デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一

4. 文天祥の「衣帯銘」

ぶんてんしょうのいたいめい

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 文天祥が死んでから後に、下帯へ書いてあるのを発見された此の銘は「文天祥衣帯銘」とも亦「衣帯中賛」とも称ばれて居るが、仮令文天祥の人物や行動には好ましからぬ所があつたにしても「衣帯銘」は決して棄つべきもので無い。其意たるや孔子は仁を説き孟子は義を説いたが、人若し義を尽せば、自らにして仁に達するを得べく、仁義は決して二つ個々別々のものでは無い、二にして一なるものである、聖賢の書を読んで学ぶ所も畢竟この上に出づる能はざるもの故、義を尽して世に立ちさへすれば、仁をも完うし、百世の後までも世間の人々より笑はるるやうな愧を掻かずに済むといふにある。
 如何にも其の通りで、孔夫子は論語「衛霊公」篇に於て「志士仁人無求生以害仁。有殺身以成仁(志士仁人は、生を求めて以て仁を害する事無し。身を殺して仁を成すこと有り)」と仰せられた。仁の初歩たる孟子が「公孫丑章句上」に所謂惻隠の心なども其根柢は矢張之を義に発するものである。故に孔夫子は、同じく論語「衛霊公」篇に於て「君子義以為質。礼以行之。孫以出之。信以成之。(君子は義を以て質と為し、礼を以て之を行ひ、孫(遜と同意義)を以て之を出し、信を以て之を成す。」と説かれて居る。義は仁の本体で、義が動いて人の行跡になつたものが是れ即ち仁である。義に勇みさへすれば人は必ず仁を行ひ得るもので、文天祥「衣帯銘」は此の消息を伝へたものである。されば、孟子の如きも「告子章句上」に於て「魚我所欲也。熊掌亦所欲也。二者不可得兼。舎魚而取熊掌者也。生亦我所欲也。義亦我所欲也。二者不可得兼。舎生而取義者也。(魚は我が欲する所、熊掌も亦我が欲する所なり。二つの者兼ぬることを得可からずんば、魚を舎てて熊掌を取らん者なり。生も亦我が欲する所、義も亦我が欲する所なり。二つの者兼ぬることを得可からずんば、生を舎てて義を取らんもの也)と曰はれて居る。

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デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.2-7
底本の記事タイトル:二〇二 竜門雑誌 第三三二号 大正五年一月 : 実験論語処世談(八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第332号(竜門社, 1916.01)
初出誌:『実業之世界』第12巻第18号(実業之世界社, 1915.09.15)