デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一

5. タゴールの講演と忠恕

たごーるのこうえんとちゅうじょ

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 此の間インドの詩人タゴール翁が来て頻りに説いたことも、私の此処に言ふ忠恕に外ならないものと思ふ。丁度六月十一日の晩である、工業倶楽部に来て講演をしたが、その中に日本は昨年自然の力による災害を受けたが、その災害に遭つても意気が沮喪せず、却〻の勇気を以て復興に努めて居る。其旺盛なる元気を喜ぶものである。然るに今年は又人為による大なる打撃を受けたが為に、厳しい感じを国民の頭に与へて居る。併しながら、国民は至つて温健なる考へを以てこの厭ふべき彼の処置に対して如何に処理するかに努めて居る、と云つて、日本が自然と人為との災害に対して転回すべく努力をして居ることを称揚して居る。
 そして更に、強い力と富とを有つて居る者は暴戻な行動になり勝ちなものである。個人としてはそれ程でないけれども、国家となれば猛然としてその力を現はして来るものであると云つて、米国今回の行動を隠に誹謗した。
 国が大きく、富も大に人も多いと、どうしてもその様な事に傾く。之も個人間であればそれ程でもないが、国になると一層その甚だしきを見る。斯くの如く無理をやることは世界の通弊である、と説いて居る。タゴール翁の此の言は真理に当て嵌つて居るとは思はぬが、近来の事実象からしてこの感想を述べられたことは尤なことと思ふ。
 翁は翌日私の宅へも来られたから、私は翁の印度哲学の考へを有つて居ると信じたので、問を発して見た。即ち人文を進める為に教育を重んじて居る。貴国はどうか知らぬが、他の世界各国は押しなべて斯の如き考へを有つて居る。そして教育によつて知識を進めて居る。知識を進めるには教育がよいから、時代の進むに従つて知識が進んでゐる。故に単に知識と云ふ点から云へば、親より子供は知識があり、孫はそれよりも尚進んで居る。
 この知識は法制、経済などの基礎となつて種々なる進歩を促して居る。又この知識により事物が進歩すれば富を作ることが出来る。即ち労を少くして能率を挙げれば富が出来る訳である。この富は色々の働きをして力となるが、この力は良い方にも働き、悪い方にも働く、良い方に働けば言ふことはないが、悪い方に働けばその結果自己満足を図ることの為に得手勝手な態度に出る。これが強暴不遜となつて人の行動を抑圧し、偏に自己の慾を増進せんことを努めて飽を知らなくなる。
 斯の如き結果を生じた所以を考へると、国民に教育を与へたのでこの罪悪が出来たから、結局は教育は罪悪を作ると云ふことになる。然らば教育を与へなければ、国家の太平無事を実現するものかと云ふにさうでもないが、併し教育を施したことにより罪悪となる。尤も今日の状態も良くないが、教育の当然齎すこの弊害を如何にして除くかは世界の等しく要求して居る点であると思ふ。故に教育により金を増し知識を増しても罪悪とならぬやうにするにはどうするか、翁の考へを伺ひ度いと云つた。すると翁は、知識があつても富をなすことの出来るものは、出来る丈けその弊害を出さぬやうに努力するより外はないと言つた。
 この結論から言へば、君子の道は忠恕に帰すると云ふことになる。そしてこの忠恕は、至誠、博愛の情を以て人に当ればよい。さうすれば富と力を増してもその弊害がない。他国に於ても亦之に倣つて正しいことをやるから段々に弊害がなくなる。

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キーワード
タゴール, 講演, 忠恕, ,
デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.610-617
底本の記事タイトル:三七一 竜門雑誌 第四三三号 大正一三年一〇月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第433号(竜門社, 1924.10)
初出誌:『実業之世界』第21巻第8,9号(実業之世界社, 1924.08,09)