デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一

3. 武士道は義によつて立つ

ぶしどうはぎによってたつ

(8)-3

見義不為。無勇也。【為政第二】
(義を見て為さざるは勇無き也。)
 これは「為政」篇最後の句であるが、武士道などと申すものも、畢竟するに勇を振つて義を行ふ所にあるらしく存ぜられる。苟も義の在る所、水火をも辞せずして行くといふのが、是れ即ち武士道の本意である。
 文天祥と申さるる方は甚だ女々しい行ひのあつた人で、好ましからぬ人物である。私が先年、九州の安川敬一郎氏が設立せられた明治専門学校を参観した時に、同校に文天祥の書いた額を掲げてあつたのが偶然眼に触れたものだから、私は安川氏に向ひ「文天祥とは……エライ人の額を御掲げになつたものだ」と、稍々不同意の心情を漏らすと安川氏よりも私に対し「文天祥の額に就て非難せらるる方は、男爵閣下ばかりで無い、過般大隈伯の来られた時にも、切りに『文天祥は不可ん。文天祥は不可ん』と申されてました」との話があつた程で、文天祥の行為には好ましからぬ事も多いが、この人が死んで後に其遺骸を調べて見ると、下帯に次のやうな銘が書かれてあつたのを発見したとのことである。
孔曰成仁。孟曰取義。惟其義尽。所以仁至。読聖賢書。所学何事。而今而後。庶幾無愧。
(孔曰く、仁を成すと。孟曰く、義を取ると。惟れ其の義を尽すは仁至る所以なり。聖賢の書を読んで、学ぶ所、何事ぞ。而して今而して後、庶幾くば愧無らんか。)
 昔の支那人は、平素服膺すべき箴言を能く袵(ジン)に書きつけなぞして居つたものだが、文天祥は更に其の上は手で、日常の座右の銘とも申すべき此の句を下帯に書いて置いて、座臥共に須臾も我が身よみ[より]離さぬやうにして居つたものと思はれる。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.2-7
底本の記事タイトル:二〇二 竜門雑誌 第三三二号 大正五年一月 : 実験論語処世談(八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第332号(竜門社, 1916.01)
初出誌:『実業之世界』第12巻第18号(実業之世界社, 1915.09.15)