デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一

9. 忠信篤敬は治国の大本

ちゅうしんとくけいはちこくのおおもと

(68)-9

子張問行。子曰。言忠信。行篤敬。雖蛮貊之邦行矣。言不忠信。行不篤敬。雖州里行乎哉。立則見其参於前也。在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。【衛霊公第十五】
(子張、行はれんことを問ふ。子曰く、言忠信、行ひ篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行はれん。言忠信ならず、行ひ篤敬ならざれば、州里と雖も行はれんや。立つ則ち其前に参するを見る。輿に在りては則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後に行はれんと。子張之れを紳に書す。)
 本章は、忠信、篤敬は何処にあつても行はなければならぬを言うたのである。
 子張は、事の多く己の意の如くにならざるを憂ひ、如何にせば能く行はるるやを問うた。孔子は之に対へて、其の言は忠信で、行が篤敬であれば、人も之れを信じて敬するやうになる。たとへ未開、無知の夷狄の如き野蛮の国にあつても行はれる。若しその言が忠信でなく行ひが篤敬でなかつたならば、郷党州里と雖も行はれない。故に忠信篤敬にして忘れないと、立つ時でも忠信篤敬が自分の前に参するやうに見える。車上に在る時でも忠信篤敬が衡に倚るやうに、忠信篤敬は少しも自分の側を離れて居ない。斯の如くになれば何事でも能く行はれる、と説いた。すると子張はその言に感心して、之を紳《おび》に書いて忘れぬやうにした。

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デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.610-617
底本の記事タイトル:三七一 竜門雑誌 第四三三号 大正一三年一〇月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第433号(竜門社, 1924.10)
初出誌:『実業之世界』第21巻第8,9号(実業之世界社, 1924.08,09)