デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
17節 貿易
1款 社団法人日本貿易協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年8月15日
(1909年)
第54巻 p.5(DK540001k)
是日、芝区田町浅野総一郎邸ニ於テ、当協会及ビ日本工業協会主催ニヨル渡米実業団送別会開カル。栄一出席シ、団長トシテ謝辞ヲ述ブ。
十二月十九日、当協会主催ノ渡米実業団帰国歓迎会開カル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ベ、且ツ日米貿易ニ就キテ演説ヲナス。
大正5年2月19日
(1916年)
第54巻 p.5(DK540002k)
是日栄一、当協会定例晩餐会ニ招待セラル。栄一出席シ、渡米旅行談ヲナスト共ニ、貿易ノ将来ニ就キテ演説ヲナス。
大正6年1月
(1917年)
第54巻 p.5-6(DK540003k)
是月栄一、当協会名誉会員ニ推薦セラル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第54巻 p.6-7(DK540004k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当協会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
2款 渋沢貿易合名会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年1月2日
(1919年)
第54巻 p.8-11(DK540005k)
是ヨリ先、四男正雄、河野通・草刈元ト共ニ、当会社ヲ設立ス。是日栄一、当会社ヲ訪レ、社員一同ニ対シ訓示ヲナス。
当会社ハ、第一次欧洲大戦後ノ不況ニヨリ蹉跌ス。栄一、其整理ニ与ル。
3款 仏国通商株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年
(1925年)
第54巻 p.12-18(DK540006k)
是ヨリ先栄一、日仏共同事業組織ニ関シ、大倉喜七郎・門野重九郎・藤山雷太・山田三良等ト協議シ、又、増田明六ヲシテ各方面ト協議ヲナサシム。
是年、仏国通商株式会社設立セラル。
昭和2年6月10日
(1927年)
第54巻 p.18-21(DK540007k)
是日栄一、来日中ノフランス共和国シュナイダー会社技師デュメイン及ビ仏国通商会社関係者等ヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ、茶会ヲ開ク。
4款 貿易関係諸資料 1. 日英貿易
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年2月
(1911年)
第54巻 p.22-25(DK540008k)
是月、時事新報、日英関税問題ニ関スル栄一ノ意見ヲ掲載シ、次イデ四月、同紙ハ更ニ日英新条約ニ関スル栄一ノ意見ヲ掲載ス。
大正9年10月3日
(1920年)
第54巻 p.25-27(DK540009k)
是ヨリ先、栄一、日英実業家ノ提携ニ尽力ス。是日栄一、駐日イギリス国大使チャールズ・エリオットニ招カレ、同大使館ニ於ケル午餐会ニ出席シ、日英通商問題ニツキ懇談ス。
大正10年7月4日
(1921年)
第54巻 p.27-28(DK540010k)
是日、総理大臣原敬、栄一外三十余名ノ実業家ヲ官邸ニ招待シテ晩餐会ヲ開キ、日英通商振興ノタメ実業団派遣ニ関シ懇談ス。栄一出席シ、之ガ実現ニツキ尽力ス。
4款 貿易関係諸資料 2. 日羅通商
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年7月24日
(1920年)
第54巻 p.28-29(DK540011k)
是日、外務大臣内田康哉、ルーマニア国皇太子来邦ノ使命ニ鑑ミ、実業家二十余名ヲ其官邸ニ招待シテ晩餐会ヲ開キ、日羅商事委員会設置ノ件ヲ決ス。栄一、委員長ニ推薦セラル。
4款 貿易関係諸資料 3. 雑
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第54巻 p.29(DK540012k)
--
5款 栄一ノ貿易ニ対スル意見
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第54巻 p.30-43(DK540013k)
--
18節 其他ノ商工業
1款 合名会社中井商店(株式会社中井商店)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年2月21日
(1910年)
第54巻 p.44-45(DK540014k)
是日栄一、浜町常盤屋ニ於ケル当会社招宴ニ出席シ、経営ニ関スル訓話ヲナス。爾後栄一、屡々当会社ノ招宴ニ出席シ、業務ノ状況等ヲ聴取ス。
大正5年12月
(1916年)
第54巻 p.45-48(DK540015k)
是月、株式会社中井商店設立セラレ、合名会社中井商店ノ営業一切ヲ継承ス。大正十三年中井三郎兵衛、中井一族所有ノ当会社株式ノ大部分ヲ、王子製紙株式会社ニ譲渡シタルガ、同年十一月二十三日、当会社取締役四名ハ、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、右ニ関シ、事情ヲ述ベテ、栄一ノ諒承ヲ請フ。
2款 合資会社沖商会(沖電気株式会社)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年8月26日
(1912年)
第54巻 p.49-50(DK540016k)
是日、沖電気株式会社設立セラル。栄一、沖牙太郎・浅野総一郎・安田善三郎等ト共ニ発起人タリ。大正六年二月、当商会トノ合併成ル。
3款 東洋電機株式会社(東洋電機製造株式会社)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年6月
(1918年)
第54巻 p.51-55(DK540017k)
先ニ栄一・渡辺嘉一等ニヨリ企画セラレタル当会社、是月東洋電機製造株式会社トシテ設立セラル。渋沢同族株式会社、株主トナル。
4款 東京会館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年10月19日
(1911年)
第54巻 p.56-57(DK540018k)
是ヨリ先、福沢桃介・星野錫等ニヨリ、東京市ニ於ケル大食堂及ビホテル設備ノ不足ヲ補フタメ、当会館ヲ設立セントスル計画アリ。栄一、之ニ賛成ス。是日、日本橋倶楽部ニ於テ、市内有力者及ビ新聞記者ヲ招待シテ、右計画ニ関スル説明会開カル。栄一、賛成人トシテ出席シ、当会館設立ノ必要ナル所以ニ付キ演説ス。右計画ハ、実現ニ至ラズシテ熄ム。
5款 日本石膏株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年
(1913年)
第54巻 p.58-63(DK540019k)
是年、栄一・浅野総一郎等ヲ発起人トシテ、当会社設立セラル。栄一、株主トナル。
6款 共同精米株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年4月
(1914年)
第54巻 p.64-67(DK540020k)
是月、当会社ノ前身タル朝鮮米商会設立セラル。栄一、之ヲ後援ス。翌四年、朝日精米商会ト改称シ、更ニ同七年五月一日、組織ヲ改メテ、共同精米株式会社トナル。栄一、其設立発起人会ニ出席ス。
7款 株式会社三越呉服店
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年9月28日
(1914年)
第54巻 p.68-74(DK540021k)
是日栄一、当店ノ新館開館式ニ招カレ、往時ヲ追懐シツツ祝辞ヲ述ブ。
大正10年6月22日
(1921年)
第54巻 p.74-75(DK540022k)
是日栄一、当店西館増築落成披露式ニ招カレ、祝辞ヲ述ブ。
大正12年8月3日
(1923年)
第54巻 p.75-78(DK540023k)
是日栄一、当店ニ於テ、三越石垣会会員ノタメニ講演ヲナス。
昭和2年4月6日
(1927年)
第54巻 p.78(DK540024k)
是日栄一、当店店舗改築落成披露会ニ招カレ、祝辞ヲ述ブ。
8款 非常報知機株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年7月20日
(1915年)
第54巻 p.79-83(DK540025k)
是ヨリ先、小山谷蔵等ハ、電話線利用ニヨル火災報知機ノ製造貸付ヲ目的トスル会社設立ヲ計画シ、是日、政府当局ニ対シ、右電話線利用ノ認可ヲ請願ス。栄一、之ニ賛シ、中野武営ト共ニ、右請願書ニ副申ス。
9款 日米缶詰会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年1月11日
(1920年)
第54巻 p.84-87(DK540026k)
是ヨリ先栄一、来日中ノアメリカ合衆国人チャールズ・ビー・ビルズヨリ、日米両国ノ共同出資ニヨル缶詰会社設立ノ提案ヲ受ク。是日飛鳥山邸ニ於テ、目賀田種太郎ノ来訪ニ接シ、右ニ関シ要談ス。爾後栄一、当会社設立ニツキ、種々尽力ス。
10款 株式会社東京会館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年12月21日
(1922年)
第54巻 p.88-92(DK540027k)
是ヨリ先、大正九年一月当会館設立セラル。是日朝野ノ名士多数ヲ招待シテ開館式ヲ挙行ス。栄一、来賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
翌十二年九月一日ノ関東大震災ニヨリ、当会館ハ甚大ナル損害ヲ蒙リ、経営困難ニ陥リタルタメ、帝国劇場株式会社ニ合併シ解散スルコトトナリ、十四年五月五日、臨時株主総会ニ於テ、之ヲ議決ス。
4章 鉱業
1節 石炭
1款 磐城炭礦株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年1月14日
(1918年)
第54巻 p.93(DK540028k)
是日栄一、当会社社長浅野総一郎ノ来訪ニ接シ、当会社ノ事業拡張ニ関シ要談ス。
大正9年2月2日
(1920年)
第54巻 p.93-98(DK540029k)
是ヨリ先、当会社ト東京工業商会トノ間ニ、ボイラー売買契約履行ニ関シ紛議ヲ生ズ。是日栄一、両者代表者ヲ渋沢事務所ニ招致シ、之ガ調停ニ努ム。
2款 北カラフト鉱業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年6月11日
(1922年)
第54巻 p.99(DK540030k)
是日栄一、総理大臣加藤高明ヨリ、浅野総一郎外十一名ト共ニ、当会社創立実行委員ニ指名セラル。
5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
1款 三本木渋沢農場
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年2月10日
(1910年)
第54巻 p.100-102(DK540031k)
是日栄一、当農場長金子熊一ヨリ同地農業及ビ養馬ノ状況ヲ聴取シ、前年度決算及ビ本年度予算ヲ検閲ス。爾後毎年金子上京シテ報告ヲナス。
大正4年3月6日
(1915年)
第54巻 p.102-105(DK540032k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、当農場顧問農学博士原熙ノ来訪ニ接シ、当農場ノ経営ニ関シ要談ス。
大正12年2月25日
(1923年)
第54巻 p.105-108(DK540033k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、当農場顧問原熙・主事水野陳好等ト会シ、当農場ノ経営ニ関シ協議ス。翌十三年二月二十八日、三田綱町邸ニ於テ開カレタル、当農場経営ニ関スル協議会ニモ、栄一出席ス。
昭和2年2月23日
(1927年)
第54巻 p.108-120(DK540034k)
是日栄一、当農場顧問原熙及ビ上京中ノ当農場主事水野陳好ヲ午餐会ニ招キ、当農場将来ノ方針等ニ関シ懇談ス。
尚、八月下旬、渋沢同族株式会社社長渋沢敬三・同理事増田明六、当農場ヲ視察ス。
2款 十勝開墾合資会社(十勝開墾株式会社)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年6月9日
(1910年)
第54巻 p.121-125(DK540035k)
是日栄一、当会社農場長小田信樹ノ葬儀ニ参列ス。
明治45年2月19日
(1912年)
第54巻 p.125-130(DK540036k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当会社通常社員総会開カレ、栄一出席ス。大正二年二月四日、同所ニ於テ通常社員総会開カレ、同ジク出席ス。
大正4年1月31日
(1915年)
第54巻 p.130-137(DK540037k)
是日栄一、三男武之助宅ニ於テ、当会社社長植村澄三郎及ビ農場長吉田嘉市等ト共ニ、当会社ノ事業ニ関シ要談ス。創設以来経営困難ヲ続ケタル当会社、是年初メテ五分ノ利益配当ヲ行フ。同五年二月二日、通常社員総会ニ於テ、資本金ヲ二十万円ニ増加ノ件ヲ議決シ、次イデ三月二十五日、臨時社員総会ニ於テ、組織ヲ改メテ株式会社トスルノ件ヲ議決ス。
大正7年2月7日
(1918年)
第54巻 p.137-138(DK540038k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ開カレタル、当会社株主総会ニ出席ス。
八月十五日、栄一、当会社ノ経営ニ尽力シ、北海道開発ニ貢献セシ功績ニ対シ、北海道長官ヨリ表彰状並ニ銀杯一箇ヲ贈ラル。
大正10年2月6日
(1921年)
第54巻 p.138-139(DK540039k)
是日栄一、当会社社長植村澄三郎ノ来訪ニ接シ、当会社ニ関スル要務ニツキ協議シ、十七日、渋沢事務所ニ於テ開カレタル、当会社重役会ニ出席ス。
大正12年2月14日
(1923年)
第54巻 p.139-144(DK540040k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当会社株主総会開カレ、栄一出席ス。
大正13年2月25日
(1924年)
第54巻 p.144-149(DK540041k)
是ヨリ先、明治製糖株式会社ハ、甜菜耕作地ニ充ツル為メ、当会社ヲ買収合併セントスル希望アリ、是日、日本工業倶楽部ニ於テ開カレタル、当会社第二十七回定時株主総会ノ通常議事終了後、臨時議題トシテ右ニ関スル協議行ハル。翌三月、両者間ノ商議成立シ、明治製糖株式会社ハ、当会社株式全部ヲ買収シテ農場経営権ヲ取得シ、当会社ノ社名ハ其儘存続ノコトトナル。
大正13年4月10日
(1924年)
第54巻 p.149-151(DK540042k)
是日、当会社社長植村澄三郎、栄一ノ当会社創立以来多年ニ亘ル尽力ニ対シ、感謝状ヲ贈ル。
五月二十四日、栄一、大倉喜八郎ト連名ノ書翰ヲ以テ、当会社社長植村澄三郎ニ対シ、創業以来ノ功労ヲ謝ス。
大正13年8月
(1924年)
第54巻 p.151-158(DK540043k)
是月栄一、当会社農場長吉田嘉市ノ伝記編纂者杉野直次ノ懇請ニ応ジ、題字ヲ寄ス。
大正15年7月5日
(1926年)
第54巻 p.158-186(DK540044k)
是ヨリ先、栄一、当会社農場内居住民ノタメ、寺院建立ニ尽力スルトコロアリ、前当会社農場長吉田嘉市、是日付書翰ヲ以テ、右寺院ノ称号ヲ青淵山寿光寺ト定ムルニ付キ、栄一ノ諒承ヲ求メ、且ツ本堂内陣ニ掲グベキ扁額ノ揮毫ヲ請フ。
昭和二年七月、栄一、之ヲ揮毫ス。
3款 耕牧舎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年8月22日
(1920年)
第54巻 p.187-202(DK540045k)
是ヨリ先、当舎ハ、当初ノ目的タリシ牧畜業及ビ之ニ附随ノ牛乳販売等ノ事業ヲ廃シ、僅カニ植林及ビ玉蜀黍等ノ耕作ニヨリ、其土地ヲ維持ス。是日栄一、益田孝ト共ニ、実地検分ヲナス。
昭和三年七月、其土地ヲ以テ仙石原地所株式会社設立セラル。
4款 東北拓殖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年1月8日
(1919年)
第54巻 p.203-205(DK540046k)
是日栄一、総理大臣原敬ヲ官邸ニ訪ヒ、東北振興ノタメ当会社設立ニ関シ協議ス。然ルニ、恰モ同一ノ趣旨目的ヲ有スル別個ノ会社設立ノ計画アリ、政府当局ノ意ニ従ヒ、両者合同ニヨル開墾会社設立ノコトトナル。
5款 帝国開墾株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年2月6日
(1919年)
第54巻 p.206-208(DK540047k)
是日栄一、総理大臣原敬ヲ宮邸ニ訪ヒ、政府ノ補助ニヨル当会社ノ設立ニ関シ協議シ、次イデ二十三日及ビ二十八日ノ両度ニ亘リ、同様協議ス。三月六日、総理大臣原敬、実業家六十余名ヲ官邸ニ招待シ、当会社ノ成立ニツキ尽力ヲ要望スル所アリ、同席上ニ於テ栄一、武井守正・益田孝等二十名ト共ニ、創立準備委員ニ挙ゲラレ、次イデ創立者総代ニ推サル。然ルニ議会ニ於テ、政府提出ノ開墾補給法案不成立トナリタルタメ、当会社ハ設立ニ至ラズシテ熄ム。
6款 大正園
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年5月28日
(1919年)
第54巻 p.209-218(DK540048k)
是日栄一、当園園主尾崎哲之助ノ来訪ニ接シ、蔬菜・草花ノ種子ノ採取及ビ輸出事業ニ付キ、援助ヲ依頼セラル。
7款 中央開墾株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年6月4日
(1919年)
第54巻 p.219-222(DK540049k)
是ヨリ先栄一等、未墾地ノ開拓ニヨリ食糧増産ニ資スル目的ヲ以テ、帝国開墾株式会社ノ設立ヲ企画シタルモ、不成立ニ終ル。是日栄一、益田孝ノ来訪ヲ受ケ、開墾会社ノ再建ニツキ協議シ、翌五日、益田孝・武井守正ト共ニ総理大臣原敬ヲ官邸ニ訪ヒ、右ニ関スル協議ヲナス。爾後栄一、屡々政府当局ト折衝シ、又、益田孝・武井守正等ト会談ヲ重ヌル等、当会社ノ設立ニ尽力スルトコロ少ナカラズ。
大正8年10月30日
(1919年)
第54巻 p.222-233(DK540050k)
是日総理大臣原敬、官邸ニ東京・横浜・大阪等各大都市ノ主ナル実業家ヲ招キ、開墾会社設立ニ関シ懇談ス。栄一出席シ、首相ノ挨拶ニ次イデ、来会者ニ対シ、当会社設立ノ趣旨ニ賛同ノ上発起人タルコトヲ懇請ス。欠席者ニ対シテハ、十二月九日、栄一及ビ益田孝・武井守正ノ連名ノ書状ヲ以テ、当会社ノ発起人承諾方ヲ依頼ス。
大正8年12月26日
(1919年)
第54巻 p.233-245(DK540051k)
是日、東京銀行集会所ニ於テ、当会社発起人会開カル。栄一出席シ、座長トシテ議事ヲ司宰ス。栄一、創立委員タルコトヲ辞退シ、創立相談役トナル。発起人会終了後、総理大臣原敬及ビ農商務大臣山本達雄等ヲ招待シテ、晩餐会開カル。
大正9年2月21日
(1920年)
第54巻 p.245-248(DK540052k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当会社創立委員会開カレ、栄一出席ス。
三月一日、鉄道協会ニ於テ、当会社発起人会開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年9月13日
(1920年)
第54巻 p.248-264(DK540053k)
是年春、経済界ニ恐慌起リ、当会社ノ成立不可能ノ状態トナリタルタメ、資本金三千万円ノ計画ヲ一千万円程度ニ縮小スルコトヽシ、是日栄一、武井守正・益田孝ト連名ノ書翰ヲ以テ、更メテ各方面ニ対シ、当会社ノ株式引受方ヲ依頼ス。
十月七日、如水会館ニ於テ、其創立評議員会開カレ、資本金ヲ七百五十万円トスルコトニ議決セラル。栄一出席ス。十二月二十日、日本工業倶楽部ニ於テ、創立総会開カレ、当会社ノ設立成ル。
大正11年7月21日
(1922年)
第54巻 p.264-269(DK540054k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会社相談役会開カル。栄一出席シ、当会社ノ経営方針ニ関シ意見ヲ述ブ。爾後栄一、当会社ノ重役会及ビ株主総会等ニ屡々出席ス。
8款 其他 1. 日本畜産株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年7月2日
(1911年)
第54巻 p.270(DK540055k)
是日栄一、日本倶楽部ニ於ケル当会社株主集合ノ宴会ニ出席シ、演説ス。
8款 其他 2. 扶揺舎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年1月20日
(1927年)
第54巻 p.270(DK540056k)
是日栄一、佐藤一雄ヨリ、競走用馬ノ養成ヲ目的トスル当舎設立ニ付キ、賛同ヲ請ハル。二月一日金二百円ヲ寄付ス。
9款 農・牧・林業関係諸資料 1. ジェームズ・ヒルノ演説筆記「国富ト農業」ノ翻訳刊行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年2月
(1910年)
第54巻 p.271-277(DK540057k)
是月栄一、アメリカ合衆国大北鉄道会社社長ジェームズ・ヒルノ「国富ト農業」ト題スル演説筆記ヲ翻訳刊行シテ、知人ニ頒ツ。尚、爾後栄一、ソノ講演・談話等ニヒルニ就キテノ意見ヲ述ブ。
9款 農・牧・林業関係諸資料 2. 社団法人中央畜産会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年7月5日
(1915年)
第54巻 p.277-279(DK540058k)
是ヨリ先、栄一等ノ主唱ニヨリ、民間ニ於ケル蓄産業ノ統括機関トシテ、当会ヲ設立スルコトトナリ、是日、赤坂三会堂ニ於テ、設立総会開カル。栄一顧問タリ。
9款 農・牧・林業関係諸資料 3. 財団法人帝国森林会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年7月2日
(1916年)
第54巻 p.279-282(DK540059k)
是ヨリ先、本多静六、本邦林業ノ振興ヲ目的トスル当会ノ創立ヲ企画シ、栄一及ビ益田孝・武井守正ニ議ル。栄一、其趣旨ニ賛同シ、之ガ設立ヲ援助ス。是日、当会創立総会開カレ、十年二月八日付ヲ以テ財団法人ノ認可ヲ受ク。栄一、設立当初ヨリ会員トナリ、歿年ニ及ブ。
昭和6年11月15日
(1931年)
第54巻 p.282-283(DK540060k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
9款 農・牧・林業関係諸資料 4. 埼玉県大里郡八基村農政談話会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年10月1日
(1922年)
第54巻 p.283-284(DK540061k)
是日、埼玉県大里郡八基村青淵記念図書館ニ於テ、当会発会式挙行セラル。栄一出席シ、顧問ニ推サル。当会最初ノ事業トシテ、同村産業基本調査ノ行ハルヽニ際シ、栄一、其担当者トシテ、法学博士矢作栄蔵ヲ介シ、帝国農会幹事岡田温ヲ委嘱ス。
大正13年3月9日
(1924年)
第54巻 p.285(DK540062k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、当会ノ会合催サレ、栄一出席ス。十一月十七日、八基村ニ於テ催サレタル同会合ニモ栄一出席ス。
大正14年6月26日
(1925年)
第54巻 p.285-295(DK540063k)
是年五月、「八基村産業基本調査」刊行セラル。是日栄一、矢作栄蔵及ビ岡田温ニ対シ、書翰ヲ以謝テ意ヲ表ス。
9款 農・牧・林業関係諸資料 5. 食糧問題ニ関スル栄一ノ意見
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年6月1日
(1919年)
第54巻 p.295-296(DK540064k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、竜門社春季総集会開カル。栄一出席シ、農学博士稲垣乙丙ノ食糧問題ニ関スル講演ニ次ギ、之ニ対スル意見等ニツキ演説ス。
9款 農・牧・林業関係諸資料 6. 農村振興ニ関スル栄一ノ意見
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年―昭和3年
(1922-1928年)
第54巻 p.296-306(DK540065k)
栄一ノ農村振興ニ関スル意見、「向上」・「銀行通信録」・「大観」・「糧友」・「実業之世界」等ノ諸雑誌ニ掲載セラル。
9款 農・牧・林業関係諸資料 7. 其他
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明治42年9月16日
(1909年)
第54巻 p.306-307(DK540066k)
是日栄一、渡米実業団団長トシテ一行ト共ニ、アメリカ合衆国ファーゴ及ビグランド・フォークニ到リ、農事試験場・農学校及ビ農場ヲ見学視察ス。二十二日、マディソンニ到リ、ウィスコンシン大学ヲ訪問、同学農科大学ヲ参観ス。
明治45年5月27日
(1912年)
第54巻 p.307-309(DK540067k)
是日栄一、山下信義ノ来訪ヲ受ケ、伊豆伊東ニ造ラントスル模範村落ノ計画ヲ聴取シ、其試験場資金トシテ金千円ヲ贈ル。
2節 水産業
1款 洲崎養魚株式会社(魚介養殖株式会社)
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昭和6年11月15日
(1931年)
第54巻 p.310-316(DK540068k)
是ヨリ先、当会社、大正十二年九月一日ノ関東大震災ニ因リ、養魚池堤防ノ決潰、建物ノ倒潰等ノ損害ヲ被リシガ、就中被害最モ甚大ナリシ夜光養魚池十一万余坪ハ、之ヲ東京湾埋立株式会社ニ売却スルコトヽシ、十五年八月二十七日開催ノ臨時株主総会ニ於テ、其承認ヲ受ク。
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会社ヨリ弔詞ヲ贈ル。
2款 其他 1. 御木本真珠
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大正15年10月14日
(1926年)
第54巻 p.317-319(DK540069k)
是日、日本貿易協会ニ於テ、森村市左衛門主催ノ御木本幸吉渡米送別会開カル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。尚トマス・エー・エディソン其他宛ニ紹介状ヲ発ス。昭和二年九月二十七日、同協会主催ノ帰国歓迎会開カレ、栄一出席ス。
2款 其他 2. 雑
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第54巻 p.319-320(DK540070k)
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6章 対外事業
1節 朝鮮
1款 日韓瓦斯株式会社(日韓瓦斯電気株式会社)
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明治42年6月16日
(1909年)
第54巻 p.321-322(DK540071k)
是ヨリ先、当会社、京城ニ於テ電車・電灯事業ヲ経営スル韓美電気会社ヲ買収セントスル議アリ、是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、同会社社長ヘンリ・コールブラン及ビ当会社専務取締役岡崎遠光等ト会シ、右件ニ関シ要談ス。翌十七日栄一、韓国統監曾禰荒助及ビ前統監伊藤博文ヲ訪ヒ、右ニ関スル経過ヲ報告シテ諒諾ヲ得。
明治42年6月24日
(1909年)
第54巻 p.322-335(DK540072k)
是日、横浜インターナショナル銀行ニ於テ、韓美電気会社買収ニ関スル契約書ノ調印ヲ了シ、七月二日、当会社大株主会ニ於テ、栄一之ヲ報告ス。次イデ同月二十一日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、栄一、議長トナリテ議事ヲ司宰シ、右買収ノ件及ビ之ニ伴フ定款改正ノ件承認セラル。右定款改正ニヨリ、当会社社名ハ、日韓瓦斯電気株式会社ト改メラル。
明治42年8月30日
(1909年)
第54巻 p.335-337(DK540073k)
是年六月六日、栄一実業界引退ニヨリ、当会社取締役会長辞任ヲ申出ツ。是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、其決議ニヨリ、栄一、当会社ヨリ慰労金及ビ感謝状ヲ贈ラル。
2款 稷山金鉱(稷山金鉱株式会社)
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明治43年7月20日
(1910年)
第54巻 p.338-349(DK540074k)
是ヨリ先、栄一、当金鉱経営ニ関シ、浅野総一郎及ビアメリカ合衆国人テーラー、ヘンリー、デシラ等ト屡々会談ノ結果、日米両国人共同経営ノ議成リ、是日、飛鳥山邸ニ於テ、契約書ニ調印ヲ了シタル上、関係者ト共ニ午餐会ヲ開ク。
明治44年8月4日
(1911年)
第54巻 p.349-364(DK540075k)
是ヨリ先、当金鉱ヲ母体トスル株式会社設立ノ議進ミ、是日、渋沢事務所ニ於テ、栄一、浅野総一郎、アンダーソン、ゲーリー、デシラ等ノ関係者会同ノ上、定款・鉱区譲渡証書及ビ其他必要書類ノ手続ヲ了シ、稷山鉱業株式会社ノ設立成ル。栄一、浅野総一郎ト共ニ顧問ニ推サル。
十七日、栄一、浅野総一郎ト共ニ、当会社重役等ヲ浅野総一郎邸ニ招待シ、晩餐会ヲ開ク。
稷山鉱業株式会社ハ後、稷山金鉱株式会社トナル。
昭和3年8月30日
(1928年)
第54巻 p.364-379(DK540076k)
是年五月、当会社砂金鉱区ノ採掘結了ニヨリ解散スルニ決シ、是日、当会社本社ニ於テ開カレタル臨時株主総会ニ付議シ、議決セラル。
3款 韓国興業株式会社(朝鮮興業株式会社)
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大正8年5月14日
(1919年)
第54巻 p.380-383(DK540077k)
是ヨリ先、当会社、明治四十三年四月二十九日開催ノ株主総会ノ議決ヲ経テ、韓国拓殖株式会社ヲ合併シ、大正二年四月二十六日開催ノ株主総会ノ議決ニヨリ、商号ヲ朝鮮興業株式会社ト改ム。
是日栄一、当会社創立以来ノ功労ニ対シ、当会社ヨリ屏風一双ヲ贈ラル。
4款 朝鮮製糖株式会社
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明治45年7月6日
(1912年)
第54巻 p.384-385(DK540078k)
是ヨリ先、中野武営、栄一等ノ賛成ヲ得テ、当会社ヲ創立スルニ決シ、是日、東京商業会議所ニ於テ発起人会ヲ開ク。
5款 朝鮮軽便鉄道株式会社(朝鮮中央鉄道株式会社)
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大正5年4月29日
(1916年)
第54巻 p.386-403(DK540079k)
是日、帝国鉄道協会ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一、当会社設立ニツキ援助シ、株主トナル。大正八年、当会社ハ朝鮮中央鉄道株式会社ト改称ス。
6款 東洋拓殖株式会社
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大正7年2月14日
(1918年)
第54巻 p.404-405(DK540080k)
是日栄一、当会社社員安東義喬ノ来訪ニ接シ、其担任業務ノ状況等ニツキ聴取ス。爾後、屡々同人ノ来訪ヲ受ク。
大正15年1月14日
(1926年)
第54巻 p.405-408(DK540081k)
是ヨリ先、栄一、安東義喬ヲ当会社理事ニ推挙方ニツキ、当会社前理事井上孝哉ヨリノ依頼モアリ、是日、当会社総裁渡辺勝三郎ヲ訪ヒ、右件ニ関シ要談ス。
7款 朝鮮森林鉄道株式会社
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大正9年2月28日
(1920年)
第54巻 p.409-416(DK540082k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当会社創立総会開カル。渋沢同族株式会社、株主トナル。
8款 朝鮮鉄道株式会社
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大正12年9月1日
(1923年)
第54巻 p.417-435(DK540083k)
是日、朝鮮中央鉄道株式会社・西鮮殖産鉄道株式会社・南朝鮮鉄道株式会社・朝鮮産業鉄道株式会社・朝鮮森林鉄道株式会社及ビ両江拓林鉄道株式会社ノ六会社合併ニヨリ、当会社ノ設立成ル。渋沢同族株式会社、株主トナル。
9款 中央朝鮮協会
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大正15年1月
(1926年)
第54巻 p.436-438(DK540084k)
是月、当協会創立セラル。栄一顧問ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。
昭和2年7月16日
(1927年)
第54巻 p.438-439(DK540085k)
是日、朝鮮総督代理宇垣一成、当協会幹部ヲ東京会館ニ招待シテ午餐会ヲ催ス。栄一当協会ヲ代表シテ謝辞ヲ述ブ。
10款 朝鮮鉄道促進期成会
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大正15年7月23日
(1926年)
第54巻 p.440-452(DK540086k)
是日、帝国鉄道協会ニ於テ、当会発会式挙行セラル。栄一、名誉会長ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。
大正15年10月26日
(1926年)
第54巻 p.452-456(DK540087k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当会顧問並相談役会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。閉会後、栄一、当会名誉会長トシテ、会長小松謙次郎・常務委員谷口守雄・渡辺定一郎等ト共ニ、総理大臣若槻礼次郎及ビ大蔵大臣片岡直温ヲ各其官邸ニ訪ヒ、当会ノ目的達成ニツキ陳情ス。
昭和2年3月29日
(1927年)
第54巻 p.456-479(DK540088k)
是日、帝国ホテルニ於テ、朝野ノ有力者百余名ヲ招キ、当会晩餐会開カル。栄一出席シ、当会名誉会長トシテ挨拶ヲナス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第54巻 p.479(DK540089k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
11款 朝鮮関係雑資料
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--第54巻 p.480-481(DK540090k)
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2節 支那・満洲
1款 南満洲鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年6月20日
(1912年)
第54巻 p.482(DK540091k)
是日栄一、当会社総裁中村是公及ビ監事馬越恭平ノ来訪ヲ受ケ、当会社ノ監事就任ヲ懇請セラレシモ、之ヲ辞退ス。
2款 日清起業調査会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月22日
(1909年)
第54巻 p.483-484(DK540092k)
是ヨリ先、栄一、益田孝・近藤廉平・大倉喜八郎ト共ニ、当調査会ヲ組織シ、屡々会合シテ、中国経済事情ノ調査ニ当リタルガ、是日、三井集会所ニ於テ、外務次官石井菊次郎等ヲ交ヘテ会合シ、中国ニ於テ各般ノ事業ヲ営ムベキ会社ノ設立ニツキ協議ス。
3款 東亜興業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年7月20日
(1909年)
第54巻 p.485-491(DK540093k)
是月十三日、総理大臣桂太郎及ビ外務大臣小村寿太郎ノ招請ニヨリ、東京・横浜・名古屋・大阪・神戸ノ実業家三十余名、三井集会所ニ会同シ、当会社設立ノ議ヲ決ス。栄一出席シ、益田孝・大倉喜八郎等十名ト共ニ、創立委員ニ挙ゲラル。
是日、三井集会所ニ於テ、当会社創立協議会開カル。栄一出席シ、目論見書及ビ定款ニツキ協議確定ス。栄一外七名、設立発起人トナル。
明治42年8月18日
(1912年)
第54巻 p.491-495(DK540094k)
是ヨリ先、栄一、外務大臣小村寿太郎及ビ総理大臣桂太郎ヲ訪ヒテ夫々要談シ、更ニ会社設立ニ関スル書類ヲ検閲スル等、当会社設立ノタメ尽力スル所アリ。
是日、東京銀行集会所ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司宰シ、重役選定ニ当リテハ、取締役ニ古市公威外五名ヲ、監査役ニ大橋新太郎外一名ヲ指名ス。栄一、株主トナル。
大正6年1月31日
(1917年)
第54巻 p.495-514(DK540095k)
是ヨリ先、栄一、当会社ノ江西鉄道借款ニツキ、銀行団ノ協調融資ヲ斡旋スル等、当会社ノタメ尽力スル所アリ、是日、当会社社長古市公威ノ来訪ニ接シ、当会社増資ニ関シテ要談ス。其後ニ於テモ栄一、大蔵大臣勝田主計ヲ屡々訪問シ、又、当会社大株主会及ビ其他ノ諸会合ニ出席スル等、当会社ニ関与スル所少ナカラズ。
4款 中国興業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年2月15日
(1913年)
第54巻 p.515(DK540096k)
是月十四日、栄一、中華民国国民党党首孫文ノ来日ヲ新橋駅ニ迎フ。是日、東亜同文会主催ノ歓迎会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。以後其歓迎会又ハ会合数次ニ亘ツテ催サル。即チ是月十七日栄一、孫文ヲ帝国ホテルニ訪ヒ、同夜中華民国公使館ニ開カレタル招宴ニ出席シテ演説ヲナシ、十八日日本郵船株式会社主催歓迎会、二十日三井物産株式会社主催歓迎会開カレ、栄一出席ス。二十一日夜実業家聯合ニヨル歓迎会ニ栄一出席シテ演説ヲナス。二十三日青年会館ニ於ケル歓迎会、二十五日大隈重信主催歓迎会、同夜東京市主催歓迎会等アリ、栄一ソレゾレ出席ス。特ニ日中合辦会社設立ニ関シテハ、二十一日栄一、渋沢事務所ニ孫文・戴天仇・益田孝・山本条太郎等ト会合シテ覚書ヲ作成シ、二十五日之ヲ大蔵次官勝田主計ニ示シ、更ニ三月一日三井集会所ニ関係者ト協議、原案ノ賛成ヲ得、三日同所ニ孫文・益田孝・大倉喜八郎・山本条太郎ト協議シ、四日重ネテ同所ニ孫文・益田孝・山本条太郎ト会合、中国ニ於ケル貨幣制度・銀行組織ニツキ要談ス。同日夜帝国ホテルニ孫文留別会開カレ、栄一出席ス。五日孫文帰国ニ際シ、栄一、新橋駅ニ送別ス。
大正2年3月20日
(1913年)
第54巻 p.515-520(DK540097k)
是日、三井集会所ニ於テ、当会社第一回発起人会開カレ、栄一、大倉喜八郎・安田善三郎・倉知鉄吉・益田孝・三村君平・山本条太郎等ト、当会社設立ニ関スル協議ヲナス。次イデ四月二十日、同所ニ第二回発起人会ヲ開キ、資本金・定款等ニツキ協議シ、更ニ五月十九日、帝国ホテルニ第三回発起人会ヲ開キ、発起人ノ公表員数及ビ其氏名・引受株数、其他ノ件ヲ議了ス。栄一、発起人総代タリ。
大正2年6月14日
(1913年)
第54巻 p.520-534(DK540098k)
是日、帝国ホテルニ於テ日本側発起人及ビ関係者ノ集会開カレ、栄一及ビ井上準之助・門野重九郎・倉知鉄吉・柳生一義・三村君平・志立鉄次郎・山本条太郎ノ八名、当会社創立委員ニ選バレ、栄一、委員長トナル。十九日、創立委員会開カル。
大正2年7月9日
(1913年)
第54巻 p.534-535(DK540099k)
是日栄一、中華民国使節孫宝琦・李盛鐸ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ談話会ヲ催ス。是ヨリ先、是月二日、先ニ中華民国ニ赴キタル我実業団ノ主催ニテ、帝国ホテルニ招待午餐会開カル。栄一、歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正2年8月11日
(1913年)
第54巻 p.535-545(DK540100k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一、議長トナリテ議事ヲ司宰シ、重役選任ニ当リテハ、取締役ニ倉知鉄吉・印錫璋外四名ヲ、監査役ニ大橋新太郎・沈縵雲ヲ指名ス。総会終了後開カレタル取締役会ニ於テ、栄一外十一名ヲ相談役ニ推挙ス。
大正2年10月27日
(1913年)
第54巻 p.545-547(DK540101k)
是ヨリ先、中華民国ニ於ケル南北抗争ノ結果、北方派ノ勝利ニ帰シ、孫文一派ノ勢力ハ凋落スルニ至ル。是日、外務次官官邸ニ於テ、栄一及ビ外務次官松井慶四郎・大蔵次官勝田主計・当会社副総裁倉知鉄吉・横浜正金銀行頭取井上準之助等相会シ、右情勢ノ変化ニ対処スベキ当会社ノ方策等ニ関シ協議ス。
大正2年11月
(1913年)
第54巻 p.547-550(DK540102k)
是ヨリ先、中華民国大総統袁世凱ヨリ、栄一ニ対シ、当会社ヲ中華民国政府ノ実業開発機関トシ、且ツ、両国親善ノ楔タラシメタキ趣意ヲ以テ、親シク意見ノ交換ヲ行フタメ、栄一ノ来遊ヲ慫慂シ来ル。栄一之ニ応ジ、是月三日出発、十二月初旬帰国ノ予定ヲ以テ、諸般ノ準備ヲ整ヘタルモ、風邪ノタメ中止ノ已ムナキニ至リ、代理トシテ、当会社副総裁倉知鉄吉ヲ派遣ス。