デジタル版「実験論語処世談」(29) / 渋沢栄一

3. 米沢大火の寄附金

よねざわたいかのきふきん

(29)-3

 私どもは御承知の如く東北振興会なるものを組織し、東北振興の為に多少ながら微力を尽して居るが、五月(大正六年)一日より十五日まで三越呉服店の楼上に於て、之れも或は東北振興の一助にならうかといふので、益田孝氏の発意により、東北銘産陳列会を開き、東北六県の銘産を東京人士に紹介し、且つ陳列品の即売を試みたところ、非常なる好成績を収め得たので、私共も大に悦んでたところへ、この陳列会が閉会になつてから間も無く、米沢に彼の大火があつた。そこで東北銘産陳列会を発意した益田氏は、この際東北振興会ともあらうものが、米沢の大火を聞いて其儘ボンヤリして居るわけにもゆくまい、何んとか見舞金でも集めて贈るやうにしたいものであるとの事で、同氏が九州へ旅行する前その旨私に言ひ残して出発したものだから、私も至極結構な事であると思ひ、見舞の寄附金募集を始めようと思つてる矢先、平田東助子の主宰する米沢人の団体たる有為会から東北振興会に向つて助力を請うて来たのである。
 有為会は平田子が会長で、米沢と米沢人との発展に力を注いで居る米沢人の団体であるが、同会だけで寄附金を集めようとしても巨額に達し得る見込は覚束無いから、東北振興会でも一つ骨を折つてみてもらひたいといふのであつた。この件に就ては、吉池氏が種々尽力奔走して居られたが、私は益田氏が私へ言ひ遺して出発したこともあるので有為会よりの申込に応じ、東北振興会でも米沢大火の見舞金を募集し之を纏めて有為会に渡す事にしたのである。私は当初、東北振興会員よりの寄附額は総計で三千円見当にしか上るまいと思つてたのだが案ずるより産むが易く、実際募集に着手してみると、三井、岩崎両家の各三千円づつを別口として、猶ほ、約一万円の金額が寄つたのである。私は意外なる斯の好成績を非常に楽しく感じて居るが、斯う寄附金の成績が佳良であると楽しく感ずるものは、私一人のみで無い。東北振興会に助力を申込んで来た有為会の人々も楽しく感じ、米沢人は素より楽しく感ずるに相違無いが、寄附金をした東北振興会員とても亦、楽しく感ずるわけになり、之を発意した益田氏とても定めし満足せらるる事だらうと思ふ。一人の人の楽みは決して其人一人限りに止まるものでは無い。広く他にも及ぶものだ。
 それから私の郷里の埼玉県の或る寒村で、浮浪少年の教養に骨を折つてる奇特な人物がある。居村の有志者が力を添へて費用を出してくれるやうになつた為、この五六年来は十五六人の少年を収容して居るさうだが、居村の者の寄附だけでは思ふやうな発展ができぬとの事だから、私の王子の自邸で開いた埼玉県人会の席上で、埼玉県人から三千円ばかり寄附金を斯の事業の為に寄せ集めてやる事にした。斯んな仕事なぞも、畢竟、私が之を楽むからできることで、ただ御義理一遍からでは迚もできるもので無いのである。

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キーワード
米沢, 大火, 寄附金
デジタル版「実験論語処世談」(29) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.194-202
底本の記事タイトル:二四五 竜門雑誌 第三五三号 大正六年一〇月 : 実験論語処世談(二九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第353号(竜門社, 1917.10)
初出誌:『実業之世界』第14巻第14,15号(実業之世界社, 1917.07.15,08.01)