デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一

6. 桜田事変の有村氏

さくらだじへんのありむらし

(8)-6

 御大老井伊掃部頭を桜田で刺した水戸浪士の仲間に、有村治左衛門といふ人があつた。この人は元来薩摩の藩士で、安政の六年薩摩から出て来て国事に奔走して居つたのだが、其間に水戸の志士と交際するやうになつたものである。然し、井伊大老を刺さうといふ評議のあつた時には、有村は水戸藩のものでも無いから、若し浪士の仲間に加盟せずに済まさうとすれば加盟せずとも夫れで済んだものである。この消息は当時の事情を詳細に調査して見れば直ぐ明かになる次第だが、有村は井伊大老を以て天朝に対して慮外の処置を致す不届至極の不義者と考へたので、水戸浪士の仲間入をしないやうでは、是れ義を見て為すの勇なき卑怯者になると信じ、幾干も抜け道があつたに拘らず強ひて自ら求めて桜田事変の徒党に加盟したものである。
 如何なるものを「義」と観るかといふ事に関しては、それぞれ其人其時代によつて観る所を異にするだらうが、井伊大老にして果して違勅等の所為があつたとすれば、有村治左衛門が之を刺すを義なりしとて、当然避け得らるべき所を避けずに、万延元年の桜田事変に於ける水戸浪士の仲間入りをしたのは、生を軽んじ義を重しとしたものと云はねばならぬ。

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桜田事変, 有村治左衛門
デジタル版「実験論語処世談」(8) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.2-7
底本の記事タイトル:二〇二 竜門雑誌 第三三二号 大正五年一月 : 実験論語処世談(八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第332号(竜門社, 1916.01)
初出誌:『実業之世界』第12巻第18号(実業之世界社, 1915.09.15)