デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一

11. 天明の至誠、天保の術数

てんめいのしせい、てんぽうのじゅっすう

(68)-11

 定信は学問もあり、隠退の後に楽翁と称し、花月草紙其の他の著書もある程の人である。執政となつたのは三十の時で、倹約を以て、今日の官紀の振粛、財政の緊縮を行はんとしたのであつて、この心願書によつても、定信の真実が如何に強かつたかを知ることが出来る。然るに不幸にして当時の大御所であり術数家である家斉将軍とは意見が合はず、在職僅かに七年にして退くの止むなきに至つたので、遂に所期の功を奏することが出来なかつた。
 天保に至り水野越前守忠邦が出て、寛政、天明の政治に倣つて節約政治を行はんとした。併しその行ふことは実に峻烈苛酷を極めたもので少しも仮借することがなかつた。後藤呉服の如き幕府出入の商人であつたが、禁令に触れたと云ふのでその財産を没収したと云ふ程峻厳を極めたけれども、その効果を奏することが出来なかつた。同じく節約制度をやりながら、松平の政治は人心を緊張せしむる上に功があつたけれども、水野は破れて実がなかつたばかりでなく弊害を残した。このやうに一方に功があり、他方には害をなしたと云ふことは、之を為さんとする心情の如何にある。松平は行はうとすることに忠実であつて術数と云ふものがなかつたから功があつたが、水野は之に反して術数の為に政治をやつたから、功がないばかりでなく弊害を起した。故に之れを行ふ人にして忠実であれば、その事が思ふやうに行かぬとしても功はあるが、若しその人にして術数を弄するものであれば害をなすものである。言はば至誠奉公の念を以てやれば、害があつても少いが、術数をやると害は大変に大きくなる。

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キーワード
天明, 至誠, 天保, 術数
デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.610-617
底本の記事タイトル:三七一 竜門雑誌 第四三三号 大正一三年一〇月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第433号(竜門社, 1924.10)
初出誌:『実業之世界』第21巻第8,9号(実業之世界社, 1924.08,09)