デジタル版「実験論語処世談」(29) / 渋沢栄一

2. 社会事業を楽む癖

しゃかいじぎょうをたのしむくせ

(29)-2

 然し、楽むといふ事も余り昂じ過ぎれば、世間に迷惑を懸けるに至る如き場合が無いでも無いものだ。落語家の能く演る落話にある如く義太夫好きの家主が余りに義太夫を楽むの極、借家人の迷惑するのにも御構ひ無く、強ひて狩り出して来て之に自分の語る義太夫を無理にも聴かせようとするなどは、自ら楽む為に他人に迷惑をかける一例だが、これは楽んで淫するといふもので、人は如何に事を楽むからとて之に淫するまでになつてはならぬものだ。是に於てか孔夫子も「楽んで淫せず」と説かれて居る。人が楽んで淫するやうになるのは、ただ楽む丈けに止めて置かず、慢心を生ずるに至るから起る事で、義太夫だとてただ自ら之を楽むだけに止め、慢心を起しさへせねば、他人に迷惑をかくる如き憂の全く無いものである。「楽み」が昂じて「慢心」になつてしまへば、遂には他人へ迷惑をかける事にもなる。
 私は、随分社会事業の為に奔走し、養育院、理化学研究所或は又欧洲交戦国への見舞金など寄附金集めをやつてるが、決してラクなものでは無い。他人が出さうといふ気になつて居らぬ金を出させようとするのだから、中には「又渋沢の寄附金取りか」と、無理から家主に招集されて厭やな義太夫を聴かせられるのと同じぐらゐの事に思ひ、蹙面をせらるる富豪も無いでも無かるべく、斯く取扱はるれば誰とて余り快い心持のもので無いが、私に取つて其んな事が毫も苦痛にならぬのは、斯る事業の為に尽すのを私が楽みにして居るからだ。之を楽みにして懸りでもし無ければ、迚も寄附金取りに駆け廻る事なぞは行れるもので無いのである。他人に頼まれた御義理だとか、世間に好い評判を取りたいからの名誉づくなんかからでは迚も行れるもので無い。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(29) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.194-202
底本の記事タイトル:二四五 竜門雑誌 第三五三号 大正六年一〇月 : 実験論語処世談(二九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第353号(竜門社, 1917.10)
初出誌:『実業之世界』第14巻第14,15号(実業之世界社, 1917.07.15,08.01)