デジタル版「実験論語処世談」(30) / 渋沢栄一

3. 論語に日本人の記事

ろんごににほんじんのきじ

(30)-3

 私は先年湯島の聖堂跡で営まれた孔夫子釈奠会の発会式に臨み「実業家より観たる孔子」といふ題で頗る雑駁な講演をした事がある。その際、今は故人となられた文学博士重野安繹先生も私と一緒に講演を行られたのだが、当時重野先生の講演によつて承る処によれば、論語子罕篇にある「子、九夷に居らんと欲す。或人曰く、陋なること之を如何せん。子曰く、君子之に居らば何の陋か之れあらん」の章句中なる「九夷」とは日本を称したものであるとの事だ。馬融といふ人の註に九夷とは畎夷、于夷、方夷、黄夷、白夷、赤夷、元夷、風夷、陽夷の九つだとあり、又一説には玄菟、楽浪、高驪、蒲飾、鳧更、索家、東屠倭人、天鄙の九種であるとも謂ひ、九夷とは朝鮮の事だとの説もあるが、仮令九夷が日本の名称で無く、九つの外夷を指したものであるにしても、その中に日本の含まれて居る事だけは確であるから、孔夫子は当時既に日本が君子国であるのを薄々知つて居られて、道の行はれぬ支那なぞにウロウロして暮すよりは、居を君子国の日本あたりへ移し、益〻其の徳風を発揚するやうに致したいものであると申されたのだらうとは、重野博士の説であつたかのやうに記憶する。
 九夷が果して日本であるや否やは暫く別問題として、何故孔夫子が突如として「九夷」の語を用ゐられたものか、其辺の事情を研究したら定めし面白くもあり、又利益でもあらうと思ふ。依て前条にも申述べて置いたことのある如く、論語中にある孔夫子の語を始めとし、大学、中庸等に孔夫子の語として引用せられてある章句一々に就て、這個は何時頃如何なる場合に臨んで発せられたものであるかといふ事を取調べ、之によつて孔子年譜の如きものを作る事に致したいと存じ、前条にも一寸申したことのあるやうに「論語年譜」の著者林泰輔博士に謀つたところが、それは必ずしも不可能では無いが、少くとも七年の星霜を要する上に、経費も一二万円は要るだらうとの事であつたのだ。論語にある章句の出典に就ては、既に亀井南冥の「論語語由」もある事だから、之に対し孔夫子の語と閲歴とを結びつけて研究したる書を編輯して置くことは必要であらうと思ふのである。又、「孔子家語」といふ書物もあつて、稍〻孔夫子の伝記を明かにして居るが、これは後世の偽作だとの説もある。これなぞも、研究して置く必要がある。
 然し如何に私の欲する処であるからとて、之を大成する為に一二万円を費すほどの価値があるか何うかはなほ一考を要する点なので、私は目下のところ私一人で私費を投じ、之を完成するまでの決心が付かずに居る。或は同好の者が申合せて予約の如き組織によつて醵金し、林博士に依頼して完成してもらふ事にしたら何んなものだらうかとも思つて居る。

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デジタル版「実験論語処世談」(30) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.204-248
底本の記事タイトル:二四七 竜門雑誌 第三五四号 大正六年一一月 : 実験論語処世談(第三〇回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第354号(竜門社, 1917.11)
初出誌:『実業之世界』第14巻第16,17号(実業之世界社, 1917.08.15,09.01)