デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一

1. 論語に親むに至れる因縁

ろんごにしたしむにいたれるいんねん

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 何故私が孔夫子の論語に親み、之を服膺して今日の如く日常生活の規矩準縄と做すまでに相成つたかは、或は世間の方々の不思議に思はるゝ処であらう。それに就ては、先づ幼年時代に私が受けた教育の順序から申述べねばならぬ。
 維新前に於ける教育は、何地とも主として漢籍に依つたものであるが、江戸表などでは初めに「蒙求」とか乃至は又名家文を教へたりしたやうにも聞き及ぶ。然し、私の郷里(今の埼玉県)では先づ初めに「千字文」「三字経」の如きものを読ましめ、それが済むだ処で四書五経に移り、名家文は其の後になつてから漸く教へたもので、「文章軌範」とか「唐宋八大家文」の如きものを読み、史籍の「国史略」「史記列伝」の如きものをも此間に於て学び、「文選」でも読めるまでになればそれで一通りの教育を受けた事にせられたものである。
 私は七歳の時に先づ実父より「三字経」を教へられ、明けて八歳となるに及んで、私より十歳ばかり年長であつた従兄の手で、大学、中庸、論語、孟子などの四書を教へてもらふ事になつたが、私に四書を教へて呉れた這の従兄の妹を、私は後年に至り娶つて妻としたのである。私の論語に親むに至つた抑〻の発端とでも申すべきものはまづ以て斯くの如くである。

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キーワード
論語, 親む, 因縁
デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)