デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一

2. 闕党童子は不遜である

けっとうどうじはふそんである

(68)-2

闕党童子将命。或問之曰。益者与。子曰。吾見其居於位也。見其与先生並行也。非求益者也。欲速成者也。【憲問第十四】
(闕党の童子、命を将《つた》ふ。或る人之を問うて曰く、益する者かと。子曰く、吾其の位に居るを見る。其の先生と共に並び行くを見る、益を求むる者に非ざるなり、速に成らんを欲する者なり。)
 本章は、童子の小生意気なやうな態度を誡めたのである。
 闕党とは、郷党などに用ゐるやうに、党の名である。童子とは冠をせない者、将命とは、主人と賓客との言を相伝へるを言ふ。
 闕党の童子が将命の役をなしたので、或る人は此の状態を見て、此の童子は益を得ようとして居る者であらうかと、孔子に問うた。孔子は、童子は傍に居ればよいのに、長者の列位に居るのを見た、肩を並べて行くのを見た。之れでは童子の礼と云ふものでないから、彼は益を求めようとする者でなく、早く成人になり度いと云ふ小生意気な者であつて、長者に対する礼を知らぬものであると言つた。
 集註に、此の童子を孔子の家に在るものとしたけれども、佐藤一斎は之れを非とし、此の童子は闕党にありて命を行うて居るから、或る人の問に孔子が其の目睹する所を挙げて、益を求むる者でないことを証したのである。若し此の童子が夫子門内の事であれば、之れに教へて、唯その位に居る、先生と並行して居ると見たとのみ言ふ訳がないと言つて居るが、尤もな説のやうである。

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デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.610-617
底本の記事タイトル:三七一 竜門雑誌 第四三三号 大正一三年一〇月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第433号(竜門社, 1924.10)
初出誌:『実業之世界』第21巻第8,9号(実業之世界社, 1924.08,09)