デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一

3. 政治家に通有の悪弊

せいじかにつうゆうのあくへい

(7)-3

 然し、世間から所謂政治家と称せらるゝ人々には、兎角真実が足りぬやうな傾きのあるもので、人を見さへすれば、何んでも之を道具に使はう使はうといふ事計りを考へる癖がある。従つて、道具に使つて役に立つてる間は、大に其人を尊敬するやうな風に見せて大事にもするが、既う使ふ丈け使つて用が無くなつたとなれば、秋が来て団扇を棄てでもする時のやうに、これまで随分、自分の利益を計つて呉れた人をも忽ち棄てて顧みぬまでになり勝ちなものである。
 孔夫子に仕官の御志があつて、政治に干与して見たいとの御一念から、或は斉の景公に仕へようとせられたり、或は魯の定公に仕へられたり、或は又衛の季康子、楚の輙公などに用ゐられんとしたり、其他曹に行き宋に行き、鄭に行き陳に行き、蔡に行かれたのも、畢竟するに仁義の道を行はうとの御所存からである。然るに、当時の諸公や群雄には、孔夫子の斯の至大至高なる御意を解し得るものが無かつたので、一度は孔夫子を用ひて見ようとの気を起し、或は又魯の定公の如く実際に重用して見るものがあつても、根本の思想に於て孔夫子とは墨と雪ほどにも相違して居る処より、結局、遂に折合はなくなつてしまふのが例であつた。
 これと云ふのも、当時に於ける所謂政治家が、一意、功名利達を以て終生の目的とし、敢て他を顧る暇が無かつた為である。是に於てか孔夫子を此の目的を達する道具に使ひ得ると思ふ間は、諸公も礼を厚くして孔夫子に対し、或は孔夫子を聘せんとし、或は孔夫子を聘しもしたが、愈々道具に使へぬことが明かになつて来れば忽ち棄ててしまふ事になるから、孔夫子も、足の塵を払つて諸公の許を去らねばならぬやうになられたものである。孔夫子に「奚ぞ政を為さざる」との質問を発した「或る者」は、斯く孔夫子が寧日無きまでに到る処を駈けずり廻られて、仕官の念頗る急なるに拘らず到る処に用ひられず、毫も成功を収めずして失敗に失敗ばかり重ねて居らるゝのを見、「口で政治を説くばかりでは駄目だ、少し実際の御手腕を拝見さして戴きたいものだ」と嘲りながら斯く皮肉に質問したのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(7) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.685-690
底本の記事タイトル:二〇〇 竜門雑誌 第三三一号 大正四年一二月 : 実験論語処世談(七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)
初出誌:『実業之世界』第12巻第17号(実業之世界社, 1915.09.01)