デジタル版「実験論語処世談」(29) / 渋沢栄一

1. 楽めば苦痛を忘る

たのしめばくつうをわする

(29)-1

子曰。知之者。不如好之者。好之者。不如楽之者。【雍也第六】
(子曰く。之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽む者に如かず。)
 人間は何事でも唯之を知つて居るといふだけでは、之に対するに路傍の人を以てするが如き態度となり、首を突つ込んで見ようといふ迄の気になれぬものだ。殊に道に於て爾うである。単に道を知つてる丈けでは、この人必ずしも徳行家で無い。昔から「論語読みの論語知らず」といふ諺がある。これは論語を知つてるのみで、論語を好む心の無い人を評した語である。又「医者の不養生」といふ諺もあるが、不養生をする如き医者は、ただ医籍を知つてる丈けで、真に医療を好む心の無い医者であると謂つても決して過言で無い。
 下世話にも「好きこそ物の上手なれ」といふほどで、人も道を好むやうになりさへすれば、自づと道に向つて進み、道を実地に行ひ得らるるまでになるものである。然し、好むといふ丈けではまだまだ至らぬところがあつて、道を行ふに当り、苦痛を覚え、中途で少し七六ケしくなつて来でもすれば其苦痛に堪へ難くなつて、道を行ふ事を廃めてしまふ恐れがあるものだ。ただ衷心より道を楽む者のみが、如何なる苦痛をも苦痛とせず、如何なる困難をも忍び、敢然として道に進み道を実行してもゆけるのである。耶蘇が十字架に懸けられたとか、釈迦が六年間の難行苦行を積んだとか、又、孔夫子が陳蔡の野に苦しめられ給うたとかいふのは、一に道を楽んでゐたからできた事で、古来の発明家、事業家などもみな其道を楽む事によつて成功して居る。英吉利の冒険小説にあるロビンソー・クルーソーの話なども、茲に掲げた章句にある孔夫子の教訓を実地の物語に仕組んで少年にも解り易いやうに説いたものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(29) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.194-202
底本の記事タイトル:二四五 竜門雑誌 第三五三号 大正六年一〇月 : 実験論語処世談(二九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第353号(竜門社, 1917.10)
初出誌:『実業之世界』第14巻第14,15号(実業之世界社, 1917.07.15,08.01)