デジタル版「実験論語処世談」(30) / 渋沢栄一

1. 幕府の倒れるは当然

ばくふのたおれるはとうぜん

(30)-1

子曰。斉一変。至於魯。魯一変。至於道。【雍也第六】
(子曰く、斉一変すれば魯に至り、魯一変すれば道に至らん。)
 昔から「沙弥から長老にはなれぬ」といふ諺があるが、茲に掲げた章句は、即ち其意を孔夫子が談られたもので、一切世間何事にも順序のあることを教へられた教訓である。又、如何なる邦国でも、如何なる人間でも、進歩向上を怠りさへし無ければ、必ず道に合する邦国ともなり、人間ともなり得らるる事を教へた訓戒であると見做しても可い。孔夫子御在世の当時、斉は強い国であつたが、一般に功利主義が盛んで礼楽風教よりも功利を先にする傾向があつたものだ。又、魯は当時弱国ではあつたが、礼楽を貴び信義を重んずる風のあつたものである。斯く、斉と魯との間には国風の相違があるが、斉と雖も一たび改革を断行し、善政を施く事になれば、之を魯の如き国情の国とするのは決して難事で無い。又魯が更に一層奮起して先王の遺法を興し、法制を修め整ふるに至れば、之を理想の邦家たらしむるのも敢て難事で無いといふのが、この章句の意義である。
 如何にも孔夫子の仰せられた如く、斉一変すれば魯に至り、魯一変すれば道に至るのが世の中に於ける事物の推移変遷する順序で、斉から一足飛びに道に至るのは至難の業である。然し、これは普通一般の場合に就て言ふ事で、或る機運に遭遇すれば、必ずしも順序正しく一歩一歩進まずとも、一足飛びに斉から一変して直に道に至る如き場合を現出せぬとも限らず、斯る例は或は歴史上に、或は個人の事業の上に幾干でもある。欧洲戦争前まで借金で首の廻ら無かつた人が、欧洲戦争といふ千載一遇の好機運を迎へ、何々成金といふものになつたのも、少し行き方は違ふが猶且斉から一変して直に道に至つたやうなもので、沙弥が一躍長老になつたのも同じである。
 明治維新の大改革なんかも、孰方かと謂へば斉一変して魯を通り越し直に道に至つた如き形容のものだ。古来の本邦歴史を按ずるに、我が国体にあつては、天朝を無みし奉る如き態度に出づる者が政権を壟断して居る際に、他の一方から天朝を戴いて天下に号令し其の政権を切り潰さうとする者が現るれば、必ず前者が倒れて後者の勝に帰することになつて居る。随つて、幕末時代に於けるが如く、幕府が天朝を尊重せずして勅命を矯め、皇室の御安泰は一に徳川幕府が天下の政権を握つて治平を図るの致すところである、天朝より彼是れ御指図を受くべき所因が無いと謂つたやうな、皇室の尊厳を意とせぬ如き不忠の態度に出でつつある時に当り、一方に於て薩州なり長州なり兎に角皇室を尊崇し、之を戴いて幕府に敵し、天下に号令する者が現はれて来れば、日本の国体上、徳川幕府の倒れるに至るのは当然の事である。

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デジタル版「実験論語処世談」(30) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.204-248
底本の記事タイトル:二四七 竜門雑誌 第三五四号 大正六年一一月 : 実験論語処世談(第三〇回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第354号(竜門社, 1917.11)
初出誌:『実業之世界』第14巻第16,17号(実業之世界社, 1917.08.15,09.01)