デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一

7. 至誠以て国家を燮理す

しせいもってこっかをしょうりす

(68)-7

子曰。無為而治者其舜也与。夫何為哉。恭己正南面而已矣。【衛霊公第十五】
(子曰く、無為にして治むる者は其れ舜か。夫れ何をか為すや。己を恭しうし正しく南面するのみ。)
 本章は、舜は場当りのことをせぬことを言うたのである。
 孔子は、能く天下を治め静平なるを得たのは舜であると称めたが、然らば舜は何をなしたかと云ふに、唯己を恭しうして正しく南面して政を為して居るのみであると教へた。
 舜は真直で曲つたことをしない人であるから、国を治めるにも権謀術策を用ゐるやうなことをせず、至誠を以て懈怠なくやつたので、孔子の称めるやうな国をなしたのである。茲に云ふ正しく南面するのみ
 と云ふのは、天子の位にあつて正しき政治、多数国民の利益幸福の為に一定の方針を樹て之れを行ふことを言つたもので、単に南面しても居て何もしないと云ふ意味ではない。
 翻つて今日の政治の状態を見るに、廟堂にある者でも野にある者でも、その主義方針が一定をして居ない、言はば南に向いて居るか北に向いて居るか決つて居らぬ。あつちを見たりこつちを見たりして居ると云ふ有様である。彼の支那に対する態度にしてもさうではないか。南か北か少しも極まつて居ないから、ある時は南に向いて居たかと思ふと北に向いて居つたりする。又対米関係にした所で、日本に一定の方針が確立しその方針の下に事を運んで居つたならば、今日のやうな不幸を見なくて宜かつたと思ふ。之れなどは概括的に評論したことがあるが、国の政治なるものは、その方向―方針をはつきりして之れに向かつて進んで行かなければならない。

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デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.610-617
底本の記事タイトル:三七一 竜門雑誌 第四三三号 大正一三年一〇月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第433号(竜門社, 1924.10)
初出誌:『実業之世界』第21巻第8,9号(実業之世界社, 1924.08,09)