6. 徳を知るものなき現代
とくをしるものなきげんだい
(68)-6
子曰。由。知徳者鮮矣。【衛霊公第十五】
(子曰く、由、徳を知る者鮮し。)
本章は、真に徳を知るものは少いと言ふことを言つたのである。(子曰く、由、徳を知る者鮮し。)
ある時孔子が子路に、当今は本当に徳を知るものは少いと歎じた。この徳を知ると云ふことは、徳を行ふ者が少いと云ふことで、陽明の所謂知行合一のことを言ふのである。
この語は、孔子の当時に於て歎じたのであるが、今日孔子になつて現在の社会を見るならば、矢張り徳を知るものなしと言ひ度い。若し今日孔子をこの東京に在らしめたならば、渋沢、徳を知る者少しと云ふに違ひない。しかし現代は殊に甚だしくはないかと思ふ。彼の政治家にしても実業家にしても徳を知つて居るものはない。或は宗教家、教育家などにもないかも知れない。
- キーワード
- 徳, 知る, 現代
- 論語章句
- 【衛霊公第十五】 子曰、由、知徳者鮮矣。
- デジタル版「実験論語処世談」(68) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.610-617
底本の記事タイトル:三七一 竜門雑誌 第四三三号 大正一三年一〇月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第433号(竜門社, 1924.10)
初出誌:『実業之世界』第21巻第8,9号(実業之世界社, 1924.08,09)