デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一

2. 信は親より進化せるもの

しんはしんよりしんかせるもの

(8)-2

 法学博士穂積陳重氏は八十島親徳の子に「信之助」と命名した時に命名の辞に代へて、道徳進化論の上より「信」の重んずべきを説かれたことがある。同氏の意見に拠れば「信」は素と母が其子を哺育する関係より母子の間に生じた「したしみ」即ち「親」に其端を発したもので、母子間の親は拡められて親子間の親となり、更に拡大せられて同族間の親となり、漸次、社会が進歩発達して其範囲を拡張するに至るや、「親」も亦其形式を変じて「信」となつたのであるが、社会が進化して其の範囲が拡めらるれば拡めらるるほど、信は愈〻益〻社会の結成に必要欠くべからざるものとなる故、信は道徳の中でも最も進歩した形式で、今日の如く進化発達せる社会には一日も欠くべからざるものだとの事である。穂積氏の此の意見に対しては、私も全然同意である。
 然し既に「論語処世談」の初頭に於ても私が申し述べて置いた通りで信には又必ず義を伴はねばならぬもので、不義を果さんが為に守る信は単に社会の利益とならざるのみならず、社会を荼毒することになるものである。此辺は青年子弟諸君に於て、十分注意せられて然るべきである。

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デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.2-7
底本の記事タイトル:二〇二 竜門雑誌 第三三二号 大正五年一月 : 実験論語処世談(八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第332号(竜門社, 1916.01)
初出誌:『実業之世界』第12巻第18号(実業之世界社, 1915.09.15)