デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一

6. 施さざるの慈善あり

ほどこさざるのじぜんあり

(7)-6

 政治とは必ず一国の朝に立たねば行へぬものと思はば大なる間違ひである。世の中には施さざるの慈善あり、又、書を読まざるの学問ある如く、政治ならざる政治もある。人の日常生活を離れて外に政治は在り得べきもので無い。人若し仁義礼智信の五常を以て其日々を律すれば、その人の日常は是れ即ち王者の仁政である。禅を修められた御篤志の方々なぞより能く即身成仏と申す事を承るが、矢張同じ意味のものだらうと存ぜられる。孔夫子ほどの大聖人に成られる[るれ]ば、政治と日常の御生活との間に最早や区別が無くなつてしまひ、二にして一、一にして二といふ事になる。
 孔夫子は此の意味に於て「或る者」が発した皮肉の質問に答へられ必ずしも官に就き位に上り、政治向の事に干与するばかりが政治を取ると申すのでは無い、政は敢て仕官をせずとも日々取つてゆけるものである、兄弟に友に、四海に仁義を施くのが即ち王者の政である。故に強ひて世間に所謂政治家となる必要なぞ更々無い、仁義礼智信の道を歩むのが是政治では無いか、との反問を発せられて、「或る者」の冷評的質問を退治せられたのである。是処に常人と全く其選を異にした孔夫子の偉大なる御人格がある。

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デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.685-690
底本の記事タイトル:二〇〇 竜門雑誌 第三三一号 大正四年一二月 : 実験論語処世談(七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)
初出誌:『実業之世界』第12巻第17号(実業之世界社, 1915.09.01)