デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一

5. 高杉晋作と坂本竜馬

たかすぎしんさくとさかもとりょうま

(8)-5

 人誰か生を欲せざるものあらんや、誰でも生を欲しはするが、義の為に生を捨てて意とせざること猶ほ魚を舎てて熊の掌を取るが如くにするのが是れ人の人たる道を尽くす所以である。然し、これは言ふべくして容易に行ひ難いもので、殊に才智謀略に富んだ人に於て難しとする所である。
 されば維新三傑のうちにあつても、大久保公とか木戸公とかの如き計略の多い方々は、如何しても義に勇むといふ処が少かつたやうに思はれる。之に反し、計略智謀には乏しいが何方かと云へば蛮勇のあるやうな方には、義に勇む人々が多いもので[あ]る。高杉晋作さんは米山甚句に能く謡はれる「真の闇夜に桜を削り赤き心を墨で書く」の唄を作つた方で、私は別に親しく往来したわけでも無いが、故井上侯などより承る所によつて観れば、義を見て為さざるは勇無き也、との意気が常にあつた人の如くに思はれる。高杉さんは、余程変つた面白い所のあつた人らしく、安政六年吉田松陰の在獄中に種々世話をしてやつたり、文久二年品川御殿山の洋館を焼いたり、其他屡〻生死の巷に出入したのも、義を見て為すの勇があつたからである。それから又、坂本竜馬といふ人なんかも、義を見て為さざるは勇なき也との意気があつた方のやうに思はれる。

全文ページで読む

キーワード
高杉晋作, 坂本竜馬
デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.2-7
底本の記事タイトル:二〇二 竜門雑誌 第三三二号 大正五年一月 : 実験論語処世談(八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第332号(竜門社, 1916.01)
初出誌:『実業之世界』第12巻第18号(実業之世界社, 1915.09.15)