8. 君子を欺くは容易の事
くんしをあざむくはよういのこと
(30)-8
宰我問曰。仁者雖告之曰井有仁焉。其従之也。子曰。何為其然也。君子可逝也。不可陥也。可欺也。不可罔也。【雍也第六】
(宰我問うて曰く、仁者は之に告げて井に仁ありと曰ふと雖も、其れ之に従はんや。子曰く、何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむべし、陥るべからず。欺くべし、罔《し》ふべからざるなり。)
茲に掲げた章句は、御弟子の宰我が、仁者といふものは、井戸の中へ落ちた人があるからと告げて来た者がある時に、直に之に応じて井戸の中へ下りて行つてその人を引揚げようとせらるるものだらうか、との奇問を発した際に与へられた孔夫子の御答であるが、孔夫子の御答の趣意は、如何に君子であつて仁を施すのを自分の職分として居る人でも、井戸の中へ這入つて溺れた人間と一緒になつてアブアブしたんでは、迚も其人を引揚げて救ひ出すわけにゆくもので無いといふ事を知つて居られるから、井戸へ落ちた者があると知らして来らるれば之を救ふ為に井戸の側まで行つて綱を下してやるとか竿を下してやるとかいふ事はするが、何の効も無いのに態々井戸の中へ這入り込んでゆくやうな馬鹿な真似は致さぬものだ――君子は総じて道理に随つて動くのが原則故、道を以てさへすれば欺き得られはしても、無道理な事を押しつけて之を行はせるわけにゆくもので無いといふにある。これが即ち「逝かしむべし、陥るべからず。欺くべし、罔ふべからざるなり」の意義である。(宰我問うて曰く、仁者は之に告げて井に仁ありと曰ふと雖も、其れ之に従はんや。子曰く、何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむべし、陥るべからず。欺くべし、罔《し》ふべからざるなり。)
「昔者、生魚を鄭の子産に饋るものあり。子産、校人をして之を池に畜はしむ。校人、之を烹て反命して曰く、始め之を舎つや圉圉焉たり。少くありて則ち洋洋焉たり。悠然として逝く。子産曰く、其の所を得たる哉、其所を得たる哉」と。これは孟子万章の上篇にある章句だが、「校人」とは池沼を司る小役人の事で、子産は君子人であつたものだから、池沼の役人に、余所から贈られた生きた魚を池へ放して置くやうにと命じ、その命を受けた役人が魚を煮て食つてしまつて置きながら旨く其れを隠蔽し、嘘八百を並べ立て、魚を池に放した時の様を如何にも目のあたりに見るやうに「圉圉焉」だとか「洋洋焉」だとか「悠然」だとかいふ巧みな形容詞を使つて子産を瞞しにかかると子産は全く瞞されてしまつて、魚は池に生きて居るものとばかり思つてたといふ逸話を孟子が引用せられた句である。君子は総て正直なもので猜疑心なく、人を見れば直ぐ之を泥棒と思ふやうな事をせぬものであるから、道を以てさへすれば、斯く子産の如く容易に欺かれるのだ。
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- 【雍也第六】 宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁焉、其従之也。子曰、何為其然也。君子可逝也、不可陥也。可欺也、不可罔也。
- デジタル版「実験論語処世談」(30) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.204-248
底本の記事タイトル:二四七 竜門雑誌 第三五四号 大正六年一一月 : 実験論語処世談(第三〇回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第354号(竜門社, 1917.11)
初出誌:『実業之世界』第14巻第16,17号(実業之世界社, 1917.08.15,09.01)