、かの有名な「鳩翁道話」などこの派の手に成つたものであるが、梅巌の門下よりは手島堵庵、中沢道二などの名士出でこの両人の力により心学は普及せらるゝやうになつたものである。
 私は曾てこの両人の中の中沢道二翁の筆になつた「道二翁道話」と題せらるゝ一書を読んだ事がある。そのうちに載つてる近江の孝子と信濃の孝子とに就ての話は、未だに忘れ得ざるほど意味のある面白いもので、確か「孝行修行」といふ題目であつたかの如くに記憶して居る。
 その名は何と申したか今明確と覚えて居らぬが、近江の国に一人の有名な孝子があつた。夫れ孝は天下の大本なり、百行の依て生ずる処と心得て、日夜その及ばざるを唯惟れ恐れて居つたが、信濃の国に又有名なる孝子在りと聞き及び、親しく其の孝子に面会して如何にせば最善の孝を親に尽すことの能きるものか、一つ問ひ訊して見たいものだとの志を懐き、遥々と野越え山越え谷越えて、夏なほ涼しき信濃の国まで態々近江の国から孝行修行に出かけたのである。

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キーワード
近江, 孝子, 信濃
デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.685-690
底本の記事タイトル:二〇〇 竜門雑誌 第三三一号 大正四年一二月 : 実験論語処世談(七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)
初出誌:『実業之世界』第12巻第17号(実業之世界社, 1915.09.01)