デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一

4. 済生会創立当時の桂公

さいせいかいそうりつとうじのかつらこう

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 故桂公も流石に豪い政治家であらせられた丈けに、済生会設立の計画が起つた当時なぞは、不肖の私でも何かの御用に立つものと思召されたものか、大層私を珍重せられて、一にも渋沢二にも渋沢、「渋沢さん渋沢さん」と声を懸けて下されたものである。桂公が果して私を済生会設立に都合の良い役に立つ道具だと思はれて斯く私にチヤホヤされたものであるか何うか又済生会が愈〻首尾よく設立せられてしまつた後の桂公が私に対して如何であつたか、など云ふことも今私より申上ぐべき限りで無いが兎に角済生会創立当時に桂公が一にも二にも「渋沢さん渋沢さん」と私を大切にして下された事だけは事実である[。]
 孔夫子も初めて諸公に見えられたばかりや、或は庸聘せられたばかりのうちは、諸公の眼より我功名利達を遂ぐるに恰好の道具であるかの如くに目せられ、チヤホヤと大切に扱はれもせられたらうが、役に立つ間だけ使つてしまへば、元来が仁義を行はんが為に政治に干与せられたる孔夫子のこと故、諸公の眼よりすれば、用の無いのみか却て邪魔になる所謂無用の長物たるが如き観を呈したわけのものである。之が、孔夫子の到る処に於て長く政治に関係し得られなかつた所以である。

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キーワード
済生会, 創立, 桂太郎
デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.685-690
底本の記事タイトル:二〇〇 竜門雑誌 第三三一号 大正四年一二月 : 実験論語処世談(七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)
初出誌:『実業之世界』第12巻第17号(実業之世界社, 1915.09.01)